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2019年4月

2019年4月25日 (木)

決算説明会見学記~名物経営者も思考の硬直が?

 懇意にしてもらっているアナリストのご厚意で、今回も、N社の決算説明会を見学してきました。
 今回の説明会は、少し様子が変わって。会場正面のスクリーンの下に経営陣がひな壇のように並んでいました。説明会のやり方も、N会長のワンマンショーから、まず新社長たちに喋らせて、Nさんはその追加説明にあたるという構成になっていました。といっても、大半の時間はNさんがしゃべっているので、実質的には、あまり変わらないという感じでしょうか。
 説明の内容のほうは、中国市場の状況変化を理由とした業績予想の下方修正や、M&Aの発表などで話題に事欠かないので、出席者も座席が足りなくなるほどの盛況でしたが、その中で、現在の景況は悪いと断言し、既存製品の売上が減速し、新製品が伸びたのでカバーできた、ということで。これを機に、一気に構造改革をするという、いつものパターンですが、従来の製品と新製品とを入れ替えてしまって、生産体制なども再編成すると。従来の構造改革では手をつけなかった子会社の事業再編も進める(例えば、子会社同士で重複している事業をまとめて、それぞれの子会社を専業化してしまうなど)という説明でした。とくに車載関係は、中国ではガソリン車は減速したが、EVやPHVは倍増していて、その分野の成長余地は大きく、関係の競合会社の規模は小さいので、ここでシェアをとって市場の成長に乗って、規模を拡大させるという。その説明の傍らで、日本の自動車関係のメーカーは自動車のコモディティ化の波についていっていないので、家電の二の舞を踏みそうだと、自説を展開していましたが、Nさんは、その波にいかに巧みに乗ることが勝機だと考えているようでした。
 いつものとおりパワフルだと、最近、日本経済や情勢に対して、一家言を加えることが増えたと思っていたら、最後にちょっと機になる事がありました。離れしていない女性の質問者が「今後の中国市場で事業を展開していくうえでのリスク」を質問したところ、Nさんが質問の意味が分からず、私が見てもとんちんかんな説明から、自説の開陳になってしまって、質問者は戸惑うばかりだった、という一幕がありました。Nさんが、その質問者を少しイジったりして会場は笑いに包まれたのですが。考えてみれば、説明会でのアナリストたちの質問は大同小異のマンネリでもあり、それに答えるNさんもパターンが固定してしまっているので、ひのパターンから外れた質問が理解不能になっている。そう見えました。しかも、質問の内容からみて、この会社はイケイケだけれど、守りとか受けに回ったら、コロリといってしまうのではないか、と心配になりました。というのも、今回の説明の景気悪化の認識での構造改革も、内容は進化しているといっても基本は過去のパターンのくり返しで、目新しいことはないとも言えるわけで。いまのところ、当分は、会社に勢いがあるから大丈夫なのでしょうが、危機感は当然、経営陣も持っているのでしょうが、それが硬直化しているのでないか、というと言いすぎですが、ちょっと思いました。

 

2019年4月21日 (日)

小津安二郎監督の映画「彼岸花」の感想

11111  小津安二郎監督の初のカラー作品ということで慣れないのか、前作『東京暮色』が陰影の濃い画面だった反動からなのか、照明が行き届すぎて、日本間というには影がなく、しかも有名な真赤な魔法瓶といったような非日常的な原色が散りばめられていたりして、まるで宇宙ロケットの中のような抽象的な空間をつくっている。しかし、そこで演じられているのが、前作『東京暮色』をそのまま移したようなドラマで、娘役は前作で自殺してしまった有馬稲子で、ここでは父の理解をえられぬまま東京を離れねばならないという、まるで前作を引きずっているかのように、後期小津作品の娘役では珍しいほど、俯いている姿勢と、泣くシーンが多い。また、佐分利信の演じる父親の頑迷さで娘を見ていないところは、前作の笠智衆に強引さを加えたようなもの。その笠智衆は、男とともに家を出て、バーで女給をしている娘の父親として俯いている。小津は一度噴出してしまったドロドロとしたものを抑えることができないように見える。そこで、『東京暮色』の暗く閉塞したような空間とは正反対の、抽象的な、つまりは浮ついたような空間をつくり、さらに、山本富士子の演じる京都の旅館の娘の佐分利信を煙に巻くようなコミカルな存在や、この後の作品で定番となる中村伸郎や北竜二などの男たちが料亭の座敷で女将をからかいながら他愛もないギャグをかわす場面など作品をコミカルな雰囲気を作ろうとしている。そのためか、全体として一貫していない、どこか分裂した印象を受けてしまう。この作品では、佐分利信、田中絹代、有馬稲子などの家族に、「そんなものかね」といった内容のない相槌と微笑を鸚鵡返しのように交わす儀式のような会話も見られず、娘の結婚前に箱根に旅行した場面でもボートに乗る娘たちを湖岸で見ている夫婦は、『東京物語』の熱海の海岸の老夫婦が背中を並べるように、並んで同じ方向を向いていることはほとんどない。後期の小津作品の中で『東京物語』までの紀子三部作から晩年の作品への変化を、この作品で小津は試行し、迷い、悩んでいる。それだけに、小津が普段見せない、どろどろしたところ、真情を、それを隠そうとしているところまで垣間見ることのできる作品ではないかと思う。

