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2019年6月12日 (水)

入谷秀一「バイオグラフィーの哲学 「私」という制度、そして愛」(13)~第12回講義 よく代弁者とは─灰色の「私」

 集団的アイデンティティの最も強固な心理的な支えは「愛」に他ならないと考えたのはフロイトです。ここまで、この本での講義は、まさにこのテーゼの傍証を与えているように見えます。アウグスティヌスの隣人愛しかり、ルソーの博愛主義しかりです。しかし、他方で、性愛に精通しているフロイトだからこそ、彼は悲哀=葬送を通したあきらめの重要性を繰り返し説きました。幼児の精神的発達というイニシエーションを経由することで、人は自立した大人になる、というわけです。いうまでもなく、これは性愛関係の体制的変化─無制限に愛される「はず」の自分から、他者も愛する自由と責任を有したリアルな自分への─を意味するのであって、冷血漢やニヒリズムになることを勧めているわけではありません。感情やストーリーの共有は手放しに肯定できる事態ではなく、むしろそれはときに、心に刷り込まれた幻想の他者への過剰な依存へと人を導く、とフロイトは考えます。そのような幻想への固着は、外から見れば、頑なな自己への固執として映るでしょう。しかしそこをよくよく覗き込んでみれば、自己が欠けていることに気づきます。あるいは、常に「私」を導くはずの幻想─それは身近な具体的他者の場合もあれば、コードや大義という形で教条化されたイデオロギーの場合もあります─によって肝心の「私」が剥奪されている、ということが判明するわけです。だからこそ、「私」を欠いた人間は、容易に他者を巻き込み、エゴイズムの自覚なく、他者のうちに自分の見たい「あなた」を発見するわけです。
 この矛盾の極端な制度的形態を、私たちは、個人という存在を決定的に蔑ろにする戦争、及び戦時期に作られる物語を通した個人礼賛に見ました(例えば山本五十六や軍神、銃後の母)。これはある意味では、近代国家のコンセプトそのものから導出された論理的帰結だったとも言えます。というのはもいざというときには自己の存在を否定できる者こそよき国民であるという教え、つまり滅「私」というコードが予め銘記された「私」を愛せよというパラドクスを、あらゆる国民に自発的に受け入れさせることが、国民が主権者である「はず」の国民国家の課題だったからです。個人に対する国家の関係は、あからさまな力の行使という外的な形態としてのみならず、それ以上に、道徳教育や文化的啓蒙活動といった諸制度を通した国民の内面の醸成という長期的な働きかけとして現れたわけです。
 しかし、戦時下の日本では愛の証明が欠けている。奇妙なまでに不均衡で非対称な関係にありました。常に愛される側にのみ責任が生死を賭けて課されました。天子様のために命を犠牲にすると、しかし、愛する側である天皇は、その愛を伝えることはなかった。それは丸山真男が指摘したように無責任の体系という、著者の言では愛の底が抜けていた、ということになります。一般化して言うと、あなたを愛しているのは他ならぬ「私」だと、その絆の証明が最終的に帰責するはずの主体を自認する者はおらず、存在するのはただ、正体を見たこともない他のものの代理人の置かれた者たちだけということです。前回の講義では、男以上に男の論理を代弁し、これを自分の子らに教育する母たちについて考察しました。夫を失った被害者であるはずの彼女たちを、誉れ高き犠牲者の連れ合いとして称揚し、さらなる犠牲者の提供へとけしかけるメディア戦略は、美談として人々に広く受け入れられました。この美談はパターン化されており、陳腐だとさえいえますが、論理の陳腐さは、非力さを意味しない。戦争という大規模な総動員体制の前では個々人が無力であるように、愛国心という美徳の代弁者の数を最大化するという方法の前では、身内の詩に対する素直な悲しみの声は、たやすく掻き消されてしまうわけです。
