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2019年1月27日 (日)

エドワード・ヤン監督の映画「恐怖分子」の感想

000002  人間の恐いのに、何が恐いか分からないという不安を想像させる独特の映像
 警察の手入れから逃げ出した不良少女シューアンとその姿を撮るカメラマン志望の青年シャオチェン、昇進を目論む医師のリーチェンと小説家としてのスランプに陥っている妻のイーフェン。それまで接点を持たなかった人々が、シューアンのいたずら電話をきっかけにして、関係が交錯し、人生が変化を始める。イーフェンは、これに着想を得て書いた小説が文学賞を受賞し、かつての恋人と情事を重ねる。一方、妻に去られただけでなく出世の競争に敗れたリーチェンは・・・
 説明的な要素がなく、人物の表情が抑えられ、台詞も少ないので、特に前半は親しめない人も少なくないかもしれない。退屈を覚えるかも。しかし、端整な画面で映し出される映像は、その繋ぎが、見る者に、どこか不安定でサスペンスな印象を呼び起こす。例えば、冒頭はサイレンの音で、何か事件が起きた事は分かるが、次に道に倒れた男の映像。そして銃声。しかし、撃ち合いになる場面もなく、どんな事件が起こったのか、つまり、現場が出てこないのだ。銃撃戦は音と割れるガラスしか出てこない。この映画、普通の事件の場面に見る者が期待する要素がすべて映されないのだ。そこではサスペンスの緊迫感が伝わってくるが、それ以上に何が起こったか分からない不安を募らせる。また、切り返しショットで人が視線を向けている画面に続く画面が、その視線が見ていたものを映さない。そこで見る者は画面からストーリーを追いかけることがスムーズに行かないのだ。それが物語の安定感を見る者に与えず、映画が現実か夢か、外面か内面かの境界が曖昧になってくる。そこに、「恐怖分子」のタイトルのような分子的な恐怖がうまれてくる。

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