2019年4月16日 (火)

デビッド・リーン監督の映画「ドクトル・ジバゴ」の感想

111111  冒頭。プロローグのような、アレック・ギネスが弟ジバゴの遺児を探してダムの工事現場を訪ねる。終業時間となって労働者が出てくるところ。巨大なダムを、吐き出される労働者の何百、何千人もの群れが埋め尽くすのを、ロングで広角のように撮っていると、まるで人の群れが風景のようになってしまう。そういう空間に圧倒されたところで、本編が始まり、シネマスコープのひろがりいっぱいの白一色の雪原。人で埋め尽くされた空間から、雪で白一色の空間に、その広がりは、映画館のシネマスコープの大きな画面では、目の前に広がる以上に、覆われてしまうような感覚となる。
 それが、この映画のドラマで、他のシーンもあるのだけれどジバゴが徴用された赤軍パルチザンから脱走して、ひとりで雪原を彷徨するするシーンは、白一色の広大な空間の中で、たった一人の人間であるジバゴをロングショットで撮っていると、小さくなって点になって雪原の白の中に融けこんで消えてしまう。人間の小さを表現しているとか、そんな悠長なことを言わせない圧倒的な空間のひろがりの美しいといかいえない、実はそれがドラマを作っている。それ以外のシーンもあるのだけれど、基本的に、人物は引き気味で、カメラが寄らない。ちっぽけな人間、その個人のチマチマした表情とか感情とかは突き放している。そこで語られるジバゴとララーの二人の恋愛。恋愛ドラマのラブシーンなんぞより、二人が画面にいるということが実は大変なことだ、とうのが画面で示されている。それは、室内の黄色いひまわりだったり、とにかく人が白い雪原に消えてしまわないのだから、二人の存在そのものが画面に映し出される。それは残酷であり、ひたむきであり、はかなく、そして美しく映った。

 

2019年4月15日 (月)

パリに生きた銅版画家 長谷川潔 展─はるかな精神の高みへ─(8)~Ⅶ.はるかな精神の高みへ─「マニエル・ノワール」の静物画(1950年代末~1969)

