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2019年6月10日 (月)

入谷秀一「バイオグラフィーの哲学 「私」という制度、そして愛」(12)~第11回講義 私を捧げよ─愛国心・民族主義・バイオグラフィー

 人の歴史の中には、聞き取られなかった様々な沈黙の方が、聞き取られた声より圧倒的に多い。通常私たちが歴史といっていうものは、そのような沈黙を聞かない、つまり否認することで成り立っているものです。普通の人々が自らの声を公的な場面へと響かせるまでには様々なハードルが存在するということです。生きることと書くことはちがうし、書くことと、それを発表し、出版することとも違います。つい数十年前まで、自伝や回顧録の類を執筆して公刊できたのは政治家、知識人など一部のエスタブリッシュメントの特権でした。アウグスティヌス、ルソー、野坂昭如といった人々は社会全体から言えば例外に属していたといえます。
 一般市民が自身の意見や感性を表現し、それが文章として伝達されるには、様々な条件が必要です。読み書きができること、出版ができること。そして、その以前に「私」があること。自分の「内」面をありのままに表明するはずの近代的な主体の発生は、その主体が生誕以来常に従うべき唯一無二の「外」部にしてその主体の集合体である国民国家という「共通の身体」の成立と不可分の関係にあります。この相反的な構造は、例えば、紙の上で自己主張する修練がもっとも徹底され、マニュアル化された体制は軍隊によく表われています。国民が「主役」の国家においては、兵士育成は、武家の親が子に直接行うエリート教育から離れ、一般人を兵士とすべく教えられた諸制度に委ねられます。そこでは軍の構造自体が細分化・官僚化され、大量の情報がエクリチュール(書かれた言葉)として行き交うことになります。従って、一般人を徴兵したところで、彼が読み書きに通じていなければ使い物になりませんし、何より、離れて生活する家族とのやり取りに難儀することは、容易に想像できます。しかし、19世紀以降の戦争は、ある意味では、市井の人々が文字通り歴史の表舞台に立たされ、発言を、すなわち戦場で何を見たか、何を経験したかを述べるように促されるに至った局面と言えます。いかなる英雄も例外もなく、男女の区別もなく、関わる者が等しくその歴史的事件、ならびに大量死というカタストロフィーを、それらを最も素直に伝える声とともにイメージし、共有せねばならないという意味で、近代戦とはベネディクト・アンダーソンの言う「想像の共同体」の成立機構そのものでした。それはオートバイオグラフィーの理念や伝統に背馳するものだったでしょうか。ひとつ言えるのは、オートバイオグラフィーの「私」の告白は、まさに「私」を否定し、その愛を国家に、あるいは超国家的な民族の理念に捧げるための教育装置として利用された、ということです。この告白の大量生産の背後に、大量生産される沈黙があったということにも留意せねばなないでしょう。
 つまり、様々な声が無条件に容認されたのでは決してないということです。同様に、声の共有も、決して自然発生的に生起したわけではないのです。
 1872年の学制による教育制度の普及と連動するように、言文一致体で平易に書かれた子供向け伝記出版の事業が本格化します。当初は、歴史的英雄の立身出世物語が一般的でしたが、そこに描かれるのは国家や科学技術や時代という大義に身を捧げた偉人たちであり、かれらを通して子供たちは、いち個人という枠組みを超越した、文字通り大いなる「物語」が存在することを知る教育効果が期待されました。その後1938年に内務省による児童図書の出版事業全体に国家介入が進められます。そこでは、子供の自由な想像力の発露を抑え、民族精神に殉ずるようなメンタリティの育成を目指せということになり、しかも現在進行形の戦争という肌感覚と重なってきます。このときにその模範的担い手となったのは山本五十六です。
 一方、前線で敵を殺傷する兵士たちに比して、銃後に残された妻たちは、戦争によって夫を失う危険と隣り合わせにおかれた被害者でありつつも、戦争から除かれた傍観者なのでしょうか。彼女たちには夫である兵士の自己犠牲の精神を次世代である子供たちに伝える役割を期待されていた。つまり、母を媒介にして父から子へと愛国心が継承されていった。その母は、夫を戦争でなくした戦争未亡人の手記が婦人雑誌に掲載され伝えられていきました。しかし、当時の家庭で婦人雑誌を購読していたのは一部であり、その伝えられた手記は夫の犠牲を尊いと説いていられる生活の余裕(高級軍人には遺族補助)があるからこそで、徴兵により一家の生活の担い手を奪われた未亡人の声が注目されることは極めて稀であった。ここで様々な犠牲の沈黙・否認という歴史の日常があるわけです。このときの妻たちは、一方的な被害者とはいえず、むしろ積極的に加担していったとして加害者的な側面を否定することはできません。彼女たち自身、やられる前にやる側につくという闘争への加担です。しかし、著者は言います、その彼女たちの奥底には、抑圧された何か、つまり、きちんと悲しむことを抑圧され、個人としての悲哀や葬送より先に、国民としての顕彰とセレモニーの引き受けさせられたという事情があるといいます。息子よ生きよという思いは、死ぬなという思いとは一致させらなかったという分裂を強制された故という側面を指摘します。

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