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2019年12月18日 (水)

齋藤芽生とフローラの神殿(5)~4.「日本花色考 24の図案・24の読解」

Saitocolor  これは、展示室廊下のロビーのようになっているところに立てかけるようにして展示されていました。室内の壁に掛けられていたのではなかったので、見落としそうになりました。時系列では、「徒花図鑑」から戻って、齋藤の大学4年のころの作品です。齋藤は、365日のタイトルリストを基にした絵暦のような形式で、架空のいけばなの立体図のシリーズ「百花一言絶句」を描き続けていたということで、これは、その中から24点をピックアップした特別版ということです。これまで見てきた作品とは違って、線の過剰さが影をひそめるようになって、色彩がとても目立つ画面になっています。この作品の色の派手なぶつかりあいのような印象は、横尾忠則の演劇のポスターを思い出しました。おそらく、このシリーズはたくさんの数を制作していたようなので、前の図鑑のシリーズに比べて、画面のデザインや構成をじっくりとイメージしたり考えたりする余裕がなくて、即興的とでもいうような、どんどん描いていったものではないかという感じがします。この人は、どんどん描けてしまう人ではないかということです。つまり、あんまり考えなくても、手が勝手にどんどん描いてしまう人なのではないかということ。変な言い方かもしれないのですが、例えば、食べ物屋さんで注文した食べ物がテーブルに配膳されると、それが珍しいと思ったりすると、スマートフォンで撮影したりしますが、私の場合は、そういう発想が全くなくて、そんなことよりも、その印象を言葉にします、それで記憶に定着させる、「あの時、××で注文した〇〇は、こんなだった」というように、それをことばではなく、手近な鉛筆を手にしてテーブルの紙ナプキンなどにさっとスケッチしてしまう、それは、とくに考えたりするのではなくて、本能的とでもいうように、私が言葉にしたのを、スケッチで描くことで代替的にやったとでもいうように即興的にです。齋藤のこのシリーズには、そういうような、十分に考えてイメージを練り込むより先に手が動いたように感じられます。それだけに、この人は素の面が出ているような気がしました。それが見えると、前の「図鑑」と、この後の窓のシリーズとの共通性が分かる。
 それは、抽象的な言い方になりますが、この人の図鑑のシリーズにしても、この後のシリーズにしても、けっこうグロテスクだったり汚いといわれているような題材だったり、不気味だったりするようなことを描いているのですが、それらは決して汚くならないで、きれいな画面になっている。それは、この人の作品を見る人の大部分が感じることだろうと思います。それは、見る人の美しいというイメージを揺さぶるようなものではないのです。この人のベースには、そういう誰もが美しいと感じるスタンダードな枠のなかにいるということなのです。そのなかにいるからこそ、どんどん描けるのかもしれません。それが、誤解を招くかもしれませんが、通俗性の要素がある(私がマンガを連想するのは、そういうところに因るのだろうと思います)。しかし、それで描いたたけでは充足できないところがあって、それで頭でいろいろと物語をつくったりとか言葉で考えて、画面を作っている。それがグロテスクだったり不気味だったりする結果となっている。実際、この「日本花色考」の画面を見ていると、単純に色が鮮やかできれい、構図は一見複雑なんだけれどわかりやすく見える、そう感じるのです。

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