琴坂将広「経営戦略原論」の感想
大きな書店のビジネス書のコーナーでは、たくさんの経営戦略に関する書籍が並べられている。古典とされているマイケル・ポーターやジェイ・バーニーからファッションの流行のように後から後から最新理論が発表される。それらは、個々には充実した理論なのだろうけれど、それぞれが個々独立していて、相互の関連性は分からない。研究室で有名な学者の学派のもとで研究している人はそれでいい。しかし、実務家が経営戦略の知識を得ようとして、自社の経営に適した理論はどれかと探そうとしても、その手がかりもない。片っ端から学んでみて自分で手探りで探すしかない。実務家にそんな暇はない。だから、学問と実践は別というのは、そういうところにも原因がある。
少なくとも、この著作は個々乱立している経営戦略を体系的に整理して、全体像がつかめるようにしているところが評価できる。
例えば、1950年代のアメリカ経済は、とにかく、ものを作れば売れた時代だったので、とにかく大量生産、して規模を拡大すればよかったので経営戦略となかった。それが1960年代後半から70年代になって市場が自然に拡大していくことがなくなり、そこで市場内で企業の生存競争が生まれたことから、そこで経営戦略が生まれた。当時は、それまで拡大した企業では市場から溢れてしまうので、肥大化した企業の無駄をいかに切り捨てるかが求められた。それに応えたのが、どの市場に進出するかという戦略ボストンコンサルティングのBCGマトリクスやマイケル・ポーターのファイブ・フォースだった。それが1980年代電機や自動車で進出してきた日本企業が、とにかくこの市場で競争に勝つという力の集中に、最適の市場を選んでいたアメリカ企業は勝負にならなかった。そこでコア・コンピタンスのような核をもつ、その核を強化するものに戦略の発想が転換した。
このような経済状況の変化にともない、それに応じた経営戦略が生まれてきている。そういう流れを提示しようとしている。だから、たとえば単一事業で生き残る企業には最適の市場を選択するBCGマトリクスは有用とは言えない。そういう見方ができる。
経営学と実務のギャップについて
経営学の理論にあるような経営戦略に膨大な時間と労力をかける企業は、それほど多くないのではないか。もちろん予実管理などは重要だ。しかし、精緻な経営計画をつくるために、産業構造の分析や、自社の組織構造を分析するより、実行段階で目の前の状況変化に逐一反応して変化していくことの方が、結果としてのパフォーマンスは高まる、と実務の現場では実践されているのではないか。つまり、経営戦略は実行の中から次第に形づくられていくということ。組織の個々人が現場で実践する方法論が積み重なり、組織の行動様式として定着していくことや、意図せずに現場から見出され、その優位性により組織に浸透した考え方が、結果的に草の根から組織の各層に広がり、全社の経営戦略として認知される。そのような、それこそ一日単位での試行と改善のプロセスが、多岐にわたり試行の末に辿り着いた結果としての経営戦略。それは常に変化を伴う環境に晒されている中で、刻一刻と競争しているということが戦略に反映されていなければならないということ。
例えば、インテルのCEOアンドリュー・グローブは、著書(『インテル戦略転換』)のなかで、日本企業との競争に負けてメモリーからマイクロプロセッサーへと転換したのは、トップが考えたのではなく、現場からのボトムアップを経営トップが追認したといっているのは、その模範的な実例ではないかと思う。
経営学の戦略理論書は、すぐれた理論であればあるほど説明には詳細な引用文献が示されている。すなわち、可能な限り学問的な議論の系譜に立脚している。それは、実務的に最上であると両立するとは限らない。つまり、論者の主張を自由に展開する自由はそれほどない。経営戦略の研究者の間で共有されている考え方の型があり、共通理解として認められている主張があるため、それに準拠した考え方が求められる。むしろ、実務では、ライバルの考え付かないような施策で差別化することとは方向が正反対をむいている。
例えばCSR投資を推進している企業が、それ以外の企業より好調な業績であるとして、その事実のみからでは、理論では主張することはできない。潜在変数が抜け漏れているかもしれないし、逆の因果を操作しきれていないかもしれない。そもそも、実社会の状況は実験室とは違って因果関係を説明できたとしても再現できるとは限らない。だから、理論ではCSR投資すべきであるかは答えを出せません。それは、実務家から見るときわめて歯切れの悪い文章となり、つまらない内容となる。
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