小津安二郎監督の映画「東京暮色」の感想
「晩春」以降の小津安二郎監督作品の中でも失敗作という人もいる。かつて、植民地勤務で東京を留守にしていた折に妻に逃げられた初老の銀行家の娘が、不良とつきあううちに妊娠し、子供を堕ろしたうえで自殺するというストーリーと、他の小津作品にはない暗く湿った雰囲気の画面とが相俟って、後期の小津作品の中では人気も評価もいまひとつと思う。しかし、そうなることは、小津自身にも分かっていたのではないか、それでも彼は、この作品を撮った。否、撮らずにはいられなかった、そう思うが故に、この作品こそは、小津が映画作家である証しのような作品であると思う。この作品は、後期の小津作品の代名詞ともいえる笠智衆と原節子が共演した紀子三部作の陰画のような作品になっていると思う。例えば、『東京物語』の有名な早朝の熱海の海岸で背中を並べて佇んでいる老夫婦をバックから捉えたシーンを、この作品では有馬稲子が恋人の田浦正巳に妊娠したことを告げるのが同じように東京湾に向かって二人が並んで堤防に腰をおろしているのをバックから撮っている。しかし、ここには老夫婦の心の通い合いとは違って、心を通わすことのないそれぞれが自分のことしか考えていないそれぞれに孤独な男女がいるだけだ。この作品では、後期の小津作品のスタイルの画面が作られているにもかかわらず、その意味とか観る者が受ける印象が陰画のごとく逆方向を向いている。父親を演じる笠智衆は『晩春』の父親と同じように振る舞っているが、『晩春』では娘をさりげなく見守る人の好い父親になっているのに、この作品では善意に逃げる愚鈍さゆえに、妻に逃げられたうえに娘まで失ってしまう依怙地な銀行員になってしまっている。つまり、代表的とされている小津作品は表の面に過ぎず、実はその裏面として、この作品の世界があり、その二つが表裏の関係にある。だからこそ、小津は、この作品を撮らずにはいられなかったのではないか。おそらく、この作品を見ると見ないとでは、例えば『東京物語』の見方が変わってくると思う。
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