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2019年9月21日 (土)

畦地梅太郎 私の山男(1)

Azechipos  先日関東地方を直撃し甚大な被害をもたらした台風の置き土産のような熱い空気による強い残暑が漸く薄らいで、昨夜は秋を感じさせる涼しい夜となったことから、久しぶりによく眠ることができた。その結果、おもいのほか朝寝坊をしてしまい、今から仕事にいっても中途半端になるだけかと、今日は、いちにち寝て過ごそうかと思っていたところ、この中途半端な時間なら、ちょうど町田の国産版画美術館にいってくるのにちょうどよいことに気づいた。この美術館は町田という場所もなかなか気楽に寄り道できるような位置関係になく、わざわざ出かけていくということになってしまう。しかも、駅から歩くの二少し距離があって、しかも、急坂を上り下り(これがかなりきつい)しなければならないので、真夏の炎天下などには到底行く気になれない。それで、興味を感じる企画展があっても、なかなか足を運ぶことに至らない。それば、今回は、たまたま条件が揃ったことになったので、珍しく気まぐれを起こして、よって見ることにした。
 三連休の初日の土曜日の午後で、天気も曇りで、雨は降らないが快晴というのでもない、それに展覧会の会期が終わり近いということもあって、今まで何度かこの美術館にきたことのあるうちで一番鑑賞者の多い展覧会だった。とはいっても、上野の美術館のような展示の前に人々が列をなすといった混雑とはほど遠く、落ち着いて作品を見るには支障のない程度だった。
 さて、畦地梅太郎とは、どのような画家であるのかというのは、展覧会チラシの作品をみれば一目瞭然で、その印象を裏切らない作品が展示されていましたが、簡単な紹介を兼ねて、主催者のあいさつを引用します。“「山の版画家」、畦地梅太郎(1902~99)。自ら山を歩き、その経験から生み出した作品で、今も広い世代の人々に愛されています。1970年代中頃に移り住んだ町田市鶴川で晩年を過ごし、町田市の名誉市民ともなっています。愛媛の農村に生まれ、16才で故郷をあとにした畦地はさまざまな仕事についたのち、版画をつくり始めました。創作版画運動の先達や仲間たちにならい、都会や故郷の風景を描いていた畦地がたどりついた主題、それが「山」でした。浅間山、石鎚山…、決して大きいとはいえない版画の画面に、大きく力強い山のすがたを描き、「山の版画家」としての評価を確立しました。その畦地の表現を一変させたのが、「山男」の登場です。1952年の国画会秋季展で発表した「山男」の作品は、それまでの山の風景に親しんでいた人びとに驚きを与えました。素朴で温かな山男は人々の心をつかみ、「山男」は畦地作品の代名詞となっていきました。畦地は自らの表現と造形を追求し、常に先に進もうとした版画家でした。自身が齢をかさね、時代とともに美術表現が移り変わっていくなかでも、自分自身の心をうつものを表現することに真摯にとりくみつづけました。「山男」シリーズを中心とする100点の作品を通して、畦地が「山男」を通じて伝えたかったものは何かを探ります。”私の場合は、畦地の版画は美術館なんぞより「山と渓谷」や「岳人」あるいは今はなき「アルプ」といった山岳雑誌の挿絵で見た印象の方が強いので、あえて、作品としてじっくり見たことはありませんでした。だから、漫然と眺めていた、この画家の作品をじっくりと見るよい機会となったと思います。それでは作品を見ていきましょう。

 

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