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2019年12月24日 (火)

齋藤芽生とフローラの神殿(11)~12.「密愛村Ⅳ」

Saitovillage3  同じ密愛村のシリーズでも、前のⅢでは間接的だった人物が、Ⅳでは明瞭に登場します。実際、これらの画面はⅢの画面に比べて、暗い画面であっても光に照らされた空間は単なる闇ではなくて、それぞれにかなり工夫がなされています。そのためか、目立たないながら色の数が多くて、かなり印象が異なってきます。
 「A Girl Who Sells Cicadas’ Chorus(蝉時雨を売る少女)」という作品です。背景の茂る葉の向こうには陽光の明るさが仄見えるので昼間なのでしょうが、深い森の中は薄暗く、夜のような空間です。そこに異世界を見ることができる。蝉は異常に大きく、標本のような形で、あり得ない位置にいます。右下には少女の姿がありますが、生気がなくて、まるで人形のようです。この人物は、例えばマグリットの作品で描かれる生気のない女性を思わせます。そして、色とりどりの虫かごが並べられている光景は、たしかに幻想的といえるのですが、不気味でもあります。しかし、部分的に見れば、ひとつひとつの虫かごや蝉は、どちらかというと明るい色できれいなのです。それが、暗い森の蔓が絡みついた大木の前にあるので不気味に見えている。しかし、その背景が、たとえばお洒落な店舗であれば印象は変わって、少女趣味というと変ですが可愛らしい光景を作るのではないかMagkuwadate と思います。というのも、この人の世界は、「密愛村Ⅲ」のころでB級映画の月並みなストーリーを思い起こさせると述べましたが、どこか月並みなところがある。この作品では、少女趣味のロマンチックな少女マンガや少女小説の世界です。それをストレートに出せない屈折があって、それが夜の闇であったり、「密愛村」というとってつけたようなフィルターです。だから、作品の画面が、独創的でなくてもよくて、誰々風というような既存の描き方を使っているわけです。ただ、そこには見るということで作者の一貫したしせいがあって、その他のことは、気にせず使えるものは、こだわりなく使っている。そういうように見えます。だから、作者が結構、言葉で語っていたり、物語的な付加をつけていますが、それは、あまり気にせず、この人の見るということで一貫しているところが、好ましいと思います。そして、その屈折は、何となく分かるような気がします。
Saitovillage3  「A Spirit Ensbrined by Female Miners(女鉱山師たちの祀る精霊)」という作品です。泉を前にして、囲むように精霊が並んでいるという構図は伝統的な西洋絵画に見られるものです。例えば、ラファエル前派のバーン=ジョーンズの「ヴェヌスの鏡」などが真っ先に思い当たります。もともとは、そういう作品にあるようなロマンチックな光景が、齋藤の手にかかると、このように屈折したものになる。そういう典型的というか、この人のシャイなところがストレートに出ている作品ではないかと思います。あるいは、それまでの作品では形式的な構成のパターンを踏んでいたのが、それが崩れてしまったので、既存の伝統的な絵画のパターンを使ったのかもしれません。そういう照れを隠すためと私には思えてしまって、微笑ましく思うのです。それが、並んでいる女性たちが仮面を被って表情を見せていないとか。夜明け前のような暗い空間であるとか、女性の着ている服の色遣いが鮮やかに光っているようなのに、暗い感じがするとかいったこと。あるいは、彼女たちが視線を向けている穴にはガラクタのように、ひとつひとつは色鮮やかなのにもかかわらず、投げ捨てられているように見える。そこに、なんとなくメッセージ性があるように見せかけている、そういう何かありげなポーズZenpabjve3 を、おそらく作者自身もそれに気が付かず、本人は真面目に信じているかもしれませんが、そうせざる得ないところが、この人にはある。それが、この人の作品の面白いところ(魅力)だと思います。

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