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2019年6月24日 (月)

ラファエル前派の軌跡展(9)~第4章 バーン=ジョーンズ(1)

Preraffa2annuncation Preraffa2fish  「受胎告知」という水彩画の作品。バーン=ジョーンズは後年、同じ題名の作品を制作していますが、この水彩画は初期のころで、画家が未だ自身の個性を見つけて、画面に定着できていないころの作品で、ロセッティの初期のころの水彩画で宗教的な題材を取り上げていた頃の作品に似た雰囲気があります。中世の雰囲気といえるような。並んで展示されていた「金魚の池」という水彩画もそうで、面長の顔つきで物憂げに疲れたように腰掛けている女性像はシメオン・ソロモンに似ているところがあります。また、少女の衣裳や背景の果樹園あるいは赤煉瓦の建物が中世の雰囲気を濃く伝えています。このころのバーン=ジョーンズをとりまく雰囲気では中世はラファエロのように近代的なものに汚染される前の無垢な理想だった。中世には生活と芸術がより自然に近く、それだけ堕落していなかった。そういう理想の世界として、単に歴史的に懐古する他人事の物語の世界ではなくて、そこに、いわば夢を見ていた、それを現実の風景として描くことで、夢と現実を融合させ、彼ら自身の生活スタイルに取り入れようとした。例えば。ロセッティはエリザベス・シダルをモデルにして聖女を描いたりしましたが、バーン=ジョーンズは、弟子として、それを傍らで見ていて、それを受け継いだ、それがこの作品にも表われていると思います。
 Preraffa2knight 「慈悲深き騎士」という水彩画は、そういう初期の作品の集大成的なものと言えるかもしれません。ここでの展示では、この後の1860年代後半以降の展示作品には、典型的なバーン=ジョーンズの人形のような顔が明確にあらわれてきます。ここまでの作品では、そのような顔のパターン化は進んでいません。この作品はフィレンツェの騎士ジョヴァンニ・グアルベルトの伝説に基づくとされているそうで、ある聖金曜日のこと、彼は武装した従者とともにフィレンツェに向かっていた。その道中、自分の兄弟を殺した男と出会った。彼は復讐としてその男を殺そうとした。男は、武器を十字架の形に広げてひざまずき、その日に磔刑に処せられたキリストの御名において慈悲を請うた。ジョヴァンニは男を許した。ジョヴァンニはその後、立ち寄った教会で祈りの最中に、木造のキリスト像が手を差し伸べられ祝福を受ける。キリストのひげは、騎士の額と言い表せない悲しみの表情の盾となっている。キリストの手の聖痕は、騎士のむきだしの手の弱々しさを引き立たせている。また、平面的な画面全体を覆うグリーンの美しさに目を奪われますが、陰影の処理や人体の立体感などにラファエル前派にはない独自性が芽生え、甲冑の光沢感、周囲の幻想的なまでの草花など、後のバーン=ジョーンズの作品を彩る要素がすでに表われています。
Preraffa2lament  「嘆きの歌」という水彩画には、変化の兆しが見えてきます。ロセッティの物語的な性格の濃い作品から装飾的な画面へと移行しつつあるということです。ロセッティの影響は平面的で装飾的な構図を受け継いでいますが、ロセッティに特徴的なアトリビュートのように細部に意味をもたせて配置するという要素を取り除いて、人物を単純に配置するものしなっています。その結果、見る者は物語を想像することかに、視覚的なレベル、つまり色彩と人物の表情と気分が醸し出す雰囲気で嘆きを感じるようになっています。人物はパルテノン神殿の浮き彫りを参考にしたと言われ、安定した構図で、それが大理石の白亜の背景から素朴な輪郭が浮き上がるようです。そして、人物の衣装の対照が印象的で、その二人の人物像によってかもし出される気分を絵にしみ込ませることによって、見る者に反応を呼び起こし、それは「慈悲深き騎士」のような視覚的な手がかりから物語を説き明かそうとするものではなくなっています。

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