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2019年5月 7日 (火)

フリッツ・ラング監督の映画「死刑執行人もまた死す」の感想

 111111_1 第二次世界大戦、ナチス・ドイツ占領下のプラハで「死刑執行人」の異名を持つ占領副総督ハイドリヒの暗殺事件があったのは史実。それを題材に、その戦争が終わらないうちに、ドイツ系亡命者のブレヒトが脚本を書き、ハンス・アイラーが音楽を、フリッツ・ラングが監督をした作品。それだけが理由ではないが、全編異様な緊張感が張りつめている。その展開に、ポケッとしていると置いてきぼりにされてしまう。説明的な描写を削ぎ落としたソリッドな映像は、禁欲的な美しさを湛えている。例えば、ゲシュタポに逮捕された老父とヒロインが面会するシーンは、ヒロインが待つ無機的な狭い室内に、ドアが開いて光が差し込み老父が入ってくると、その光と影のコントラストにより老父が処刑前であることを暗示させる。それで話は進んでいくが、それについての余計な説明は一切ない。それが、残された家族のやるせなさと、その家族もも同じ運命をたどるかもしれない恐怖が残ってしまう。そういうのが、最後までつづく。監督のフリッツ・ラングは見る者に全体像を明かすことをしないで、主要な登場人物の視点で画面をつくり、それぞれの視点で物語は進行するのだが、そのうちの一人の視点の映像だけを見せて(その同じ時に他の人物の視点で起きていることは見せない)、その断片を一本に繋いでいくと、観衆には見ているストーリーが途中で飛んでしまうような印象で、見る者に緊張を強いる、臨場感が半端じゃない。それが、映像そのものが緊張感を生んでいる。
 まるで抜き身の真剣のような美しさを湛えた作品だと思う。

 

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