Hasegawakistill  1950年代後半から長谷川は1920年代に制作していた上下左右斜めに交差する線で下地をつくる手法とは異なり、細粒な点刻で下地をつくりという手法で、その効果として漆黒のなかからモチーフを白く浮かび上がらせる、「マニエル・ノワール」の静物画を多数制作したといいます。
 「玻璃球のある静物」という1959年の作品です。1930年代にメゾチントの手法で制作された、例えば前のコーナーで見た「オランジュと葡萄」ではモノの立体感を画面一杯に表現しようとしていたのが、この作品ではテーブルの位置から、それぞれのモチーフの置き方まで、意図的に画面を構成して空間全体を創作しようとしています。したがって、「オランジュと葡萄」では目前にうつる光景を描こうとしているのに対して、この「玻璃球のある静物」では、この画面をひとつの完結した空間として創造しようとしているように思えます。この画面の吊るされた小鳥の玩具は精神または長谷川自身を、ガラスの球は周囲の事物を映し出す鏡あるいは世界を認識する精神的活動を、木蔦は忠実さを、貝殻は生命の再生を多角形のガラスの文鎮は古今東西の論文や詩歌が書かれた紙片を失わないように押さえておく物を意味すると解説されていました。
 Hasegawakistill2 この時期に制作された静物画では、長谷川が自身の思想から独自に意味を与えたオブジェや草花、小鳥などで構成された静物画で、例えば小鳥は精神あるいは長谷川自身、水は生、魚は物質、球体は世界、円環は個々の人間の業績の大きさ、チェスの駒は階級、木蔦は誠実などの意味が付され、それらのものが各作品にくり返し表われて、画面のなかで一定の構図の中に配置され、自然や宇宙をめぐる思想をひとつの空間として表現しようとされている。というように解説されています。「小鳥と二つの枯葉」という1964年の作品について、長谷川自身が“小鳥が二枚の木の葉の形を不思議そうに眺めている、ここでは、すべてが律動的である(中略)まるで音楽のように。この世のすべてのものが、宇宙の根本法則に従っている。そしてこの宇宙では、すべてがリズムなのだ”と語っているそうです。そり返った枯葉の葉脈、松ぼっくりの波形模様、落ちた種の粒々などに目を向けたといいます。
Hasegawakistill3  「飼い慣らされた小鳥(西洋将棋など)」という1962年の作品では、チェスのキング、クイーン、ナイトが上流階級の代表を、チェス盤の外に転がるボーン(歩兵)の駒は身を守る術を知らない哀れな男を、ハートのエースは精神と感情を、小鳥が止まっているクラブの2は物質や金銭を、コップの水は生命の泉を、小鳥は長谷川自身を意味すると解説されています。
 これらのように、長谷川は形態を見る、そして描くという基本姿勢を決して崩しません。
Hasegawakitime  「時 静物画」という1969年の作品は、この展覧会のポスターでも使用された作品ですが、画面中央には鳥の目が位置し、自然の様々な要素を見るということが中心に置かれている。その目を取り囲むようにリングがある。このリングは宇宙の完全さのシンボルとも、あるいは、このリングの中心には鳥の嘴と一致するように、両者には重なり合っていることから、小鳥は長谷川自身で、リングは人間の業績とその大きさを表わすとも言われているそうです。また、砂が落下する砂時計の中心線に対して、机上に置かれた植物などはそれと直交するように水平に並べられ、それが規則的で安定した配置の秩序を作り出し、漆黒の深い闇から、その秩序が浮かび上がってくる。砂時計は運動・はかなさ・時間、植物は生と死の象徴などと言われているそうで、自らの生も生物の生命も宇宙と時間の内にあることを伝えようとしたという解釈もあるということです。そこまで、いろいろと考えなくても、背景の黒の深みと、その黒をバックに浮かび上がるモチーフが相互関係がよく分からなくても、なんとなくそこに自然さとまでは行かなくても、静寂を伴う穏やかな秩序のようなものを感じることができる。見ていて吸い込まれるような感覚に捉われる作品です。
Hasegawakiaka  「アカリョムの前の草花」という1969年の作品です。水槽(アカリョムとはフランス語で水槽の意味だそうです)の前に様々な草花を入れた花瓶を置いた際に、水中を泳ぐ魚と花瓶の草花とが微妙に融合し、あたかも花と蝶々の関係のように魚が草花に入り、花から魚が出てくるような感覚を覚えて制作されたと説明されていました。花瓶の影からすると右方向から光が当たっているように見えて、他のところではそうなっておらず、この画面がリアルな現実の世界とは異なるものであることがさりげなく表わされている。
 これらの作品を見ていると、長谷川は、あくまで形態を見るという姿勢を崩すことはありません。しかし、その形態をデザインされた図案のようにパターン化をすすめ、しかし、それは夾雑物を取り除いて抽象化する方向ではなく、誰にでもそれと分かるような人々が、その事物に対して持っている共通の部分を単純化させるという方向です。一種の記号、あるいは象形文字に通じるような方向ではないかと思います。それらを、組み合わせて画面を構成することでつくっていく。これは、辺とつくりを組み合わせて漢字が作られるのと似ているとおもうのですが、長谷川は、その組み合せを現実にはありえない組み合せで進めようとします。しかも、そのありえない組み合せを、異常だとか理不尽だとか、見る者に違和感をもたせることなく、普通の世界であるかのように見せてしまうものとなっている。それが、この時期の長谷川の作品の神秘的なところ、異世界と現実の世界が隣り合っていて、というよりも融合してしまっていて、それを観る者が普通に見てしまう。その手法が、マニエル・ノワールの独特の画面の雰囲気だったりすると思います。
Hasegawakigirl  これは、個人的な想像ですが、長谷川という作家が形象を見るという姿勢を崩さなかったことによるものなのかもしれないとおもいます。つまり、近代絵画の様々な潮流はキュビスムにしても抽象にしても、見ることの意味を様々に考えていたと思えるわけで、そこには見るということに対する懐疑が底流にあったと思います。それまで当たり前だった見るということに対して、それでいいのかという問いかけが、当たり前でない意味での見ることをしていった。それに対して、長谷川はその当たり前にとどまり続けた。しかし、その自明さを突き詰めていくこととなり、それが、いつしか形態の単純化、パターン化となって表われましたが、その単純化は、西洋絵画の時代を遡り、人体をリアルに写生したり、奥行きのある空間を平面に描こうとして複雑になったルネサンス以前の中世のパターンのようなイコンや、もっと昔のアルカイックな図案、例え古代ローマの壁画や陶器に描かれた図案のような、単純なものに、結果として近づいていったのではないかと思えるのです。長谷川が銅版画のメゾチントという古い手法を蘇らせたのは、新規に始める方向ではなくて、このように遡ることになる方向の副産物ではなかったか。だから、長谷川の作品の神秘的なところ、異世界と現実の世界が隣り合っていて、というよりも融合してしまっていて、それを観る者が普通に見てしまうというのは、古代の神話と現実の境目がはっきりしていない世界に通じているのではないか。長谷川の作品に漂っている静けさは、古代のアルカイック・スマイルの穏やかさに通じているように私には、思えます。最初のところで、スペイン・バロックのボデコンと呼ばれる神秘的な静物画を想わせると、個人的なコメントをしましたが、しかし、長谷川の静物画には光と影の強烈なコントラストからうまれる峻烈さの要素はなく、画面は平静で穏やかさで終始しているのです。そこに宗教的な信仰の要素を、私は認めることはできませんでした。かといって、それを日本的と形容することもありえると思いますが、日本画のような意図的に空白をつくって余韻を作り出すことはありません。むしろ。長谷川の描く画面は、西洋画のきっちりした描き込みで完結しています。ただ、版画という、日本であれば工芸に分類されるところもあるもので、その要素は長谷川の作品のあり方に影響しているところはあると思います。ひとつの作品が唯一無二ではなくて、版画として刷られて流通するという性質のもので、メディアとして人びとに受け入れられるものでなければ、職人の手間を介して制作されない、割りに合わないものは、職人さんにやってもらえない。そこで、人々の共通の感覚から外れるものは作れない。そこで、共通の感覚のルーツを遡ったと言えるかもしれません。長谷川の作品は、同時代の油絵の先鋭的な作品と比べると、好事家や趣味の人が鑑賞するというところもあるのでしょうが、それ以外のところ、普通の中産階級の人々の暮らしの中で、住んでいる家の室内のインテリアとして飾ることもできるものでもありえた、と思います。長谷川自身が、作品のマーケティングのようなことを考えていたかは分かりませんが、見るということ自体に懐疑的にならず、当たり前であることを始源にさかのぼるようにして追求したのは、長谷川自身の基本姿勢というか、資質によるものだったのでしょうが、そういう普通の人々との関係も大切にされていたことが、間接的に要因しているのではないかと思えるのです。誤解を恐れずにいえば、芸術家としての面と職人としての面の両面を持っていて、長谷川の作品には、その両面が、時にどちらかの面が突出しようとすると、もう一つの面へ揺れ戻しがおこって、その結果として、表面的には穏やかな画面の作品をつくることになった。そんな想像をしてしまいました。
 最後にエピローグとして、少女の横顔の作品が展示されていました。長谷川は裸婦の作品も少なくなかったのですが、私の好みからすると、イマイチだったので、風景や静物の作品ばかり取り上げました。しかし、この少女像は、人物画というより静物画のような作品で、長谷川の女性像の中では、例外的に印象に残りました。

