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2019年8月12日 (月)

メスキータ展(2)~1.メスキータ紹介/Introduction

 最初のコーナーは自画像を中心とした作品が並びます。
Mesquitaself 「鬚に手をやる自画像」という1917年の木版画です。この作品で、最初にこの人の特徴と思った視点で、このあと、ずっと作品をみていくことになりました。画面の真ん中に自画像があって、背景が真っ暗でなにもない。で画面の下半分はモデルが黒い上着を着ているので、背景の黒と見分けがつかなくなる。それで、黒い上着と真っ暗の背景の間に区分かるために横線が何本も引かれている。想像するにもこの作品は、画面の全体構成をあまり考えていないのではないか。白黒の木版画は白と黒の二項対立のように構成とか期待しますが。これを見ていても、暗闇に人物の顔が浮かび上がるというようなことは感じられません。しかも、背景の黒と人物の着ている上着の境界に何本も線が引かれているのも不可解です。境界線、つまり輪郭線にしては本買うが多過ぎる。しかし、それを背景の中で意味を持たせているようにもみえません。しかし、その意味の分からない線が面白い。描いている線ではなく、木版画の版木を彫って、刷って現われた線が、躍動感があるというか、存在感があって、それが横に何本も並ぶように横線として引かれて、その反復が面白い。他の場所でも、黒い上着の襟や袖にところを、一本の縦の輪郭線で済ませれば良いところを、横線を何本も重ねて、縦線のようにしている。だから輪郭ははっきりしなくて、皺が寄っているようにも、動いているマンガの動線のようにも見える。それは、鼻の下の鬚が扇形に広がっているように太めの線が何本も引かれている様子は、そこだけてミニマルアートのように見えてくる。しかも、それで手を当てている、その手が隠れてしまって、線があたかも優位になるように見えてくるのです。そういう線、というより、線を彫っている手の運動性が伝わってくるような面白さがあります。
Mesquitajaap  Mesquitajaap2 「ヤープ・イェスルン・デ・メスキータの肖像」という1922年の木版画。展覧会チラシにも引用された作品で、これをポスターやネットの画像で見て、展覧会に興味を持った人も少なくないのではないかと思います。モデルは作家の息子さんだというのですが、この作品、なんとなく小説家のフランツ・カフカの肖像に似ている気がします。少なくとも、同じような雰囲気をつよく感じさせます。この雰囲気は、はっきり言って暗さは、白黒の画面で黒の部分が多いということもあって、メスキータの作品に共通する底流のようにあると思います。それも、この人の悲劇的な最期という物語のせいもあるのか、カフカの作品に共通してあるような、理不尽に閉じ込められて、人があがいても、そこから出られないといった物語のような絶望的な暗さのような雰囲気です。この作品では、目が飛び出るように凝視している異様さ。ちょっと気味悪さのような暗さがあります。見ているうちに、それが癖のようになってしまう。好き嫌いが分かれる作家だと思います。
Mesquitaself2  「サボテンと自画像」という1929年ごろの木版画です。これは上から吊り下げられたサボテンから放射されたような、人物の背景となって三角形の部分に何重にも引かれている横線と、その横線に縦の模様がはいっているようなのが、不規則にならんでいるのが、小さな変化となって、音楽のように感じられるところが、画面に動きを作り出しています。その反復に連動するように、人物の髪が縦線の反復だし、顔の皺が小さな線の反復、また、サボテンの茎に横断する小さな線が重ねられている。それらの反復、それぞれアバウトに違っていてその不規則さが反響し合うように感じられます。
Mesquitaharlem  「ハーレルムの市庁舎」という1911年のエッチング作品。展示作品の中では唯一と言っていい建築を描いた作品です。建物を正面からみて、図面にように描いていますが、窓や庇などの建築のパーツの反復と、エッチングという細い線の反復で全体が作られています。この作品では、幾何学的な対象が、繰り返しの組み合わせで画面をつくるのに好都合で、はまっています。メスキータはエッチングも制作しているようですが、ほとんど、ボカシの技法をつかうことなく、線をはっきりさせて、それを重ねていく描き方をしています。このひとは反復が好きなのだと思わせられるところです。しかし、木版画のときのような不規則さが、まるで機会でない生身の身体性が感じられるところがなく、図式的なところが踏み出ていない感じもします。でも、何か少しノスタルジックなイラスト風の雰囲気があります。これは、メスキータとは時代も画風も無縁の人ですが、オートー・ネーベルという抽象画家の中世の大聖堂を題材に、その大伽藍が石を積み上げて作られているということを、石の反復として、その反復の部分を取りだして抽象画として描いている作品を想わせるところがあると思います。ネーベルという人は、メスキータとは比較にならない程、偏執的といえるほど執拗に細かな繰り返しを描いた人ですが、メスキータは、版画という技法上の制約もありますが、ネーベルのように細かすぎるまではいかないし、作品は、そういう部分だけを抽出しているわけではなく、市庁舎の全体像まで描かれているので、抽象画にはなっていません。しかし、そういう視点でみると、メスキータの作品には抽象画的な性格が多分にあると言えるのではないかと思います。Nebelhekigan

 

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