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2019年2月 5日 (火)

ムンク展─共鳴する魂の叫び(3)~2.家族─死と喪失(1)

 ここからは、ムンクの生い立ちに沿っての展示になります。まずは、若い頃の習作のころから。
Munchkaren  「カーレン・ビョルスタ」という作品です。ムンクの叔母に当たる人だということですが、自然主義的なちゃんと描けた絵画です。具体的な証拠といえるものを指摘できるわけでもなく、私の個人的な偏見なのかもしれませんが、この作品もそうなのですが、光が、例えば南仏の強い陽光とも、フランドルのどんよりした暗さとも違う、北欧の透明な光が、それを通して見えてくる独特の色彩が、この作品にはあるような気がします。淡いというのか、透明感というのか、とくに背景につよく、それを感じます。これは、私の北欧の画家を見た数少ない経験から言っているので、確かなこととは言えませんが。例えば、フィンランドの画家、ヘレン・シャルフベックの初期の作品の落ち着いた色調と似ているように感じられるのです。ムンクは。パリに出て画家達と交流したり、学んだりしたということですが、この色調は印象派の画家たちにはないものですし、それが個性として自覚されたのではないか。その個性をアッピールして、他の画家達と差別化をはかるということで見出された題材というのが、一般的なムンクの題材とされるものだったのではないか、と思われてきます。それは、さきにあげたシャルフベックもそうですが、その他にもハンマースホイとか、これらの人はムンクのように死とか不安といったものを前面に出すようなことはしていませんが、そういうものを感じさせる雰囲気をもった作品を制作していました。ムンクは、それを意識的に行ったのではないかと思えてきます。
Schjerfbecksick  「死と春」という1893年の作品。ムンクらしくなってきました。棺に横たわるのは姉のソフィエでしょうか。窓の外には、春の新緑がまぶしい。ムンクの有名な作品は総じて丁寧に画面を仕上げたとはいえないような粗っぽく見えてしまうものですが、この作品では、その兆候はありますが、まだ多少は丁寧に絵の具を塗っているようです。とくに、窓の外の淡い緑を基調とした部分は、その緑がまぶしく映るように色もしっかりしています。しかし、画面の中心である、遺体については顔の部分はそれなりに描かれていますが、それ以外のところはパターンのようで、横たわる身体はとってつけたように、それらしくなっている。しかも、彩色は白に青を混ぜたような絵の具の塗りにムラが目につく。キャンバスの下地が透けて見えているところもあるほどです。陰影も殆どなくて、ベタ塗りのように平面的です。まるで、立体的に描くということを気にしていないかのようです。これでは、立体感ある人の身体に見えない。そMunchdeath もそも、肉体としての存在感がないのです。それは、考えてみれば、遺体という物質としては存在しているかもしれませんが、人としては存在していないに等しい、そういう存在感のなさというのは、ちょうどよいかもしれません。むしろ、この後の作品を見ていると、ムンクという人は、こういう絵の具の塗り方をするような描き方をするようになっていったので、それに適した題材として、このような存在感のない方がいいもの、例えば人の場合であれば、死人(死体も含む)とか幽霊のようなものだったのではないか。それは、前のコーナーの自画像でも見てきましたが、演技への指向(嗜好)がムンクという人にはあるようで、この作品でも、窓からのぞく屋外の新緑の風景と室内の遺体が置かれている大きな部分を違った描き方をしていて、いってみれば、その大きな部分を占める室内を手抜きのような感じで描いて、一部でしかない窓の向こうを緑鮮やかに丁寧に描いて見せています。そうすると室内の薄っぺらさ、寒々としたところが目だってきます。そういう演出をするためには、画面の中心である遺体は存在感のない方が好都合です。逆に考えると、存在感のない死体を題材とすると画面Munchdeath2 の演出がやり易くなる。例えば、続いて展示されていた「死せる母とその子」というエッチングの版画作品です。遺体で横たわっている母親の姿は、「死と春」の遺体を左右反転して使われている。ほとんど、パソコンで図をコピー・アンド・ペーストして反転させたようなものです。若くして死んだ姉の遺体と子供を残して死んだ母親の遺体は、年齢も離れているし、死の状況も違っているはずなのに、同じ物体として使いまわされている。そういう使い方に都合がいいのは、個性があって、いま、ここで生き生きと存在しているものとは正反対のもの、そういう動きがないものが好都合です。ちなみに、この「死せる母とその子」の頭を抱えて悲嘆にくれている子供の姿は、後の「叫び」のポーズの先駆と言えるほど似通っています。このことは、後で「叫び」を見るので別にしても、ムンクという画家は、死とか不安をテーマとして描いたというのではなくて、彼の描き方にとっては、死とか不安を連想させる題材がちょうどよかったから便宜上とりあげた。ちょうど時代の雰囲気に適合していたこともあって、ムンクも積極的にとりあげた。そんな推測を、この作品をはじめとした展示を見ていて思いました。

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