 このような声を掻き消すという悲惨な例として著者はアウシュヴィッツの事例を思い起こします。アウシュヴィッツの死者たちは、ガス室で身を滅ぼされる以前に、生きている段階で、声を出す手立てを全て奪われていました。戦争ですらない、民族全体の殲滅、大量虐殺という史上稀に見る蛮行を生き抜いた生存者たちが、死を回避したというその幸運によって、永遠の沈黙の暗闇に沈んだ者の代弁者たることを運命づけられることになります。歴史の「真の」当事者たちの声を直接聞けないということ、その声が代弁者の声によって二重にも三重にも上書きされ、事後的にストーリー化され、その物語に対して、私たちは常におくればせながらに関わることしかできないのです。しかし、著者は当事者とそうでない者、もしくは行為者と観察者、あるいは生の声と残された記録、といった二分法自体が、歴史の証言という問題を考える上では十分な概念装置ではないと言います。アドルノは、先行するものが後続する者に対して歴史の占有権を主張することはできないと論じました。ルソーを読むデリダは、生へと関わり、その声を読むという行為を、書き残された言葉という記号的代理物を介した事後的反復という構造なしに成立し得ないと考えました。両者によれば、ある種のズレなしに、私たちは歴史に触れることはできない。純然たる当事者の立場に同化しうるというのは、幻想だと二人は考えます。自伝の当事者が、伝えうる内容を完全に個人的な所有物になし得ないのと同じように、声を奪われた当事者に代わって語らんとする代理人の立場の発言が事柄の真理性という観点からいって常に劣るわけでもない。と同時に、後続する代理人の立場が、先行する透視背者と比べて安穏としているわけでもない。
 ここで取り上げるのはプリーモ・レーヴィの『溺れるものと救われるもの』です。トリノ生まれユダヤ人である彼は、アウシュヴィッツに送られますが、連合国軍による収容所解放ののちに自らの体験を本にしました。彼は、収容所でナチス親衛隊が囚人たちに放った警告を伝えています。「この戦争がいかように終わろうとも、おまえたちとの戦いは我々の勝ちだ。生き延びて証言を持ち帰れるものはいないだろうし、万が一だれかが逃げ出しても、だれも言うことなど信じないだろう。おそらく疑惑が残り、論争が巻き起こり、歴史家の調査もなされるだろうが、証拠はないだろう。なぜなら我々はお前たちとともに、証拠も抹消するからだ。そして何らかの証拠が残り、だれかが生き延びたとしても、おまえたちの言うことはあまりにも非道で信じられない、と人々は言うだろう。それは連合国側大げさなプロパガンダだと言い、おまえたちのことは信じずに、すべてを否定する我々を信じるだろう。ラーゲルの歴史は我々の手で書かれるのだ」。運よく生き延びた者の証言内容が信じられないのは、その内容があまりにも非道だから─たしかにそうですが、それだけではなく、非道で非日常的な風景が日常風景化するほどに常態化指定ということが、証言する者自身に、証言へのアクセスを閉ざすから─いや、これも表現が正確ではない。証言したい内容に証言者が近づけないというより、かつて自分が経験したことがそもそも、自分自身にとってさえ不可能であり、想起や感情移入といった通例の人間の知的・情動的営みの範疇を超えている、というべきものです。信じられないのは、傍観者も加害者も同じでした。
 さて、レーヴィは終戦直後に『アウ主ヴィッッツは終わらない』で見聞きした事実を記しました。それが1987年の『溺れるものと救われるもの』では内省的な様相が濃くなっていきました。そこでターゲットとなるのは、かつての自分、それも解放直後には見過ごしていた、収容所における自分のたち位置です。それは「おそらくおまえもできたはずだ」というもの。それは生き残ったものたちが、彼の話を聞く聴衆の目に見る、あるいは見ると信じる判断なのでした。それは、なぜ抵抗しなかったのかという類の主張です。そういう彼は、死んでいった者たちからすれば、「真の」被害者とは言えない。このような反省が、恥辱の感情を伴い、証言を続ける彼自身に浮かび上がってきたのです。どうして自分が生き残ったのか、という疑問。証言しうるという幸運、あるいは証言行為そのものが、彼を懊悩に突き落とします。