2019年4月14日 (日)

パリに生きた銅版画家 長谷川潔 展─はるかな精神の高みへ─(7)~Ⅵ.長谷川潔作品への共鳴

 長谷川の影響を受けた日本の若い世代の版画家たちの作品です。ただ長谷川の作品との直接的な関連性は表面的には分からないので、これらの人々の作品を見て、長谷川の特徴がきわだって見えてくるということはありません。駒井哲郎の作品はもともと好きですし、丹阿弥丹波子の作品は、今回初めてでしたが、極細の線で執拗に細かく描き込まれた作品は強く印象に残りました。そんなところです。

2019年4月13日 (土)

パリに生きた銅版画家 長谷川潔 展─はるかな精神の高みへ─(6)~Ⅴ.白昼に神(神秘)を視る(1941~1950年代末)

Hasegawakitree  「一樹(ニレの木)」という1941年のドライポイントの作品です。長谷川は第二次世界大戦が勃発してもフランスにとどまり、追い込まれた中で創作を続けたそうです。ある朝、パリ近郊のいつもの通りを歩き、見慣れているはずの一本の老樹の前に来た時、その木が燦然と輝いて「ボンジュール!」と語りかけてきたという。長谷川も「ボンジュール!」と答えその老樹を見つめると、人間の眼鼻立ちと同じように木肌の表情にも意味があることを悟る。「そのとき以来、私の絵は変わった」と書き残しているそうです。それは、それまでと同じように見える日常の光景を描きながら、以前にも増して見えない世界を表わそうとする意識が強まったことから生じた変化であると説明されていました。ニードルで刻む細い線で精緻に描き込まれた樹木の幹は表面の凹凸というより、幹の皮の一枚一枚が一つの細胞が蠢いているような生々しさがあります。それまでの長谷川の作品になかった生き生きとした動きが感じられ、そのポーズをとっているような形態と相俟って、動物とりわけ人物が立っているように見えてきます。
Hasegawakitree2_1  「ヴェヌヴェル風景」という1941年のドライポイント作品は、上記の作品のような樹木が何本も蠢いているような、群衆のように見えてくるところがあって対照的です。「一樹(ニレの木)」だけを見ていると、長谷川は一本の樹を克明に描くことで自然や生命のすべて描こうとしたというように印象をうけ、実際に展示でも、“一木一草をつかもうとするとかならず神に突き当たる”という長谷川の言葉もあるということですが、この作品を見ていると集中に対する分散という方向性も長谷川は持っていたことが分かります。「一樹(ニレの木)」が人物になぞらえられるなら、この「ヴェヌヴェル風景」での樹木は、それぞれに個性的ですが、ばらばらで群衆というそれぞれが孤独な人々が単に集まって蠢いているという皮肉な視線も感じられると思います。
Hasegawakiakasia  「アカシアの老樹」という1954年のエッチング作品は、まるで日本画の花鳥風月のような構成の画面で、「一樹(ニレの木)」のような生々しさは後退していますが、かといって細部が蔑ろにされているわけではなく、葉の一枚一枚が精緻に描きこまれているのですが、それが一本の樹木の形態の中におさまっています。「一樹(ニレの木)」のダイナミックさが、樹木の形態の中に収まっていて、遠くで見ると静かな画面なのですが、近寄って細部に目を凝らすと、動感が感じられる。その枝や葉が動きそうな印象を与える。
Hasegawakiwindow  「窓からの眺め(シャトー・ド・ヴェヌヴェルの窓)」という1941年のエンクレーディングの作品です。モノトーンで統一されたアールデコ調の作品で、シンプルでありながら繊細で写実的な表現方法で、細部にまでこだわりを見せています。長谷川は、開いた窓や閉じた窓など、窓を介して風景を描いた作品を何点も残していますが、それらは実際に滞在した部屋の窓だそうです。“人は窓から人生が過ぎてゆくさまを眺める”という言葉を残していて、単に窓辺とそこから見える戸外の風景そのものを描くことを目的としたものではなく、人生や真理などを巡る思索や心象を窓に仮託して表現したと説明されていました。
Hasegawakiwindow2  とはいうものの、窓から見える屋外の木が並んでいる光景は、「一樹(ニレの木)」のような描き込まれた生々しいものではなくて、細い線で木の外形をなぞったようなものが、ポツンポツンと並べられている。しかも、この木の形をどこかで見たことがあるような、と思っていたら、マグリットの「絶対の探求」という作品で一本の木が何かありげに描かれているのですが、その木の形とそっくりなのです。長谷川にはシュルレアリスムのような言葉のイメージをつないで画面をつくっていく傾向はないので、形態から画面を構成していく傾向なので、マグリットの作品のように、そこに木があることの意味づけをあれこれ考えるというものではないでしょう。しかし、そういう木の形というのが、ヨーロッパの当時にあっては、何らかの共通なものがあったのか。長谷川の画面を見ていると、手前の窓のすぐ外の手すりの唐草模様のような形が、屋外の木の形態と通底するものがあるような感じがします。この人は、基本的には形態を見る人なのだと思います。このあと、シュレアリスム風の不可解なに見える静物画を制作したりしていますが、そこに心の中から出てきた無意識のイメージとかいうのではなくて、見た目の形態の組み合わせが結果として、似たような結果になったということにすぎない。他方で、このような木の形を追求していって、余計なものを削ぎ落として抽象化してしまったモンドリアンのような方向にも行かなかった。それは、長谷川が形態を見るという姿勢を基本としていたからではないかと思います。しかし、その形態の組み合せの面白さのようなことは、大胆といえるほど挑戦をしていった。そういう長谷川の志向にとって便利だったのが版画という手法だったのかもしれません。
