アンソニー・マン監督、ジェームス・スチュアート主演の映画「怒りの河」の感想
新天地を求めた農民を乗せた幌馬車隊。ジェームス・スチュワート演じる主人公は、その一行の道案内と護衛で、彼はかつて無法者であり、縛り首になりかけたことがある(彼の首には、その縄の痕跡がスカーフによって隠されていた)。彼は改心し、移住する農民たちを助け、彼らと共に新しい生活を目指そうとしていた。その途中で、かつての自分と同じように縛り首にされようとする男を発見し、助けてやる。この男はいったんは主人公と共に農民を助けるが、後に主人公を裏切り、農民たちに届けるべき越冬の食料を略奪、馬も銃も奪われた主人公は彼を追跡する。
実は、この男はほとんど主人公の分身、さらには主人公そのものといってよいような性質のものである。少なくとも主人公にとって克服すべき過去の自己であり、それを抹殺することが、今の自分の存立を保障するような存在としてある。だから二人の対決は、互いに対峙して撃ち合うのではなく、どちらがどちらとも分からないような取っ組み合いになる。二人が最終的に対決するのは急流の中だ。主人公の分身的存在、力尽き、流されていく。主人公は、投げられた縄をつかみ、ゆっくりと岸辺に辿り着く。常時身につけていたスカーフが流され、首の傷があらわになっている。主人公を助けたのは、かつて縛り首で彼の命を奪おうとした縄だ。
典型的な西部劇は悪い敵と対決するものだが、現実に裏切り者と対決するここで対決するのは主人公自らの過去でもある。彼の内面の葛藤そのものは見えないが、言葉の端々や、主人公の肉体の痕跡、彼が陥る悪夢、常に何かに追われているかのような異常なまでの切迫感などにあらわれている。この物語が主人の内面のドラマと裏返しになっている。
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