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2019年2月 9日 (土)

ムンク展─共鳴する魂の叫び(7)~3.夏の夜─孤独と憂鬱(2)

Munchred  「赤と白」という1899年ごろの油絵です。夏の夜の浜辺の薄明かり下で、二人の女性が描かれています。白い服を着た金髪の女性は海の方を向いて直立の姿勢でいます。一方、赤い服を着て、濃い髪色の女性は正面を向いています。この二人の女性の姿は、女性の生涯の異なる段階、あるいは性格の異なる側面を象徴していて、白衣服を着た女性は無垢と純真さを、赤い服を着た女性は成熟と情熱を表わしているという解釈があるそうです。例えば、正面を向いた女性を横長の画面で描いたという点で共通点がある(かなりこじつけですが)エドゥアール・マネの「フォリー・ベルジェールのバー」と比べて見ると、この作品の特異性が見えてくると思います。約17年前に制作されたマネの作品は正面を向いた女性像です。背後は大きな鏡で酒場の光景が映っていますが、そSchjerfbeckmane れゆえにか平面的で奥行きがない画面になっています。しかし、その描法は点描のように煌びやかな照明に照らし出される華やかで虚ろに光る人々の衣装や装飾品が点々と描かれています。これに対して、「赤と白」の方は平面的な画面であるけれど、月明かりか星明りの薄明るい下でうすぼんやりとしているからというわけでしょうか、マネの点描のような光の粒子のような描き方に対して、ムンクはベタッ絵の具を刷毛で塗りつけるような描き方をしています。しかも塗り方にムラがあって、まるで波打っているようです。しかし、その塗りムラは背景の浜辺の波が水平であって浜の石が渦巻きであるのに対して縦の波模様のようです。それらが何らかの動きをつくって、そこに見る者が潜在的にかもしれませんが印象をうけるようなものとなっている。つまり、ベタ塗りのように見える、女性の衣装や髪は平面的な面になっていますが、それらは衣装とか髪といった姿とはべつにその不定形な面として、それ自体にある種の意味が生まれているのです。マネの場合は、女性や酒場の風景から、その形や色彩といったものが抽象化されて、それが点描的な描き方で突出するように強調されています。その形とか色彩といったものは絵画の本質的な要素です。この後の時代の抽象化された絵画、例えばキュビスムや抽象画はそういう本質的な要素を極端に突出させたものと言えます。これに対して、ムンクの作品の色の塗りムラというのは本質的な要素ではなくて、末端の要素です。絵画の視覚的な理念とは正反対の、どちらかというと触覚に近い感触のものです。抽象化というのが具体的で個別的なものから普遍的で理念的な方向を目指すとすれば、その逆の目先の個別的な手で触れるような方向です。それだから、ムンクの場合は触覚的な方向に進んでいけば、視覚的な本質要素である形とか色といったものから離れていくことになる。つまMunchstar り、理想的な形を追求(自然主義絵画もそうだし、セザンヌやキュビスム)したり、色の関係によって画面を構成させる(カンディンスキーやモンドリアンのような抽象画の方向)ことからも離れることになり、形や色はぼんやりとして、人によって見えてくるものが違うのだから、その共通している最低限の部分だけ用いて上げればよくて、その共通をベースに、あとは個別的な触覚の要素で画面をつくっていく。そうなると、結果的には近代絵画の自然主義とは異なる画面が出来上がることになりますが、それは、近代絵画の理念を突き詰めた抽象化された絵画とは方向性が反対のものとなっている。それが、このムンクの「赤と白」という作品に生まれてきていると思います。私には、ムンクの特異性は、こういうところにあるのではないかと思います。
 「星空の下で」という1905年頃の油絵です。二人の女性は「赤と白」の場合のように別々であったのと違って抱き合っています。この二人の姿には様々な解釈、深読みが可能で、例えば二人の間の愛と欲望という不変の現象を表わしているというとも、二人の内のこちらに顔を向けている方は吸血鬼のように相手の活力を吸い取っているという人の喪失を象徴しているとも、解釈が分かれているようです。それよりも、背景の星空の粗雑と言えるMunchbeach ほど塗りムラが大きくキャンバスの地が透けて見えてしまっているような夜の空が、結果的にゴッホ晩年の星月夜の波がうねるような夜の空と似たように見えてしまっているのです。
 「浜辺にいる二人の女」という1898年の木版画です。「赤と白」のところで述べたように着色したりして区切った面に意味があるという方向性では、木版画は面にインクをつけて紙に刷るわけですから、油絵よりも特化させた手法ということになります。ムンクは、当時のパリでゴーギャンが試みていた木版画の手法を最高にして、版木で刷る面を大きくとって、木の肌、つまりは木目がグラデーションの模様のようにうつるような手法を試みた。この作品での海岸、女性、海など別々のブロックの版木で、パズルのように重ね刷りすると、それぞれのブロックごとに配色を自由に変えられる。そこで、きっと様々なヴァリエーションを試みたのではないかと思います。結果として、ここでは2種類が展示されています。この作品でも二人の女性について象徴的な解釈が行われているようですが、それはそれでいいのですが、そういう形態の解釈では、色を変えたり、版木の肌触りがムラとなって刷られ出てくる効果といったことが考慮されていない。むしろ、ムンクの作品では、こちらの方が象徴的な解釈なんぞより、見る者に対する効果を画家は考えていたのではないか。それによって見る者に生まれる雰囲気というのか、視覚的に明確ではないのだけれど、明確にできないけれど何か感じるところがあるような肌触りとか匂いとかいったようなもの、です。

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