Hasegawakiwindow3  同じような窓を題材にした作品に「半開きの窓」という1956年のエンクレーディングの作品があります。右側の窓が開かれていて、窓の左側はガラスを通して外の樹木が透けて見えてします。その左右の違いが、右側に比べて、左側のガラスを透かして見えている部分は形態がぼんやりとして、濃淡に淡くなっています。このように形態の見え方の違いを対比的に扱っているのは、長谷川が見るという行為を常に基本にしていた表われではないかと思います。
 「窓辺卓子」という1955年のメゾチント作品です。1950年代に入ると、再びマニエール・ノワールの作品の制作を再開し、それが閉じた窓の手前に花や猫を置いて、浅い奥行きの画面を作っています。それはまた、上で見た窓を題材にした一連の作品の流れも引いている作品と考えられます。この作品では、窓の外の光景と、手前の室内のテーブルに置かれた一枝のツタと貝殻を対比的にあつかって、漆黒の室内と明るい屋外の対比によって、双方、とくに室内の静寂さが強調されています。後年、長谷川は、この室内のような表現をさらに進めて、静寂で神秘的な静物画を制作していくようになりますが、その先駆けのような作品だと思います。
Hasegawakicup  「コップに挿した枯れた野花」という1950年のエンクレーディング作品です。前に見た1934年「花瓶に挿した野花」というドライポイントに比べると、技法の違いもあるかもしれませんが、全体が簡素になって、その代わりに線が鋭く硬質で強くなっている印象で、花の形態が印象に残ります。デュフィが長谷川に語った“数本の秋草を描いて、広大な秋の平野を暗示する東洋画の精神に、自分も大いに共鳴する”という言葉が解説されていましたが、そういう強さがある作品であると思います。前に見た、「二つのアネモネ」が多視点による構成で、画面にチグハグな矛盾が表われていて、不思議な感じがありましたが、この作品でも、例えばコップの影が二方向に写っていたり、花の影の方向がひとつでなかったりと、多視点的な描き方がなされているのに、矛盾を感じさせないで、それがディフィの言葉にあるように見る者の視線が広がっていくように誘導されるような効果を作っています。また、背景が何も描かれていなくて、平面にコップに挿した花が浮かび上がっているのは、日本画の花鳥画の構成を用いたのかもしれませんが、日本画の場合の余韻とかそういったものではなくて、平面に立体が浮かび上がるような、スポットライトが当たっているような神秘的な印象を作り出しています。

2019年4月12日 (金)

パリに生きた銅版画家 長谷川潔 展─はるかな精神の高みへ─(5)~Ⅳ.長谷川潔と西欧の画家・版画家

Hasegawakibrige  長谷川が好んだり、彼に影響を与えた西欧の作家達の作品ということです。
 「アレキサンドル三世橋とフランスの飛行船」という1930年のメゾチント作品です。正面前景にセーヌ川とアレキサンドル三世橋を、左側にエッフェル塔を、パリの街並みの水平線とエッフェル塔に区切られた空間がまるで額縁のようになって、その真ん中に飛行船が浮かんでいます。飛行船の上下に水平に伸びる雲が飛行船を焦点にして水平の枠を絞るような効果で、見る者の視線を飛行船に導くようになっています。川沿いのポプラ並木が画面に奥行きを感じさせ、橋の手前の小船から立ちのぼる雲が画面に動きをもたらします。並んで展示されていたシャルル・メリヨンのHasegawakibrige2 「パリのポン・ト・シャンジュ」と構図が似ているとのことですが、受ける印象はまったく違います。メリヨンの版画はメゾチントではないからかもしれませんが、写生で画面を整えましたという印象ですが、長谷川の画面は現実の風景を写しているのでしょうがリアルな印象がなくて人工的なつくったという感じがします。表面上はまったく似ていませんが、アンリ・ルソーの絵画に似た感触を覚えるのです。
 「チューリップと三蝶」という1960年のメゾチント作品。後のコーナーで見るマニエル・ノワールの静物画のひとつだと思います。長谷川のアトリエにはルドンが描いた三匹の蝶水彩画が飾られていたそうです。蝶は友情と愛、そして復活を意味し、地面にしっかりと水漬くチューリップを讃えるように漆黒の中で舞う三匹の蝶が神秘的な、何かありげな雰囲気に満ちています。Hasegawakiturip

