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2019年10月13日 (日)

伊庭靖子展─まなざしのあわい(5)~Ⅳ

Iba201801  同じ広い展示室で白いパーティーションで囲われた一画を出るようにして、部屋の出口の壁際の一画です。ここは、雰囲気がかわり、白いパーティーションがなくなります。作品が直接部屋の壁にかけられています。照明も、白いライトが当てられることがなくなりました。作品をとりまく空間が転換したという印象です。作品も変化していますが、なによりも、空間が変わったという印象です。そのために作品対する見方も変わってくるのかもしれません。印象としては、それまでの作品に共通していた、明るさと明晰さ、とくに明晰さというのは透明さに繋がっていると思うのですが。それがなくなって、薄暗い画面になり、全体にヴェールがかかったようなボンヤリとしたものに変わりました。それまでの作品は、たしかに輪郭がはっきりしたというものではありませんでしたが、クッションにせよ陶器にせよ、明晰に描かれていました。しかし、その明晰なものが何重に重ねられたり、淡い色遣いで透き通るように描かれていたので、それと意識することはあまりありませんでした。しかし、モティーフははっきりしていました。また、最初に見たクッションや陶器をモティーフにした作品では、背景というのは描かれていなかった。また、モティーフにアクリルの箱を被せたのを描いた作品では、モティーフとアクリルボックスを基本的に描いているので、背景は、やはりありませんでした。それに対して、例えば「Untitled2018-01」という作品です。モティーフの陶器は、空間に在るという作品で、相変わらず、陶器が置かれている台とか背後の壁といった具体物は描かれていませんが、現実にあるのではないでしょうけれど、陶器の描かれている以外の画面に縦にヴェールがかけられているように、色分けされている。ここで、今までなかったモティーフ以外の部分が描かれている。それは、モティーフを空間に置いたということ、わざわざアクリルの箱という、もうひとつのモティーフを加えないで、という作品です。一般論で言うと、地と図という平面の扱いについて、これまでの作品は図しかなかったのが、はじめて図が表われたといえると思います。おそらく、それと、これらの作品が直接部屋の壁にかけられたのは関係があるように思います。つまり、それまでの作品は、白い展示空間が作品画面では表われなかった地の代わりをしていたのではないかと妄想してしまうのです。しかし、この作品では、画面に地がちゃんと表われたので、展示する壁や空間を配慮する必要がなくなったというわけです。それで、画面を改めて見ると、図だけでなく地も表われたので、作者の注意も図だけだったのが、地にもいくことになり、図をきっちり、細かく描き込むほどの力が届かなくなった。それで陶器にはヴェールがかかってボンヤリしたものとなった。また、背景は得かがれるようになったので、白とするわけにもいかなくなった。私には、これまでの作品を連続して見てきて、ここの展示されている作品で変化を感じて、それまでの作品に比べて、ここで作品では、作者がどこにいるのか隠れてしまったように感じられます。最初に見た作品では、作者はモティーフに寄り添っていました。次の陶器では正対していました。そして、アクリルボックスを被せたことで、モティーフと重なろうとした。しかし、ここでの作品では、モティーフ以外に背景というモティーフのある空間も表わしています。作者には、モティーフ以外に空間にも対するようになっている。そこで、モティーフとの関係が間接的になったような感じがします。それゆえか、モティーフと作者の直接的な関係が見えてこなくなった。その反面、作品は独立して完結したものになってきている感が強くなったと思います。

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