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2019年1月 5日 (土)

ルーベンス展─バロックの誕生(3)~Ⅱ.過去の伝統

 Rubencewoman この展覧会の主催者あいさつで述べられていた“本展は、ルーベンスをいわばイタリアの画家として紹介する試みです。”ということを、正面にすえて取り扱ったコーナーです。ここでは、ルーベンスがイタリア留学で勉強した古代ローマの古典ともいえるお手本と、それをルーベンスがどのように消化したかを比較して見せるということをしています。また、ルネサンスやイタリア・バロックをルーベンスが模写したものと、その原作を比較照合してみせようという展示です。作品として、メダマは、この後の展示でてきますが、展覧会じたいとしては、このコーナーがメインとも言うべきものだと思います。
 「毛皮をまとった婦人像」見てみたいと思います。これは、ルーベンスが50歳を過ぎた成熟期に訪れたスペインで見たティツィアーノの「毛皮の少女」をもとに制作した(模写した)作品だそうです(残念ながら、この作品の展示はありませんでした。まっ、ティツィアーノですから、日本に持ってくるのは難しいでしょう)。たしかに、そっくりで上手いです。しかし、二つの作品の微妙な違いがルーベンスの特徴を浮き上がらせています。まず目に付くのは、ルーベンスの作品の画面のサイズが相対的に横広ということです。これによって画面全体に余裕が生まれています。ティツィアーノの作品は単独で見ると感じることはないのですが、ルーベンスのと比べると少し窮屈な印象を受けます。このことはルーRubencewoman2 ベンスという画家の透徹した眼ということを感じざるを得ません。そして、画面に余裕ができたぶん婦人の肉付きをよくしてふっくらした感じにして、目を心もち大き目に描いて。大きな目がパッチリと開かれていると顔の表情が明るくなり、顔にスポットライトがあったように印象が変わります。二つの画像を見比べてみるとルーベンスの作品が明らかに、ゆったりしていて、明るい、違いがはっきりと分かると思います。これが、ルーベンスの作品が脳天気なほど明るく、ゆったりした印象を生み出すひとつの要因かもしれないと思います。そして、このようなルーベンスの作品の婦人は生き生きとして実在の人間としての存在感、具体的に誰と名指しができるような実在の人間のような生気が溢れています。これに対して、ティツィアーノの作品の少女は影が薄いのです。暗い背景に埋もれているような印象で、ルーベンスの婦人に比べると、模写したものとされたものですか似ているはずなんですが、こちらは整った顔立ちになっています。その分冷たい感じがして、生気があまり感じられないせいもあって、実際に息づいている人間という感じは、ルーベンスに比べると薄くなっています。もっとも、ルーベンスの画期漲る作品と比べるから、そう見えるのであって、これ一つだけを取り出して見れば、そんなことは思いもよらず、自然に見ることができでしょう。例えば、眉の付け根の描き方を比べて見て下さい。ティツィアーノの場合はスゥッと眉が半円のスッキリとしたラインとなって描かれているのに対して、ルーベンスは付け根の始点を強調し、そして眉の眉毛が生えていることをキチンと毛根が見えるかのように描いています。これは、ティツィアーノが人間の顔の形態に目が行っているのに対して、ルーベンスは実在の生きた人間の生々しいリアルさに目が行っているという違Rubenceprof2 いによるものでしょう。これは、ティツィアーノがマニエリスムの影響から抜け切れず理念的というのか理想の女性像のようなものとしてこの少女を描いているように気がします。ティツィアーノの少女の表情をみると湛えている微笑みは人間のというよりはニンフや天使のような印象です。そうして比べて見ると、ルーベンスという画家がイタリア美術の様式や技法に習熟していたが、ベースはリアリズムの人であることが明らかです。しかし、私の好みは影薄いティツィアーノ描く少女の方です。だからルーベンスは苦手…とはいっても、そういう苦手を自覚している人をも惹き付けるものを持っているのです。
