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2019年8月14日 (水)

メスキータ展(4)~3.自然/Animals and Plants

 ここから、フロアが変わって2階におりて、動物や植物を題材にした作品が並びます。
Mesquitadeer  展示室に入ってすぐのところで「鹿」という木版画作品が三つのバーションで並んで展示されていました。メインであるはずの鹿の姿はシルエットにしてしまって、背景を彫って描いています。地と図が反転しているわけですが、どういうわけか角はシルエットになっていなくて現実にはありえないような三角形となっています。そういえば、鹿のシルエットも直線的で幾何学の図形のようです。それは、おそらく、背景が横線の直線によって描かれていることから、画面が作られているからではないかと思います。このコーナーでは、人物と違って動物や植物がデザインのように変形され、幾何学的な図案のように、直線に還元されていきます。中には、その直線そのものが解体されてしまうような作品も出てきます。それらは、しかし、図案化とか抽象化という意図というよりも、メスキータの身体の動きというのか、ひたすら版木に彫刻等を繰り返して刻むという動きからでてきた結果というものではないかと思います。その傾向は、植物を題材にした作品の方に、より顕著に表われているように思います。だから、そっちの方が面白い。
Mesquitacacuts  「サボテン」いう1928年の木版画作品。とても小さな作品で、目立たないのですが。サボテンの棘を図案化したような図形を反復するように配置して、それだけでサボテンの表現をつくっています。結果として、とても洗練されたデザインのようになっています。これは、メスキータのオリジナルでしょう。見ているわたしも、上のフロアで人物を題材にした作品の気持ち悪さに慣れてきたせいもありますが、それゆえに、この作品のセンスの良さがよく分かるようになったのかもしれません。それほど、この作品には、語る言葉も出てこない。感覚的にカッコいいんです。エッシャーの作品には、こういうのありません。
Mesquitairis  「アヤメ」という1920年の木版画作品。これも、「鹿」とおなじように異なるヴァリエイションが並べて展示されていました。この花のデザインといえか描き方は気味悪い化物のように見えてしまいます。本質的に、この人の描くものって不気味で気持ち悪くなってしまうのでしょうか。花びらがすべて棘のように見えて、柔らかさとか、滑らかさという感じが全くなくなっている。このかたちだけを取り出せば、ホラー映画に出てくるグロテスクな怪物か化物に見えてきます。花には見えない。そして、この背景が謎です。何を描いているのか分からない。意味不明なのです。おそらく、アヤメというタイトルから、この植物は水辺に生えるので水面にアヤメの茎が映って、それが波が生じて、その映った姿が波で変形している様子なのかもしれないと推測します。しかし、それは尤もらしい理屈で、画面だけをみていると水面に映るアヤメの真っ直ぐな茎を、横線で区切って、区切られて短くなった縦線と横線の交錯の反復で画面を作りたかったのではないか。そっちの方が実はメスキータの主意ではないかと思えてきます。中央のメインのアヤメの茎も真っ直ぐ縦に立っているのではなく、葉が折り重なるようになっていて、その葉の描き方も何本もの直線を重ねるようにしてギザキザな葉を形作るようにしています。つまり、葉を直線の反復で、茎を葉の反復という二重の反復で形成させている。ここに、一本の真っ直ぐ伸びる直線を拒絶するように、分割された短いブロックを積みあげるようになっています。そのメインの茎と背景の水面に映る何本もの茎とは線の太さや鋭さが違っていて、それは木版画ならではの鋭さのヴァリエイションなんでしょうが、それが何本も並んだ様子は、石積みのゴシックの大聖堂のような超絶的なイメージです。
