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2019年6月25日 (火)

ラファエル前派の軌跡展(10)~第4章 バーン=ジョーンズ(2)

Preraffa2peleus  大作「ペレウスの饗宴」では、これまでとは変わった、完成したバーン=ジョーンズがいます。ダ=ヴィンチの「最後の晩餐」と似た構図の遠近法による画面は、あきらかに平面的なラファエル前派からの逸脱と言えます。描かれているのは、中世を飛び越えてギリシャ神話の世界。トロイ戦争の英雄アキレウスの両親となるテッサリアの王ペレウスと海の女神テティスの婚礼の最中に起こった事件、これがトロイ戦争の発端となるのですが、を題材にしています。横長の画面には、牧歌的風景の中に置かれた宴席とそこに招かれた神々や給仕を務めるケンタウロスが描かれています。テーブル奥の中央から左に向ってゼウスと妃ヘラ(ピンクのドレス)、知恵の女神アテナ(青いドレスを着て、頭に兜をかぶっている)、美の女神アプロディテ(頭に薔薇の冠をZenpavinch つけている)が並んで立ち、テーブル手前には酒の神ディオニソス、太陽神アポロン、愛の神クピド、運命の三女神モイラがいます。右端に立って神々の注目を集めているのが、不和の女神エリスが、そこだけ暗くなっていますが、婚礼に唯一招かれなかったことに腹を立てて乗り込んできた彼女は、意趣返しに不和の種をその場に持ち込んだのが、その発端ということになります。それは、右手前で、こちらに背を向けて青い帽子をかぶっているヘルメスが左手に持つ林檎がそれであり、その林檎をめぐって、ヘラ、アテネ、アプロディテが争い、トロイの王子パリスの審判に委ねられることになるわけです。画面の神々たちは、皆同じ顔で、来ている衣装によって役を振り分けられているようですが、その顔は、前の水彩画のロセッティ風の面長から丸顔の後期移行のバーン=ジョーンズの作品のパターンとなっている顔に変わっています。また、ラファエル前派初期の画家たちは裸体を積極的に描きませんでしたが、ルネサンス以後のイタリア絵画の理想的な人体さして描かれた肉体表現につらなるような筋肉美の肉体を立体的に描いています。同じ裸体でも「慈悲深き騎士」のキリストと比べると別物のような描き方です。
Preraffa2grace  「三美神」というパステルです。「ペレウスの饗宴」などとセットでトロイの物語という大作を制作しようとして、その一部のための下絵ということです。三美神はユピテルとユノの娘でエウプロシュネ(喜び)、アグライア(優美)、タレイア(若々しい美)という名前だそうです。三人がお互いの肩に手を置いて中央の一人が背中を見せる構図は、それ自体が美の調和を示すものになっているもので、古代彫刻の定式的なパターンを取り入れているということです。とくに優美な曲線を見せている中央の女神の背中などは、ラファエロの同じ題名の油絵作品を想わせるところがあります。人物の形態を単色のパステルの濃淡だけで立体的に浮かび上がらせる。細部よりも全体のプロポーションを次第に重きを置くように、それによって、バーン=ジョーンズはロセッティやラファエル前派の影響から脱して、個性を形づくっていった。それが、このようなパステルの素描では直接的に表われてくると思います。
River_preraprima  「赦しの樹」という油絵作品です。トラキア王の娘ピュリスは愛するデーモポーンに捨てられ、絶望の末、自ら命を絶とうとすると奇跡によってアーモンドの木に変えられます。その後、心から後悔したデーモポーンがその木を抱きしめると幹からピュリスが出てきて愛情深い赦しを与えて彼を包み込んだというオウィディウスの「名婦の書簡」から取られた話を題材にしているとのこと。この二人の男女は非常に劇的な状況にいると言えます。ピュリスは悲しくも自分が相手に拒絶されていることを察知した女性です。彼女は、どんなにデーモポーンのことを思っていてもどうにもならない。無力な存在です。それを、バーン=ジョーンズは、まるでギリシャ悲劇のように人物は運命づけられた役を演じるに過ぎない、言うならば運命の女神の操り人形なのだとでもいいたげな、彼女の表情はデーモポーンに向けられ、見る者は荒涼としているが起伏に富む風景のなかに配されており、ピョリスの髪の毛と衣文は線的な付属物として用いられており、抑制されたリズミカルな流れが生み出す雰囲気にアクセントをつけている効果で知ることになります。一方、デーモポーンは、彼が通り過ぎるときに人間の姿に変わったピュリスにあらがっているように見えます。彼女は、愛しながら、また許しながら、彼を自分の腕にかき抱こうと願っている。しかし、彼の方は、恐怖して、逃れようともがいている。ふたりの悶えるように、身体をくねらせている様子が二人の人物の緊張関係を体現していて、ほとんど裸体ですが、彼の足には衣服がまとわりつき、花が包み込むように取り囲んでいます。この画面では、彼女の髪の毛と花が人物と同じくらい画面の構成要素となっています。それは、ロセッティなどが花を花言葉などの意味を象徴的に画面に持ち込んだのは違って、視覚的な効果として用いられています。
Preraffa2tree  バーン=ジョーンズの作品は展示点数は少なくなかったのですが、スケッチばかりでした。また、この後の展示はウィリアム・モリスによる雑貨品だったので興味が湧かず素通りでした。

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