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2019年7月16日 (火)

村田純一「味わいの現象学─知覚経験のマルチモダリティ」(6)~第2章 感覚のスペクトル(4)

3.生態学的感覚論─感覚の生態学的要因としての媒質
 感覚は、一般に考えられてきたように、環境から知覚者がさまざまな刺激を受け取る物理的、生理的過程にすぎないわけではないし、また、知覚者が世界についての知識を得るための材料を受け取るだけの過程でもありせん。むしろ、感覚は知覚者が世界から影響をこうむりながら世界へと働きかけるあり方であり、つまり世界とのコミュニケーションの特有なあり方といえます。これが、これまで検討してきたことです。感覚とは何かといえば、身体的な世界内存在の一様態とえます。
 感覚の次元で示される多様なあり方は、すべて自我と世界との関係の中に位置を占めているかぎり、世界内存在のひとつの様態という意味で、原理的に相互に結びついたあり方をしている。しかし他方では、自我-世界関係が多様な仕方で実現していて、相互に還元不可能な多様性を示しています。このような仕方でシュトラウスはそれぞれの感覚様相の連関と区別の両立を明らかにしました。そこで手がかりとなったのは経験に内在的な仕方で現われる世界のあり方です。経験に内在的な観点から、その多様性は、例えば人間関係における距離の違いのもつ意味など、価値や情動にかかわり、文化や社会のあり方の違いが反映すると苦笑もそこに含まれることになるでしょう。他方で、このような感覚におけるコミュニケーションの特徴は、世界との身体活動を介した相互作用として実現している以上、物理的条件や生理的条件と不可分であることも、無視できません。つまり、グライスが掲げた四条件のなかで、物理的、生理的条件としてあげられていた刺激や感覚器官の特質をも考慮する必要があるでしょう。
 ただし、感覚は主体の内部だけで特徴づけられるわけではなく、あくまでも身体的主体と世界との相互作用のあり方として実現するわけですから、物理的、生理的条件と言っても、主体の身体に内在的な条件だけではなく、同時に主体がそのなかで生きている世界との関係のなかに位置付けられる条件を考慮しなければならない。つまり、生態学的な条件としての物理的、生理的条件を考える必要があると言えます。
 ここでは、JJギブソンの感覚論を参照しながらみていきます。
 ギブソンにとって、知覚は主体と環境世界との相互行為のなかで実現する経験であるとみなされます。実質的なところではシュトラウスと似たような仕方で感覚ないし知覚をとらえていると言えます。ただし、ギブソンの場合は、この主体と世界との相互作用がどのような環境世界のあり方によって可能になっているかの解明が中心課題となります。そして、とりわけ、知覚に与えられる刺激に対応する要因として用意されている情報のあり方の解明が重要となります。また、刺激をうけとる感覚器官のほうも、世界との相互作用の中で機能する役割を演じるものである以上、個別の受容器に検定されず、対象と相互作用している身体全体の中で、多くの身体部位と連関する知覚システムとして働くことが強調されます。このような情報や知覚システムを可能にしている環境要因として、媒質という契機をギブソンは持ち出すのです。
(1)アリストテレスの媒質論
 アリストテレスは、感覚を定義するために、対象となるものに備わる特有な性質を提起し、その性質を知覚可能にするために必要な媒質の役割を強調しました。アリストテレスは先行する論者たちが視覚を論ずる際に、視覚の成立を流体や運動する粒子などのような何らかの物理的要因を通して知覚者と知覚対象とが接触することによって可能になる点で共通しており、これでは視覚は、まるで触覚のようになってしまうと批判します。そこで、アリストテレスは、知覚者と知覚される対象との間に距離をつくる何らかの媒質が介在すると言います。視覚の場合、この媒質の役割を演じるのは「透明なもの」だと言います。透明なものは、可能状態、つまり視覚が活動していないけれどいつでも活動できる状態、である暗闇の状態から光によって変化し活動実現状態、つまりまさに視覚が活動している状態、となり、視覚の固有対象である色と本質的な関係を持つことになります。色は、活動実現状態にある透明なものを動かすことによって見られうることになるからで、この理由によって、色は光のない状態では見られることはできないことになります。アリストテレスは、この媒質モデルを視覚以外の感覚様相にも拡張します。聴覚の場合には弾性体としての空気や水であり、匂いの場合も似たようなものです。
 アリストテレスがこのような媒質を必要としているのは、感覚器官の上に直接置かれた知覚できないからです。ここで前提となっているのは、どんなものにも「形相」と「質料」からなるというアリストテレス特有の考え方です。そこで知覚が可能と駆るためにはものの形相と質料が分離され、形相のみが受け取られ、感覚器自体がこの形相によって対象と同じ活動状態になる必要があるという考え方です。人間(を含めた動物)は、対象の質料から切り離された形相のみを受け取って、それに対応した活動実現状態に、つまり知覚するということです。
 これについて、19世紀のブレンターノは質料抜きの形相の受け取りという考え方に志向性という概念の起源を見出しています。例えば、冷たい水に触れて、水を冷たく感じることと身体自身が冷たくなること、それぞれの場合を区別する必要性を強調します。冷たい水によって冷たくなることは、どんな物体でも生じることであり、対象を冷たいものと感じることではない。換言すると、感覚器官が感覚現象を成立させるためには、対象によって感覚器官が直接触れられるような仕方で物理的(質料的)に影響をこうむるのではなく、そのような影響から距離をとって、対象が現われるあり方を可能にするのが、意識に備わる志向性という働きです。そのように考えると、アリストテレスの媒質は志向性を可能にする役割を担うと考えてられることになります。

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