2019年4月11日 (木)

パリに生きた銅版画家 長谷川潔 展─はるかな精神の高みへ─(4)~Ⅲ.仏訳『竹取物語』1934(1933)

印象に残っていません。

2019年4月10日 (水)

パリに生きた銅版画家 長谷川潔 展─はるかな精神の高みへ─(3)~Ⅱ.渡仏 表現の模索から確立へ(1919~1941)

 Hasegawakimezzo長谷川は第一次世界大戦の終了と同時にフランスに渡ります。以後、一度も帰国することなく、パリを中心に、フランスで銅版画家として活動したそうです。とくに、1922年ごろに、古典的銅版画技法であるメゾチントを研究し始め、当時廃れていた技法を復活させたといいます。少し脱線しますが、そのことについて少し触れてみたいと思います。というのも、この美術館の常設展示で版画の技法について説明があって、それが、この展示をみるのにとても役立ったからです。メゾチントのメゾ(MEZZO)は「半ば」、チント(tinto)は「色調」のことで、それらを合わせて半調子の版画という意味を持っていたといいます。この技法は、オランダにいたドイツ人ルードヴィヒ・フォン・ジーゲンが発明し、メゾチントによる最初の作品「伯爵の母の肖像」(1642)を制作したといいます。この技法はヨーロッパ各地に伝えられましたが、イギリス人に好まれたことから、18~9世紀のイギリスでは、肖像画や油彩画の複製版画のための技法として大流行したそうです。この技法は、やがて写真技術の発明により次第に衰微し、まったく忘れられた技法となってしまった。それに着目したのが、長谷川潔だった。実際、どのような技法なのかというと、まず、緩やかな円弧上の先端に櫛形の微細な刃先を持つメゾチント特有のベルソーという工具を銅板にあてて左右に揺り動かしながら進め、版の全面に無数の点を刻してゆきます。縦横斜めに方向を変えて銅板の輝きが失せるまで点刻を重ね、無数の小さな点のささくれで覆いつくします。これらの作業は目立てと呼ばれていますが、途方もない労力と忍耐を必要とする作業ということです。この目立てを施した版にインクをつめて余分なインクを拭き取り、この版面に水で湿して柔らかくした版画紙を重ねて、版画プレス機によって圧力を加えれば、ビロードのような深い質感を持った黒一色の面が刷り取られることになり、スクレーバーやバニシャーという工具を使って版面の凹部やささくれを削り取ったり、磨きつぶしたりすれば、そこにはインクがとどまらず、その加減により黒から灰色さらに白までの微妙な諧調を幅広く表わすことができ、深みのある黒と微妙な諧調の美しさを持つメゾチント作品が生まれることになります。
Hasegawakivilla  「南仏古村(ムーアン・サルトゥー)」という1925年のメゾチントの技法を復活させた初期の作品です。あらかじめベルソーの刃を版面にあてて手前に引いて一度に数本の平行線を銅板に刻み、それを縦横斜めに何回も重ねてメゾチントの素地をつくり、暗くする部分はベルソーによる細粒点目立てを重ね、明るくする部分はスクレーバーとバニシャーで削り磨いていると、それは、もともとのメゾチントの細微な点刻で下地を作るのみというのとは違う、長谷川独自のマニエール・ノワール(黒の技法)と呼ばれた方法だそうです。その結果、縦横斜めに鋭く引かれた無数の線が黒い布地の織り目のように画面全体を覆い、その向こうに風景が明るく透けて見えるような画面が作り出されています。上の肖像のメゾチントに比べて、黒と白の中間のグラデーションが多彩で、その階梯がはっきりしています。丘の上に建物も樹木もキュビスムのように抽象化され幾何学的な四角や三角の物体が並んでいるというモダンな構成が、まるで中世の風景のような古色を帯びた静謐な幻想に見えてくるのです。例えば、エル・グレコの描いたトレドのような宗教性を帯びた光景を想わせるのです。
Hasegawakivilla2 1931年のメゾチント作品「オーバーニュ風景」では、刻線による網目とともに、ベルソーを揺らし進めたときにできるベルソーの角の傷の跡が縦に幾つも並んでいることから、ベルソーによる線刻目立てを重ねていることがよくわかる。なお、彼はメゾチントというのは絶対にベルソーだけを使ったものであり、線引きを使う自分の方法は、マニエール・ノワール(黒の技法)であるとしている。
Hasegawakivilla2 それが似たような風景を描いた「マルキシャンヌの村(東ピレネーの村)」という1936年のドライポイントの技法で制作された作品は、ニードルを細かく動かした線だけによって樹や草の葉の一枚一枚まで丹念に描かれ、メゾチントの作品とは対照的に影をつけないのは、マニュエル・ノワール(黒の技法)に対して白い画面で風景を描いています。両者を並べて見ていると、まるで白昼の風景と真夜中の風景を対照して見ているようです。そうすると、形の見え方とか質感とか、見え方が違ってくる。それを中間ではなくて、両者を別々に描いたところに長谷川という作家の特徴があるのかもしれません。
