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2019年7月18日 (木)

村田純一「味わいの現象学─知覚経験のマルチモダリティ」(7)~第2章 感覚のスペクトル(5)

(2)ギブソンの感覚論
 現代の感覚論で媒質の重要な働きを強調しているのがギブソンです。ギブソンによると動物と人間の生活している環境は、古典的な物理学が描くような、空虚な空間のなかに様々な対象が位置を占めているような世界ではなく、その環境を構成しているのは、媒質、物質そして両者を区分けしている面であると言います。たとえば、地上でもっとも基本的な物質は大地であり、最も基本的な媒質は空気と水です、大地と空気の間の境界面を形成するのは地面であり、それは動物の知覚や行動の基盤です。
 媒質のおもな機能は情景を用意し、知覚を可能にする点にあります。このように考えると、知覚は刺激を受け取ることから始まるのではなく、媒質内の情報をピックアップすることによって成立すると言うことができます。したがって感覚様相を特徴づける(物理的)規準として考えられるのは、刺激ではなくて、媒質内に実現している情報のあり方ということになります。つまり、媒質の違いに対応して違った仕方で実現する情報のあり方に応じて、感覚様相が区分されることになるというわけです。そして、感覚器官という概念もまた違った仕方で理解されることになるでしょう。身体活動を通して情報を能動的に探索することが知覚の基本である以上、探索活動を行う身体のシステム全体が感覚器官とみなされなければなりません。このような考え方が。知覚システムとしての感覚というギブソンの感覚観を形成することになりました。
 さらに媒質は、個体とは違って、動物の運動を妨害するのではなく、支援することによって、動物の多様な運動を可能にする役割を担っています。媒質のこの特徴は、知覚は、媒質内の情報をピックアップするという働きによって実現されるのです。
(3)生態学的観点からの帰結
 以上のようなギブソンの考え方は古典的な知覚の理論の受け身の姿勢とは反対の方向性で感覚概念を解釈しようと試みます。
  a.動物の感覚
  b.感覚・運動・媒質
  c.五感という感覚観
 感覚の数を五つとみなす一般的な見方に対して、ギブソンは新たな見方をします。五つの感覚様相の区分はあいまいになって意味をなさなくなっているが、外部への注意の五つの様式の反映としての意味があると言います。それは、身体の知覚装置を方向づけるための五つの主要な方法です。聞く、触る、嗅ぐ、味わう、見るという方法です。これらは、「耳-頭部システム」、「手-身体システム」、「鼻-頭部システム」、「口-頭部システム」、「眼-頭部システム」の調節と探察的な運動によって実現するものです。ただし、特に食物摂取は、嗅ぐことと味わうことという二つの注意の様式が共働していて、鼻と口は不可分な仕方で機能していると言います。さらにギブソンは、基礎定位システムを重要な基礎的なシステムとしています。これによって、重力や外部からの力を検知して、身体的平衡状態を実現しているものです。
 このようなギブソンの見方によれば感覚器官は解剖学的な単位ではなく、探索的知覚活動の中で用いられる道具として捉えられることになります。このような道具の使用は、注意の方向を構成するという仕方で身体の運動感覚的な働きの一部を形成しています。つまり、身体各部の位置や運動に関係する自己受容感覚と呼ばれ意識のあり方と密接に結びついて実現しています。
 我々は五感に対応する知覚システム起動させながら活動していて、そのなかで注意を引く対象に対応する感覚のあり方が、その知覚経験のあり方を規定しているという具合に理解することができます。しかし、その感覚も、決して他の感覚から切り離された純粋な視覚であったり、純粋な聴覚であったりするわけでなく、他の感覚と不可分に結びついて成立しています。さらには、五感に対応する「耳-頭部システム」をはじめとしたシステムとして成立しています。そのなかのひとつのシステムが注意の働きを担い、その調節と探索的な運動によって関心のある対象の知覚を実現するときに、感覚器官を導く運動感覚ないし自己受容感覚にも注意が向けられることになり、感覚の働きがごく自然に理解されるようになります。
 このことから、例えば、味覚について言えば、五感すべての感覚が共働して実現するマルチモーダルな経験なのだけれど、日常的には、ひとつの感覚様相とみなされて、他の感覚様相から区別されている。その理由として考えられるのは、食物摂取にける注意の一貫性です。そこには様々な感覚が働いていますが、食物の味覚、つまり、味わいというそのアフォーダンスに対して一貫して注意が向けられていることによって、この活動を導いている感覚が、食物の味を味わうことであるとみなされるという仕組みになっている、と言えます。こうして、感覚の区分とは、その時々の注意の向け方に依存しているのであり、それは同時に経験の中で世界のどのような対象へと応答しているか、ということによっても想定されているのです。これが世界とのコミュニケーションとして実現する身体的世界内存在としての感覚のあり方に他ならないのです。

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