 レーヴィは、生存者は「灰色の領域」に属するといいます。反乱を実行したがゆえに生きながら焼却炉に放り込まれた者たち、そしてまた、人としてのあらゆる感受性を奪われ、木偶のように無抵抗のまま殺された者たち、彼や彼女のように「真の証人」に自分たちはなれない。が、他方で、そうした非日常を完全に忘れ、戦後の平和、日常のうちに安穏と生きることもできない。そうした日常はときに、収容所経験を伝えるテキストを前に、全くの無理解を示すか、あるいは逆に、日常の尺度をそのまま用いて、非日常を判断し、評価しようとします。後者において非日常は、涙を誘うセンチメンタルな悲劇か、もしくは一握りの気がふれた軍人やサディストが行った喜劇か、いずれにしても、第三者にとって分かりやすい仕方で受容されることになります。テキストそのものが、そのような単純化やステレオタイプの物語化に加担しながら、歴史を編修し直した商品となり、ついには日常のちょっとした「うるおい」を与える、単なる添え物になるのです。アドルノはあるところで、舞台化されたアンネの日記を観賞し、とにかくあの娘だけは生かしておくべきだったのに、と感動しながら語った一人の婦人について触れています。
レーヴィの経験する疎外は、死者にも生者にも属さないという、自身のポジションの認識に現れるだけではありません。レーヴィは、自分がかつてなした証言からも、距離をとるように促されます。彼は、証言者という「特権と結果のつり合いがとれていない」と、かつての自分を否定するかのような思いを吐露します。レーヴィはそのとき、ある危機感を抱いていたと言われています。それは戦後社会に氾濫するアウシュヴィッツに関する語りが内包する、人間を迫害者と被害者に二分してしまう傾向であり、これは記憶の風化とともにますます顕著になる、と彼は感じていたそうです。たしかに、この二分法─語りに参与する者たちを、当事者とそうでない者に峻別する仕掛け─は語りを聞く前に、証言者との連帯を保証するかのように見せかけを与えるのです。つまり加害者は怪物に属するが、証言者は、蛮行を見過ごした傍観者を含め、一方的な被害者であり、それを後から聞き、観賞するものと同じく、エゴイズムや人種差別とも無縁の常識人、平和を守る一般人であという仲間意識がそれです。
 このときレーヴィは証言のあり方そのものが抱える問題性に振り向かせたのではないかと著者は言います。第三者の無理解を生むのは、あまりにも理解し易い仕方でなされる説明であり、いわば証言の華々しい成功、証言者としての─そして死者たちの代弁者としての─自己へのゆるぎない確信こそが、まずもってかいたいされるべきものとレーヴィに映ったのではないか、と。そこで、レーヴィは在る主挑発的な仕方で読者を巻き込もうとします。彼は、生存者の無垢性を否定し、いわば自らの傷をさらけ出すことで、読者─歴史に対して、自分と同じく部外者、単なる観客のポーズをとる傾向のある者たち─に、読者自身が多かれ少なかれ身に覚えのある傷にふれるよう、促していると思えるのです。しかし、傷に触れること、とりわけ触れ続けることは難しい。それは傷の重みに人が耐えられないという理由からだけでなく、触れ続けること自体が、いつの間にか、傷について語るという仕方で傷を抑制し、否認するような自己正当化へと容易に転化するからです。
 当事者不在のままで、繰り返し口にされ、共有されているストーリーは。その代理性がゆえに、聞く者に安心感を与えます(それは免責の安心でもある)当然、そうしたストーリーは、他の解釈の可能性を寄せ付けない限りにおいて、内部にあっては抑圧的、外部に向かっては排他的に機能します。この圧力を解きほぐすものとして、著者は、いわずもがなの内容を蒸し返し、全く別の角度から光を当て、担い手自身を突如として不安に陥らせるような他者の存在、あるいは他者の介入を指摘します。

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