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2019年6月18日 (火)

ラファエル前派の軌跡展(3)~第2章  ラファエル前派(1)

 広間の展示室に入ると、本題です。この部屋は撮影OKらしいので、スマホの音がカシャカシャで絵の正面は撮影者優先みたいになって、撮影している人のほとんどは撮影するだけで作品の前から立ち去って、絵を見ているのかな?私は、撮影に興味はないので、単に邪魔くさい。で、ここの部屋の展示は、ミレイ、ロセッティなどの主要な画家たちの作品なのですが、ロセッティはまあまあですが、ミレイやハントは小品がいくつか、ということで作品を集めるのが大変だったのだろうことを想像してしまいました。ここ数年で、何度もラファエル前派展があって、オフィーリアなどの有名どころは来ているし、それをまた借りるというのは、向こうもなかなかでしょうから。それで、画集でもメインに出てこないような作品をかき集めて…、とまでいうとクレームになりそうなので、あの、そんなつまりはありませんから、おかげで知らない作品に数多く出会えたので、よかったと思っているのですから。
Preraffa2waterfoll  「滝」という作品です。小品ですが、ミレイの初期のラファエル前派そのものという時期の作品です。有名な「オフィーリア」の背景の川の風景を滝に置き換えたような、とにかく細かく描きこまれていて、その細部優先が、風景の奥行き感を上回って平面的にすらなっています。流れの向こうの草の描写が細かいこと。滝の水しぶきで向こうが霞んで、などということは考えずに、ひたすら生えていると考えられる草を虫眼鏡で覗いているかのように精緻に描き込んでしまう。まさに、初期のミレイそのものです。手前の岩の岩肌の冷たい感触と、種類の異なる岩を岩石標本のように精緻に描き分けていて、その情報量は小さな画面から溢れてしまうほど。しかし、全体の画面が空間のひろがりが感じられず、箱庭のように感じられてしまうのが、典型的なラファエル前派のミレイです。この画面の細部をひとつひとつ見ているだけで、あっという間に時間が経ってしまいます。
Preraffa2marridge  ミレイの作品をもうひとつ「結婚通知─捨てられて」という作品。展示されているロセッティやハントの描く女性像が、たくましいとか妖艶といったものになってしまう中で、ミレイの描く、この女性には可憐さがあって、ほっと一息つけました。後に肖像画で一家を成した人だけあって、現実にいる普通の人で存在感があります。ロセッティの描く女性のような現実にはありえない、画家本人の願望を画面に投影したようなものとは違い、穏便な印象ですが、そこに落ち着きがあって、それだけに上目遣いの表情や頬の肌の柔らかさなどはとくに、はかなさも感じられます。背景は壁なのか、あえて描かなかったのか分かりませんが、後年の肖像画とは違って、人物の隅から隅まで細かく描き込んであって、衣装の布地の質感も描き分けられ、小品ながら侮れません。ミレイは、この程度で、あとはスケッチが数点。
Preraffa2tristan  フォード・マドックス・ブラウンの「トリストラム卿の死」という作品。ブラウンは、ラファエル前派の主要メンバーより上の世代で、画風に共通性があることから行き来するようになった人で、この作品はアーサー王伝説の中でトリストラム卿がマーク王の妃となったイソード姫を愛してしまい、それを見咎められたマーク王によって殺される場面です。もともとはステンドグラスの下絵デザインを油絵に仕上げたものだということです。そのせいもありますが、奥行きのない平明的な狭い空間に隙間なく人物を押し込めるようにして配置されています。これは、初期のハントやロセッティの宗教的な題材を中世風の素朴で様式的な画面構成と共通するものです。しかも、色遣いが明るい色を濁らせることなくつかっているので、画面全体が明確で、分かり易い。とくに、ブラウンは、ハントのように細部をリアルに詳細に描くことはなく、むしろ人物のポーズはデフォルメされて、マニエリスムのように不自然でわざとらしいところがあります。例えば倒れたトリストラム卿をかばうイソード姫のポーズや首の曲げ方など現実にはありえない形です。しかし、それが物語の場面を見る者に分かり易くしていて、ひとつの秩序をつくっている。
Preraffa2honest  ラファエル前派の初期の主要メンバーの一人、ウィリアム・ホルマン・ハントの作品も小品が2点しかありませんでした。「誠実に励めば美しい顔になる」という作品は、ミレーの描く女性の可憐さとは違うふくよかな女性像で、次の「甘美なる無為」の女性像になるとたくましさが勝って男みたいに見えてしまうのですが、そこまでは行かなくて、肌のつやつやして生き生きとした生命感は、ロセッティやミレイにはない、この人の女性像の魅力です。手元のティーポットも可愛らしいデザインで、紅茶をたしなむイギリスの上品な女性らしさを、うまく演出しています。彼の代表作「良心の目覚め」の女性の部分を抜き出して上品な装いにして肖像画にしたら、このようになるという印象です。
Eikokuromanhant  「甘美なる無為」という作品。ある人は、“ロセッティ的美人画のハント版”と評したということです。背景にある円形の鏡は、ファン・アイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」からの引用のようです。その鏡に映っているのは暖炉の炎であり、この女性の視線は絵のこちら側である観客に向けられているのではなくて、暖炉の火を見つめているのが分かります。しかし、そのことが、こちらを見ているようで、実はそうでない微妙なずれを鑑賞者に感じさせ、それが女性の視線が夢見がち、もっといえば思索的に映るのです。それはまた、鑑賞者を画面に誘い入れるような錯覚を生みます。そこにある種の倦怠感を伴う雰囲気を醸し出し、ハントには珍しい唯美主義的な作品になっています。しかし、描き方は緻密に描き込んであり、ハントの真骨頂がよく出ていると思います。ただ、私には、この女性の顔はゴツくて、夢見がちな女性には見えないのです。男性のように見えてしまいます。当時のイギリス人には女性に映るのかもしれませんが、あるいは両性具有とか、中性的ということになるのか、タイトルからして、これが甘美と言われると常識が違うと感じざるを得ません。

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