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2019年2月 6日 (水)

ムンク展─共鳴する魂の叫び(4)~2.家族─死と喪失(2)

Munchsick  「病める子」というエッチングの版画作品です。これは、10年ほど前に描いた同じタイトルの油絵作品)を左右反転させたコピーのような作品です。まるで。ポジとネガといった写真のような関係です(現代のデジタルカメラしか知らない人には、何のことか分からないかもしれませんが)。今回の展示にはありませんが、この油絵作品は死の瞬間を悟ったかのように物憂げな表情で窓の外を見やる少女と、その少女の隣に寄り添いつつ、頭を垂れる女性を描いた作品です。ムンク自身が「私の芸術における突破口」と語ったという、初期の自然主義的な表現からの脱却を示す作品ということで知られているそうです。
 横顔の少女は死のベッドに横たわって、明らかに困難な呼吸困難、高度な重度の結核の症状を示しています。彼女は、後ろの壁に掛け隠し大きい濃厚な白色枕によって腰から下支えされています。彼女の下半身は重い毛布で覆われています。その毛布は緑と黄色で病気の隠喩だそうです。彼女は赤い髪をしており、肺結核の隠喩で、虚弱で、病的に淡白で空いているように見えます。多くの美術史家は死の象徴として解釈され、彼女の左に暗いと薄暗いカーテンは不吉な悪い前兆、少女の死が差し迫っていることを表していると言います。黒い服を着た黒髪の年上の女性が、少女のベッドサイドに座って、彼女の手を支えます。両者の結びつきは、各作業の正確な中心に位置する両手を握り合っていることによって確立されます。それは二人の人物が深い感情的な絆を共有することを表わしています。批評家パトリシア・ドナフエの言葉では、その年上の女性は「それ以上は何もできないことを知っている子供が、忍耐の終わりに達した人を慰めている」と、この女性の頭は、少女を直接見ることができないようなほど苦痛を帯びていて、彼女の顔は見えなくなり、鑑賞者は彼女の頭の上だけを見ることができます。ボトルは、左側のドレッシングテーブルまたはロッカーに置かれます。ぼんやりと描かれたテーブルの右側にガラスが見えます。そして、作品の主題となる少女以外は色彩が抑えられて描かれていることにより、少女の描写が際立つようになっています。また、ムンクは細い縦縞模様に絵の具を滴らせ、絵の具を厚く塗ることにより、作品に濃い色彩の層を作り出している。さらに、線を掻き削り、溶剤でぼかし、その上に絵の具を重ねることを繰り返すという独特の様式で描かれたといいます。それによって、少女以外の描写はぼんやりとしたものとなり、現実なのか死の幻想なのか判別し難いものとなっています。
Munchsick2  そして、この作品を発端として以後40年にわたり、6点の絵画や版画の3つのヴァージョンが制作され、そのうちの版画のヴァージョンが今回、展示されています。これは、後に<生命のフリーズ>と呼ばれるプロジェクトとしてまとめられることになると説明されていました。建築のフリーズ装飾を念頭に構想されたということで、この作品をはじめとして1980年代に取り組んだ絵画作品のモティーフを取り出して、組み合わせることによって連作を制作する。とくに、版画の手法で様々なヴァージョンを生み出した。その多くが、今回展示されているというわけですが、ムンク自身によれば、<生命のフリーズ>は現代の魂の生活を描写し、それは生から死までの人生─愛の始まり、高まり、闘い、消滅、生への不安、死として解釈される。要するに、愛との出会い、不安、死という人間の根源的な体験を取り上げるという芸術的プログラムだったということです。そういう、画家自ら語っていることもあって、ムンクという画家のイメージが作られていったのでしょうか。それで。この版画作品ですが、ここではモノクロという版画の制約が、却って、自然主義の油絵の実際の色彩を塗るという制約から自由に、色のことを考えずに作品を制作できるということになってきます。それは、この次に展示されている「病める子Ⅰ」「病める子Ⅱ」で具体的に示されることになります。この版画になった作品で見ていると、画面の二人の人物の形も自然主義的ではなくて、人形のようなパターン化しています。この形だけをみると、高山辰雄という日本画家の作品の人物に似ているように見えてきてしまいます。それだけ抽象化させていると言うことになるかもしれませんが、このようなパターン化はパーツとして使いまわすのに好都合です。ところで、先日、となりの西洋美術館でルーベンスの展覧会を見てきたのですが、ルーベンスという人は、工房を開いて多数の画家や職人を下働きさせて、彼らとの協同作業で作品を量産したわけです。その際、彼らに描かせてルーベンスの名前で最終的に作品を仕上げるために、品質を言って以上にしなくてはならず、そのために、人物などは一定の型のようなものを設定し、その型を彼らに描かせて、それを画面の中で巧みに構成配置をしていくことで、パーツの質が多少劣るところがあっても、画面全体としては見栄えのするものとなっていました。ルーベンスは人海戦術でパーツを使いまわして、それを巧みに構成することでオリジナリティや品質の高さを創造していた、構成設計の人といえます。ムンクも、同じパーツを使いまわすという点で、ルーベンスと似たところがあると思います。バロックの画家と近代の画家を同じ土俵に並べて、似ているというのは荒唐無稽と言われるかもしれません。ムンクの場合は、ルーベンスのような複雑な構成の大作を制作するわけではないので、複製とかコピーといった現代の消費文化に通じるところがあって、パーツを違った作品で同じように使いまわして、反転させるとか、色を変えるといった、ちょっとした差異を施すことによって、ヴァリエイションを作り出していった、と言えると思います。それは、さきほど触れたように近現代の生活文化が複製というものが浸透して、消費生活は複製の差異で成り立っている、例えばブランドが典型的ですが、そういう文化がベースとなって、ムンクの作品が受け入れられる土壌を作っていると思えるのです。それをムンクが自覚的に計算してやっているかは分かりませんが。

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