Hasegawakianemone 風景画以外では、女性像はあまり印象が残っていませんが、静物画は風景画にまけず強い印象を残してくれました。「二つのアネモネ」という1934年のアクアチントの技法で制作された作品です。レースをそのまま銅板に移したような作品です。黒い地にレースが白く浮かび上がる不思議な作品で、これは、防蝕剤を塗ったレースを均等の圧力で銅板に押し当てて防蝕剤を銅板面に付着させた後で、松脂の粉末をまいて過熱定着し、さらに腐蝕した後で落として、輪郭を線を刻んで描き起こすという独自の技法で可能になったものだと説明されていました。そのように描かれた画面は、上下二種類のレースが、壁のカーテンと机の上のテーブルクロスのように示されています。これはよく見ると、二つのレースによって区切られた中間部分は、テーブルのようにも見えますが、ぼやっと作られたレース状のものとして認識することもできます。そして中央にはほぼ遠近法的に描かれた切子のコップに挿されたアネモネが二本存在しています。ところで、この作品における表現を多視点的(キュビスム的)と認識する観点もあるといいますが、このような多視点的な造形に対する肯定は、20世紀の造形の認識の代表的なものの一つで、20世紀の30年代はその影響下にあったことも事実だから、この認識はある意味当然といえます。では、その多視点とはどのようなものか。2つのレースの部分は、そのままプリントしているのだから一点透視にはなり得ないので遠近法的ではありませんが、その姿をほぼ正しく再現している点で、きわめて遠い視点から見られた存在ということができます。ただと、垂直に切り立ったカーテン状のレースには平行な視座が考えられるのに対して、テーブル上のレースは当然俯瞰的視座が考慮されています。それに対して、作品の中央に置かれる切子のコップはガラスの反射を考慮していて、非常に微妙な視座を要求されています。それは平行に動きながら上下する視座で、レースに対する正視した視座とは相当意識が異なるものです。ガラスの切子全体の形からすると、視座はやや上方から見下したものであって、切子がどんな形をしているかは認識できるようになっているが、細かく見ると妙なことに、口縁と台の関係は一点透視の認識からは歪んでおり、この器の中で空間が変化しています。Hasegawakibottleこれはカーテンとテーブルクロスに対応した視座の変化とも言えます。それに花が加わります。ひとつの花はまったく上方から見た満開の状況で、もうひとつの花は花びらは落ちてはいないが勢いはなく、花は下を向いて、真横から描かれています。この対照の妙もひとつの見所ですが、それに加えて注目されるのは茎の表現です。二本のアネモネの茎は、当然である切子の外の空間から、切子の中の水に浸っていて、屈折が表現され、それに加えて大胆にカットされた切子の面によってさらに歪んでいるとも言えます。この水と切子の断面の二重に歪んだ空間が、熊を実際からはずいぶん遠い形にしているのですが、それはあたかも、自然描写でそうなっているように感じられる、ように描かれています。この作品全体を考えると、その空間処理は多視点的であって、このアネモネの花も茎も多視点的に認識され、組み合わされたものでしょう。おさらいをしてまとめてみましょう。上方から下方にかけて壁からテーブル表面を見るように首を下に振る運動が感じられるものが一つ。二つのアネモネの花に見られる上方正面からの視点と真横からの視点が同居しているものが一つ。それらが不思議な空間として存在している渾沌を示すものとして、それだけ見れば同一平面にあるカーテンとテーブルクロスがあり、かつまた、水面で歪み、切子のカット面で歪む茎が存在する、というわけです。つまり、風景画もそうなのですが、長谷川という人は、様々な要素を画面にぶち込んでいくのですが、それが個別というか、融合とか総合的に構成するということはせずに、並列的に画面に入れてしまう。底に結果として対照によって緊張が生まれたり、バラバラな感じが自由な解放感を生んだりしている多様な世界を作っている、と思います。
Hasegawakigrape 「花瓶に挿した野花」という1934年のドライポイントによる作品は、「二つのアネモネ」よりも線画の性格が強く、形がはっきりとしているために、多視点的なところがいっそう強調されています。異なる視点による形の歪みが、ひとつの画面の中に並べて置かれていて、レースのようなヴェールもなく、リアルな室内光景に置かれているため、現実が歪んでいるように見えてきます。その中で野花の一つ一つの形のリアルさが生々しさとなって、毒々しい印象すら与える、何か非現実にいるような感じになります。
 「オランジュと葡萄」という1933年のメゾチントによる作品です。キュビスムをおもわせるような立体感の表現に心を砕いているように見えます。それが、形の描き方に反映して、しかも、全体が黒い陰影に包まれていると、リアルな実在感とは別のシュールな幻想のように映ります。しかも、形の歪みが自然と受け入れられてしまう。
Hasegawakikingyo 「金魚鉢の中の小鳥」という1927年のドライポイントの作品です。シュルレアリスムの影響を感じさせる不思議な作品です。丸く描かれた金魚鉢のなかで藻や金魚といっしょに止まり木に止まった小鳥が描かれて、まるで金魚鉢のなかにいるようなのです。しかし、そんな不思議な世界は、何か見る人を驚かそうといった作為を感じさせず、無理な感じがなく、それゆえに画面全体の印象が静かで、まるで止まっているように感じられるのです。この作品では、小鳥がなければ金魚鉢の中に金魚が泳いでいるのを描いたものという当たり前のもので、それはそれで繊細で、余白を生かした風情のある作品になっていると思います。しかし、そこに異分子である小鳥を挿入することで、理不尽な世界をつくり、しかしその理不尽さよって見る者にインパクトを与えることよりも、その理不尽さのよる軋轢を感じさせないようにして、一見では普通の見えてしまうという、写実的な世界と理不尽が融合するように同居している。それは「二つのアネモネ」であれば各部分が異なった視点でチグハグなはずなのに画面の中に模様のように収まって軋轢を生じさせていない。ここに長谷川の作品の大きな魅力の秘密があるのではないかと思います。

