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2019年1月 4日 (金)

ルーベンス展─バロックの誕生(2)~Ⅰ.ルーベンスの世界

Rubence2018clara  会場入口のロビーの広間でルーベンス紹介の映画らしきものをやっていましたがパスして、さっそく作品へ。まず目に付いては、小品ともいえる作品。ルーベンスの世界というコーナーで、最初にかれらしい大作ではなくて、こんな小さな、しかし愛らしい作品で、ちょっと肩透かしといいますか。これで、前のめりになりました。巧みな展示の演出、と言っておきましょう。「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」という画家自身の娘を描いたという作品です。映画のクローズ・アップのように、顔の正面にできる限り近寄って、顔と髪の毛の部分を丹念に描き込んで、それ以外の衣服や背景はぼんやりとしか描かれていません。それだけに、見る者の視線は顔に集まります。その顔はというと、つぶらな目はおおきく開かれて、こちらを真っ直ぐに見つめています。視線をこちらにむけて、何か言いたげな、今にもしゃべりだしそうな風情です。幼い子供というのは、普通はじっとしていられず四六時中動き回るものです。感情や気分も常に変化して、さっきまで穏やかに笑っていたのに突然泣き出してしまったりということは日常茶飯事です。そのような、常に変化する表情の一瞬の動きをそのまま写し取ったような画面です。Rubence2018kasper 同時に展示されている「カスパー・ショッペの肖像」のように、一瞬の表情の動きを活写するのではなくて、モデルの人物を理想化した姿を描きます。それだけに人物は動きのない彫像のようで、しかも感情をあらわす表情の動きを顔には表われていない、ギリシャ神話の太陽神アポロのような、つまり人間的な表情がなくて、神様のような超然とした様子で表される、というのが肖像画、人物画です。そういう従来の一般的な人物画に比べて、この作品の子供の親しげな表情というのは、理想化されたものではなく、ということは広く人々に向かってのものではなく、特定の人物、おそらく画家である父親に向けての、親密さ、あるいは愛情が表われたものです。このような特定の人に向けたものというのは、それまでの人物画になかったものではないかと思います。ほぼ同時代のスペイン・バロックの巨匠ベラスケスも理想化されない、人間の個性をリアルに描いたといわれていますが、ベラスケスの描いたスペイン王家の王子や王女といった子どもの肖像画には、このような親密な表情の移ろいのようなものは見られません。大胆な空間構成の大作を制作していた一方で、ルーベンスという画家は、こんなところで革新的な作品を描いていたというのは、この展覧会での発見でした。大作というイメージをもっていたのに、この作品における顔や髪の毛の描き方は、なんと細かく丹念に描き込まれていることか。金髪の髪の毛の一本一本を繊細な線で描かれていて、しかも、時が経つのにしたがって刻々と変化する光と影のグラデーションをその金髪の微妙な色調の中で描き分けられています。一方、その髪の毛と同じように顔の輪郭や鼻や唇のくぼみとふくらみのコントラストが、例えば、肌色のグラデーションの細かい描きわけが、柔らかな子供の顔の肌にこれほど細かい凹凸があるのかと驚くほど(頬の赤!)で、しかも、動きを感じさせるために、微妙にバランスを崩していて、左右の瞳や鼻筋は均衡になっていないところが、却って人間らしい温もりを感じさせるものとなっています。つまり、これほど小さな作品であるのですが、ルネサンスRubence2018two 以来の理想化した均衡した人物表現ということから、個性をもった個々の人物の理想化されていない不完全なところに、その個性が表われるというところと、そもそも人間というのは動くものというので、その移ろいを表わそうとしたという点で、それまでとは一線を画した、近代の個人主義の前駆となるような人間像の提示、いわゆる近代的なリアリズム、といえるような作品ではないかと思いました。
 並んで展示されていた「眠る二人の子供」も同じように子供を描いています。髪を乱したまま赤ら顔で眠るあどけない表情を暖色と寒色の巧みな使い分けは、多少のあざとさが感じられるほどですが、巻き毛の乱れた様子の細かな描写と相俟って、よくもこれだけ丹念に描いたものだと、そのことにルーベンスのモデルの子供への並々ならぬ愛情が伝わってくるようです。この下からの仰角では顔が栄えて見えないのを敢えてやっているのは、神話や宗教的な題材で子供や天使を描くときとは、全然違うので、同じ画家かと疑わしくなるほどです。
Rubence2018stjohn  「幼児イエスと洗礼者聖ヨハネ」という作品。幼児の聖ヨハネの右側で幼児のイエスが赤い布の上に腰を下ろし、二人は従順な白い子羊を撫でています。この子羊はヨハネの象徴で、イエスの将来の犠牲を暗示するものだそうです。この幼児イエスは受肉の象徴で、この幼児の表情は自ら犠牲になる事を承知していることが表われていると言います。それだからでしょうか、この二人の幼児の表情は、上述の作品と比べて、大人っぽいところがあって、しかも、移ろうというのではなくて確固とした輪郭があります。つまり、形が決まっているスタティックなものです。顔の表情で訴えかけるというものではない。実際のところ、この題材でこの描き方であればねイエスと聖ヨハネを幼児にしなくても、大人で描いても、あまり変わりはないのではないか、子供でなければならない、という物ではない、そう感じられます。ただし、イエスの下腹や足の肉がたるんでいるところなどは、単純に理想化しているとは言えないところがあります。幼児の肌の柔らかさのようなものは、巧いと思わせられます。

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