ラファエル前派の軌跡展(8)~第3章 ラファエル前派周縁(2)
ソロモンの影の薄い女性とは正反対の強烈な自己主張をするフレデリック・サンズの「ヴァルキューリ」という油絵作品です。サンズの作品は、以前のラファエル前派展で「トロイのヘレン」とか「カッサンドラ」といった作品を見て、肉厚の顔つきで激しい感情を見る者にぶつけるような強く自己の存在を主張するような作品という印象を持っていました。この作品で描かれているヴァルキューリというのは北欧神話で、主神オーディンの娘で、戦闘で死ぬ可能性がある人と生きる可能性がある人を選ぶ女神達の1人です。戦いで死んだ人々の半分の中から選択して、彼らをオーディンの支配するヴァルハラに連れて行きます。 そこでは、亡くなった戦士たちは不吉者になります。ヴァルマューリは英雄や他の人間の愛好家としても現れます。そこでは時々王族の娘と言われ、時にワタリガラスを伴ったり、白鳥や馬とつながったりします。この作品でも、顎を上げて、その角張った顎が女性の強さをアピールしているし、高い鼻梁で引っ込んだ目から上を向く視線は強いです。
ジョージ・フレデリック・ワッツの「オルペウスとウエリュディケー」という油絵作品です。ギリシャ神話のオルフェウスの物語はオウィディウスの「変身物語」(多分、ワッツはオウィディウスをもとにして描いていると思います)をはじめとした多くの古代の史料で詳しく語られているものです。この作品は、オルフェウスがエウリディケを振り向いて喪ってしまう場面を描いています。しかし、背景や小道具をほとんど省略していて、二人が冥界にいることは、この場面からは分からないし、オルフェウスのシンボルともいえる竪琴も画面には見られません。この作品ではエウリディケを喪うオルフェウスを描くことに絞って、それ以外の要素を画面から排除しているために、それだけいっそうオルフェウスの喪失感や悲嘆がクローズアップされてきています。これは、もともと初期からのワッツにはラファエル前派のミレイやハントのような細部を明確で詳細に描きこんでいくのとは反対に、明確な輪郭を描きこまず、細部を省略して見る者の想像力に任せる、そして寓意的な画面を志向するところがありました。そこから派生したものでもあると思います。とくに半身像のヴァージョンは上半身のねじれたようなポーズの部分だけをピックアップして、そのねじれが強調され、オルフェウスの姿勢の無理したようなねじれが彼の感情を身体のポーズに仮託しているのが効果的になっていると思います。
同じブレでリック・ワッツの「エンディミオン」という油絵作品。同じようにギリシャ神話の物語を絵にしたもので、月の女神セレーネ(ディアナとも言われる)に愛されたエンディミオンは、女神と同じように永遠の若さを保つために、ゼウスによって永遠の眠りにつくことになります。それを女神は繭のようにエンディミオンを包み込む。この作品でも、リアリズムの描写は省略され夜の暗闇の中でシルバーブルーの女神とエンディミオンの土気色という鈍い色に色彩は限定され、閉じ込められたような空間に二人の人だけがグローズアップされている。眠っている若者を包み込むような透き通った月光の形で女神は、首から下の身体は描かれるものの、顔の表面のみが暈され、目や鼻といった顔のパーツさえ確認できません。さらに女神のみならず、エンディミオンの頭部も闇の中へ溶け込んでしまっています。それは意図的に顔のみを暈すことで、眠りから覚めない想い人を見つめる女神の表情を想像するよう、見る者を駆り立てるようになっていると思います。
« ラファエル前派の軌跡展(7)~第3章 ラファエル前派周縁(1) | トップページ | ラファエル前派の軌跡展(9)~第4章 バーン=ジョーンズ(1) »
「美術展」カテゴリの記事
- 没後50年 鏑木清方展(5)~特集2 歌舞伎(2022.04.06)
- 没後50年 鏑木清方展(4)~第2章 物語を描く(2022.04.05)
- 没後50年 鏑木清方展(3)~特集1 東京(2022.04.02)
- 没後50年 鏑木清方展(2)~第1章 生活を描く(2022.04.01)
- 没後50年 鏑木清方展(1)(2022.03.30)
« ラファエル前派の軌跡展(7)~第3章 ラファエル前派周縁(1) | トップページ | ラファエル前派の軌跡展(9)~第4章 バーン=ジョーンズ(1) »
コメント