Mesquitapaine  「パイナップル」という1928年の木版画です。こちらはパイナップルの実の全体をシルエットのようにして表面の皮の、粒々のような凹凸を、ハッチングしたような扇形の図形の反復で表わしています。それがぴったりとハマって、といもシャープでセンスのいいデザインのようになっています。このようなシャープな感じというのは、エッシャーにも通じるものがあると思います。しかし、エッシャーのような知的なパズルのような遊戯性は、あまり感じられません。それよりも、パイナップルの実という全体の枠をはめられた中で、その中で、扇形の図形を反復させることに熱中しているメスキータの姿を想像してしまうのです。ただ、この人は機械的に反復するだけに終わらず、それを結果として図案化されたデザインに結晶させている。そこまで気を配っているとこめに、この人のセンスがあると思います。しかし、そのセンスは最初から構想して、それに従って反復をするのではなくて、反復が行われるのを何らかの形にでっち上げていく感じのように思います。それは、この後のコーナーの空想という、制約のないところで自由に想像力を働かせたといううたい文句の作品が、下手なマンガのように月並みで、つまらないことからも分かります。この人の想像力のセンスというのは、既存のものやデザインに少し手を加えて違った感じにしてせるような小手先のうまさのようなところがあって、ゼロから作り出すような独創的なものではないと思います。おそらく、この作品を制作したころには、自身の想像力の限界を分かっていて、こういう差異をうまくつくりだせたような気がします。
Mesquitainko  このような図案化、デザイン化は動物を題材とした作品の中でも、鳥を題材にした作品に、その傾向が顕著で、たとえば「コンゴウインコ」という1926年の木版画作品は、普通なら横からの角度で大きくて特徴的なくちばしを際立たせるような構図にするところを、あえて真正面からの構図にして、くちばしが目立たないようにする。また、極彩色の羽の美しさについても、全身を黒いシルエットにしてしまって、これも隠すようなことにしてしまう。しかし、真正面のシンメトリーな構図は、中世のイコンを思わせ、こちらを向いているふたつの目が親しみを感じさせ、しかも、羽根の揃ったところを短い縦線を水平に並べて表わす画像はシンプルでシャープな印象を強くします。最初、この作品を見た時に、私はインコではなく、宇宙服を着た宇宙人の姿かと思ってしまいました。そういうモダンな印象に仕上がっています。
Mesquitafog  真正面の鳥の姿ならば「ワシミミズク」という1915年の木版画です。展覧会のポスターでも使われているので代表的な作品なのでしょう。「コンゴウインコ」ほどのシンプルゆえのシャープさはありませんが、こちらは羽根のひとつひとつを無数の縦線をひとつひとつ引いて表現しています。しかも、その縦の線の主張が抑えられるように、彫りを浅くして、鋭く細い線で、うまく、まとめられています。それゆえに、「アヤメ」や人物画で感じられた部分の過剰で気味が悪くなることはなくなって、とても見易くなっています。とくに、その羽根を描いた結果も用のようになった、そのデザインはセンスがいいと思います。しかし、私の好みからいえば、そういう不気味さがメスキータの面白さだと思うので、こういう作品は万人受けするものだろうが、ちょっと薄味に感じがします。
Mesquitafish  「エンゼルフィッシュ」という1914年の木版画では、「ワシミミズク」のようなセンスのいい模様になっていなくて、魚の胴体の碁盤目模様は、胴体の立体を無視するように、直線の並びの方が優先されていて、主張が強くなっています。また、長いひれの部分は縦線の並びも抑えきれていないので主張が強くなっていて、暗い水面に網目が強調されて浮き上がっているような感じで、魚を題材としているというより、網目が抽象画のように見えてくるところがあります。その反面として背景の黒の水中が虚無空間にように見えてくる。ちょっとした不気味な感じがスパイスのようになっていて、メスキータの特徴がよく分かる作品だと思います。おそらく、「ワシミミズク」のような作品を親しみ易いと感じてしまうのは、エッシャーに通じるところがあるからだと、私などはエッシャーの作品は目にすることがあるので、それに近い作品であるとも、近づきやすくなるところがあると思います。逆に、この作品のように、エッシャーにはない破天荒さが、この人の特徴だとおもうので、メスキータの臭さのようなものが、強い気がします。
 この後の展示コーナーは、「空想/fantasy」というシュルレアリスムの自動筆記のような要領で描いたという、これまでのような人物や動植物を題材にして描いたものではなく、自由に描いたという作品ということでしたが、これまでの作品に比べると面白くなかったので、展示室のフロアの真ん中に展示されていた雑誌の表紙絵も同様につまらなかったので、言うことはありません。
 あと、展覧会図録は買おうと迷ったのですが、バッグに入りにくいし、持ち帰って本箱のサイズに合いそうもなく、やたら重そうなので、やめました。凝った装丁もいいのですが、それなら同じ内容で使い勝手のいい版も同時に作ってほしいと思います。

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