 

2019年4月 9日 (火)

パリに生きた銅版画家 長谷川潔 展─はるかな精神の高みへ─(2)~Ⅰ.日本時代 版画家へ(1913~1918)

 長谷川が画家を志し、当時の創作版画に興味をもちますが、それは木版画で、後の彼の作品とは印象が異なるものです。ただし、詩人の日夏耿之介のカットを制作していたといいますから、耽美的・神秘主義的な傾向に親近性を持っていたことが分かります。この頃の作品は、ここであげるようなものはありません。

2019年4月 8日 (月)

パリに生きた銅版画家 長谷川潔 展─はるかな精神の高みへ─(1)

 今年の3月に町田市立国際版画美術館で見てきた「パリに生きた銅版画家 長谷川潔 展─はるかな精神の高みへ─」の感想です。
 町田市立国際版画美術館は、私の生活路線から外れたところにあって、しかも駅から歩くと急勾配の坂を下りていくので、距離的には近いのだけれど、足が向くことは少ない。ちょうど、出張帰りで羽田空港に降り立ったので、疲れはあったけれど、横浜まわりで町田によることができることと、展覧会ポスターの画像を見て興味を持っていたので、無理して寄ってみることにした。郊外の美術館の平日の昼間とあって、来館者はこの作家の愛好者か時間に余裕のある高齢者と思われる人が目につく程度、思った以上に人数はいたが、それにしても都心の美術館の人気の展覧会に比べるべくもない。出張の疲れで、集中力を保つことはできなかったけれど、落ち着いた雰囲気で静かに過ごすことができ、それは作品の雰囲気に沿うものだったと思う。
 さて、私は、長谷川潔という作家のことはよく知らないので、この展覧会の主催者あいさつを引用します。“パリで創作活動して評価を得た銅版画家、長谷川潔(1891~1980)の作品を122点を展示し、その精神的表現世界を再考します。また長谷川が敬愛したルドンや、フランスで交流のあった画家らの作品45点を展示することで、長谷川の創作活動の背景を探りつつ作品の特徴や内容を浮き上がらせます。長谷川は1910年代半ばに版画家として創作活動を開始、1918年に日本を去ってフランスへ渡って以来パリを拠点に活動しました。サロン・ドートンヌやフランス画家・版画家協会に所属してパリの画壇で高く評価されたほか、フランス文化勲章を授与されるなど、芸術家としての功績がたたえられています。現在は、日本でも版画史上きわめて重要な作家として位置づけられています。町田市立国際版画美術館は開館まもない1988年に、フランス時代の代表作を多数含んだ長谷川潔の銅版画を約70点収蔵し、その後も50点以上作品を収蔵する機会に恵まれてきました。それによって、現在長谷川潔作品は、質量ともに当館の重要なコレクションのひとつとなっています。本展覧会はそれら収蔵品を展示し、この版画家目指した表現世界を探るものです。その精神性豊かな作品は、情報の海に身をゆだねる現代人の思考のあり方を問うにもなるでしょう。”
 この展覧会のパンフレットに使われている長谷川の「時 静物画」という1969年の作品は、漆黒の画面から白く浮かび上がるような静物は照らし出されているような明るい光輝に包まれているようなところは、スペイン・バロックのボデコンと呼ばれる神秘主義的な静物画の雰囲気が漂っていますし、現実の脈略とは別の論理で何か意味ありげに幾何学的に配列されているのは北方ルネサンスのディーラーとも近代のシュルレアリスムとも見える。それが、何ともいえない静けさに包まれている。そういう印象からは、この主催者あいさつは触れられていませんが、私が長谷川の作品に興味を持ったのは、静けさといっても、日本的な“侘び寂び”とは異質な神秘主義的とか敬虔とかいったものに近い印象からです。そういう視点で、これから作品を見ていきたいと思います。
 なお、この展覧会では展示作品の一覧表が単なるリストではなく、展示場での説明や作品画像も入った小冊子で、まるで展示会カタログの簡易版のようになっているものでした。これは素晴らしい。
それでは作品を見ていくことにしましょう。

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