 「髭を生やした男の頭部」。個性ある頭像というらしい、モデルの人間を筆写して理想化(パターン化)を加えて作品素材として図案化のような作業していって、実際に使われたらしいそうです。つまり、工房で働く画家たちが大作に描きいれる人物のお手本として使われたらしいです。技量がルーベンスに届かない画家たちは大作の中の部分を担当した時に一定レベルを求められので、ルーベンスの描いたお手本を写して利用することで、そのレベルをクリアしていた。そのように、他人がコピーして使いまわすための図案集のような機能を果たすためには、特定の人物の特徴をとらえていることよりは、老人の一般性が現われている方が利用範囲が広まるし、写しやすい。そのような実用的な要求が、実は作品に入ると理想化された普遍性をもった表現になっている、なんと効率的な事か。とはいっても、実際にこの作品を、今、見ると、すごく斬新な感じがしました。その理想化というのは、古代の肖像彫刻の類型表現のパターンに当てはめるようにして、リアルなモデルの描写をシンボリックなものに昇華させたという。そうすると、古代の神話や伝説、歴史的な場面に適したものとなる。しかし、そんなことを抜きにして、この男の頭部を見ると、額は狭く、落ち窪んだような目と鼻以外は髪の毛と髭に覆われている。激しく波打ち、巻かれた、もじゃじゃの髪の毛と髭に強いハイライトが入り、まるで金属のような質感とダイナックな躍動感があるのは、素早い筆遣いと、色遣いによるものでしょうが、この髪の毛の様を見ているだけで水際立った手際の良さにうっとりしてしまうのです。しかも、左から男の正面に光があてられて、金髪の髪の毛が照り映えるのと後頭部の影のコントラストが暗い画面でスポットライトを当てられたように浮かび上がるのは、カラヴァジョのようなドラマチックさこそありませんが、まさにバロック絵画の見本のようです。こんな素材集のようなスケッチでやってしまうのですから。ルーベンス本人が、このようなスピーディーな筆遣いでさっと作品を仕上げてしまう様子を何となく想像してしまいました。
Rubence2018seneca  ルーベンスによる素描も展示されていましたが、この頭部のように素材とするためのものや、下絵のためのもの、あるいはイタリアでの模写のような習作のような目的なのかは分かりませんが、たいていは作品になっていないので、研究者や熱狂的なファンでもなければ、面白くないのですが、今回の展示では、そのスケッチした対象の古代の彫刻が並べて展示されていました。それらを見比べると、ルーベンスという人は、描くのがうまいのは当然のことですが、全体像を把握するのが巧く、それを演出するように紙の上に再現していく、それをスケッチの段階でやってしまう人だというのがよく分かりました。
 「セネカの死」という作品です。ルーベンスの工房で制作された作品で、おそらく頭部はルーベンス本人の筆が入っているという説明でした。セネカは古代ローマのストア哲学者(ストイシズムの語源になった禁欲主義が特徴)で“暴君”ネロの下で自殺を強要されたと言われています。1.8×1.2mという大きな作品です。その画面いっぱいに男性の正面の全身像が描かれていて大迫力です。歴史的な場面であるはずですが、背景は省略された暗闇で、真ん中のセネカに上から光が降り注ぐように当てられています。それに対して、セネカの視線や姿勢は、その上からの光に向けられています。腕を切られて、出血しているにもかかわらず苦痛の表情はなく、上からの光に意志的に向かっている、まるで、今からそちらへ行くと訴えているかのような表情です。その上空を見上げる様子は殉教者を髣髴とさせ、湯の張られた盥は洗礼盤を思わせると解説されていました。背景が省略されているのは、古代ローマの場面にしてしまうと、殉教者になぞらえる象Rubencefukkatu 徴性が表われてこないで、現実の自殺の場面になってしまうからでしょうか。この画面いっぱいに、真ん中のセネカを取り囲むように4人の人物が描かれていますが、これらの人々は光が当たっていないか、光に気付いていない。彼らの視線は上に向けられていないで、セネカに向けられています。そのためか姿勢は下向きになっていて、独り上方に向かうセネカと、他の下に向く人々という対照関係があるようです。まるで、セネカ以外の人々は天から下の現世でうごめいているという対照です。しかし、その4人の人物の、それぞれの思惑というのが、この描き分けはきっちりされていて、その中心にセネカがいて、当のセネカは、彼らの交錯した関係から超然として、上に向かっている。ルーベンスという人は画面構成での演出に秀でた人であることが分かります。おそらく、画面構成を設計して、そのデザインのもとに工房の画家たちに描かせたのでしょうが、その設計図が巧みなので、例えば、セネカの頭部と身体にギャップがあるのですが、あまり目立ちません。セネカの身体、というより肉体は、ルーベンスの豊饒で力強い肉体というよりは、イタリア絵画のスマートな感じで、その点は面白いのですが、顔に比べて緊張感に欠けて、弛んでいるような感じがします。腕を切られている、そういう危機感というか切羽詰ったものがなくて、やたら筋肉の凸凹が強調されているような感じで、老人の肉体にも見えません。数年前のルーベンス展で見た「復活のキリスト」の似たような構図で描かれた肉体表現と比べてしまうと、何か違うと感じてしまうのです。

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