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2019年3月24日 (日)

イサム・ノグチと長谷川三郎─変わるものと変わらざるもの(1)

Hasegawapos2 2月の中旬に横浜美術館で見てきた「イサム・ノグチと長谷川三郎─変わるものと変わらざるもの」の感想をまとめました。
 横浜は普段の私の生活圏からは少し離れているし、さらにこの美術館は地理に慣れていない者には横浜駅からは行き難く感じられるため、なかなか行く機会がない。以前にも駒井哲郎の回顧展なども、行きたかったが機会を逃してしまった。それに、この美術館は外観の立派さを優先しているのか、私のような利用者には不親切な建物で、およそ作品鑑賞するのに意地悪を心掛けているかと思わせるような建てつけになっているので、積極的に無理をしてでも行こうとすることがないこともある。無理して行って、箸にも棒にもかからないようなおそまつなプーシキン美術館展のようなものに当たってしまった苦い経験もあった。今回は、イサム・ノグチには関心も興味もないが、長谷川三郎という人はよく知らないものの、見る機会がなく、興味だけはあった。この日、海外出張が終わって、羽田空港に比較的早い時刻にもどれたので、そこからは比較的近いと思って、少しまわり道して寄って見ることにした。土曜日で天気の良い午後、みなとみらいという場所らしく、家族連れなどで賑やかだったようだが、美術館は空いていた。静かな、というより閑散に近い展示環境。出張帰りの疲れもあって時間をかけてゆっくり見てまわる余裕は持てなかったが、最低限、見るものは見ることができたという感想だ。
Hasegawapos まず、二人の紹介を兼ねて主催者のあいさつを引用します。“この展覧会は、戦後間もない占領下の東京で出会い、強い友情で結ばれたアメリカの彫刻家イサム・ノグチと日本の画家長谷川三郎とが、同じ芸術的理想を求めて共に旅し、研究し、対話し、助け合い、それぞれに新たな創造世界を切り拓いていった過程をたどります。1946年ニューヨーク近代美術館で米国を代表する14人の新進芸術家のひとりに選ばれたイサム・ノグチは、彫刻が人々の生活に根付き、社会で重要な役割を担っていた時代の遺構を求めて地球を一周する旅に出、1950年5月に最終目的地の日本に到着しました。長谷川三郎は1936年から抽象絵画を手掛け、欧米モダニズムの潮流や日本と東洋の美術史、思想に通じ、美術における登用と西洋の問題に取り組みながら、将来の日本美術の採るべき道を見定めようとしていました。ノグチと長谷川はすぐに意気投合し<、共に古い文化遺産を関西に訪ね、仏教学者久松真一ら知識人と面談しました。庭園、建築、水墨画、書、茶道、埴輪、土偶、銅鐸、陶芸、俳句、禅、道教、それらの日本と東洋の古い文化遺産の中に、時代や文化、言語の違いを超えて人に語りかける「生きている」本質を見出し、それを新たな創造の糧とした点で、ノグチと長谷川の姿勢は一致していました。本展は、ふたりの1950年代を中心に、ノグチでは、魯山人の釜場で焼いた陶の作品。1950年代に始めた《あかり》、広島の原爆犠牲者メモリアルのマケットなど、日本で制作された多方面にわたる作品の他、長谷川との対話で深化した日本の美と東洋思想の理解を反映した、鋳鉄、石、バルサ材、アルミ板の作品群など約50点が展示されます。長谷川三郎の作品では、《蝶の軌跡》をはじめとする戦前の抽象絵画、実験的な写真作品、ノグチとの出会いを経て生まれた《桂》も《狂詩曲漁村》など版木や拓刷による大型作品、日本で紹介される機会のなかった1954/55年の渡米以降の墨にわる作品などよる作品など約70点が出品されます。70年前にノグチと長谷川が取り組んだ、地域固有の伝統と外来の影響とり、世界規模の交流と文化の独自性とのバランスをいかに実現するかという課題は、グローバル化が進展する今日の私たちにとってより一層切実になっています。本展の作品群に結実した彼らの理想主義的芸術ビジョンは、多くの示唆を与えてくれるに違いありません。”長くなりましたが、私は二人のうち、シサム・ノグチに興味がないので、二人の交流とか、あいさつの最後のあたりのことは考えるつもりもないので、このことは無視して、主に長谷川三郎の作品について見ていきたいと思います。

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