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2019年7月10日 (水)

村田純一「味わいの現象学─知覚経験のマルチモダリティ」(3)~第2章 感覚のスペクトル(1)

1.感覚の個別化
 感覚をあらわすために、しばしば五感という言い方がなされます。しかし、それは人間に五つの感覚が備わっているということなのでしょうか、それともアリストテレスを嚆矢として感覚を五つに区分するのは説明するのに都合がいいからなので、そうするようになったのでしょうか。
(1)H・P・グライスの四つの規準
 言語学者であるグライスは、「感覚についてのいくつかの所見」という論文で感覚様相を定義する規準として次の四つをとりあげました。①知覚の対象が持つ色や音等が持つ色や音等の固有の性質、②見ることや聞くことなど、知覚経験に内在的に備わる固有な特徴、③光や音波など、知覚を引き起こす刺激の性質、④眼や耳など、感覚器官の種類、といったことです。それぞれの規準を見ていきましょう。第一の規準はアリストテレスの考えにおおむね対応していると言えます。「感覚は、それを介してわたしたちが意識することになる様々な性質によって区別される」。たとえば、見ることは、対象の色とかたちと大きさを持つものとして知覚することとして規定され、聞くことは、対象を音の大きさ、高み、音色を持つものとして知覚すること、などのように規定されます。しかし、たとえば、ものの形や大きさは、視覚によっても触覚によっても捉えることができます。知覚対象としての性質のなかには。ひとつ以上の感覚によって捉えられるものがあるため、対象となる性質を示しただけでは、感覚のあり方を一義的に確定できないということになります。また、逆に疑問も生まれます。たとえば音は、大きさ、高さ、音色によって構成されているわけですが、この三つの要素にそれぞれ異なった感覚が対応しているとみなされることはありません。聴覚は、これら三つの感覚の複合体とはみなされず、ひとつの感覚としてみなしています。それはどうしてなのでしょうか。それは第二の規準と関係してきます。この規準は経験に備わる現象的性質とかクオリアと呼ばれているものに相当するものです。しかし、たとえば、見ること、ないし見ているという「感じ」し、嗅ぐことないし嗅いでいるという「感じ」とを、見られたものや嗅がれたものへの言及なしに区別することができるでしょうか。経験の内的性質を捉えようとしても、そこで見出されるものは、刑権に現われた対象のあり方であり、対象の性質と区別された内観的特徴を見出すことは容易ではないのです。そこで、グライスによると、結局のところ第一の規準と第二の規準は同じことで、それぞれが独立して働くことはなく、不可分でありながら、他方では両者の区別の可能性も認めています。そのことによって第二の規準の重要性を主張します。著者は、グライスが取り上げているのは、結局は、知覚における「なに」の契機と「いかに」の契機を独立したものとみなすことはできないことだと言います。第一の規準と第二の規準は独立しては意味を持たないのであり、感覚を特徴づけようとすると、感覚されるものと感覚することという密接に関連した二つの要因を必要とすることになります。

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