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2019年12月23日 (月)

齋藤芽生とフローラの神殿(10)~第3章 旅をする魂 11.「密愛村Ⅲ」

 ここからの作品は、それまでの図鑑とか窓といった形式を反復するようなパターンから離れていくようになります。
Saitovillage  作品タイトルの密愛村とは、作者である齋藤が実際に旅をして、その途中で遭った風景が再構築された夜の果ての歓楽地のことだそうです。齋藤自身、つぎのようなことを述べています。“高校の頃、西欧の渋い映画のヴィデオをよく観た。好きだったのはミケランジェロ・アントニオーニの「太陽はひとりぼっち」。原題の「皆既」日食のほうがイメージに合う映画だ。高度成長期イタリアの工業的風景、モノクロームの白昼に感覚移入する。主演女優のモニカ・ヴィッティの気だるげな彷徨、漠然とした疎外感は、そのまま自分に重なった。殺風景な団地の広場でそこだけ反響音を立てつつ揺れ続ける鉄ポール。曇天の風に踊る人工的な木々。他人は通り過ぎるささいな風景の気配にも、彼女は過敏に目を止めてしまう。無機質なものの一瞬の生気に、彼女の何かが呼応する。あやふやな一人称の主役がうつろに彷徨するだけの映像だが、描写は緻密だ。なんでもないものが突然暗号のように脈絡を持って見えてくる、あの感覚。日常のわずかに狂いを、醒めた目で文章にでも絵にでも淡々と描写できたら、それより眩惑的な表現はない。この映画を観て、そう思うようになった。思春期のある日、隣町の知らない道をなんとなく散策していた。住宅街のなか不意に高速道路がひらけ、青田の上に遠い稲妻を見た。見慣れぬ風景を突き進むと、町外れの山林に迷い込んだ。不法居住らしき掘立小屋や閉ざされた資材置場などを通過し林のなか、枯葉に覆われた奈落に行き当たった。捨てられた布団や、旅館のしつらえのようなものが窪みに遺棄されていて、その色彩の鮮やかさにビクッとした。もっと奥に数件の一戸建ての和風個室の残骸が続いているようだ。直感でそこが逢引のための場所だと感じ、もって言うなら逢引の果ての「心中」を感じた、男女の愛はふくよかなものでは全くなく、こんな遺骸的なものなのか。廃棄物に、嫌悪とともに美を感じたのもこの時だ。別に事件現場でもないのだろうが、なSaitohopper んとなく漂う死の気配に当てられ、その奈落を後にした。帰路、紅すぎる合歓の花木からスッと突き出た風速計のシルエットや、塀の落書きの数字、集乳所の看板など、見慣れぬあらゆるものが、デ・キリコの絵のようにわずかな狂いを帯びた暗示を投げかけてくるように思えた。死の標識はそこここにある。しかし多くの人はぎりぎり、その先の奈落に落ちずに生きている。「密愛村」の伏線であるさまざまな男女の心中譚は、いまだに続くあの日の暗示の変奏なのかもしれない。”
 「Contraners to Smuggle Maidens(密輸される乙女たち)」という作品では、シンメトリーで祭壇をつくるような構図のパターンは残されていますが、窓枠はなくなって、異世界をこちらから覗くということがなくなり、その異世界が眼前にあるという画面になっています。ただし、この一連のシリーズでは、この前の作品がタイトル文字だけが画面にあるというもので、シリーズを続けてみると、映画の場面を続けてみているような感じになっています。
Saitovillage2  「The Bus Stop for the Escaped Brides(逃げた花嫁たちのためのバス停)」という作品では、シンメトリーの祭壇のような構図のパターンが崩れてきます。しかも、ここで展示されている作品では作家の自画像を除いて、はじめて人の顔がまともに描かれています。とはいってもバス停の看板絵としてであって、生身の人が描かれているわけではないので、その人の顔には生き生きとしたリアルな感じはありません。この「密愛村」のシリーズは、夜の場面ばかりで、そこに作者の意図があると思うのですが、おそらく異界であること夜の世界としてとらえていたりとか、いろいろあるのだろうと思います。それであるために、画面に描き込まれた線が暗い色調で目立たなくなっているとか。あるいは、夜の暗さということで、その画面が雰囲気を作っているといえると思います。それは、例えば、エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」が夜の暗さに明かりがともるレストランの室内が覗ける画面が、一見ちょっとノスタルジックでありながら、見る者にどこか違和感を抱かせる奇妙な非現実感を漂わせている雰囲気に通じているような感じがします。齋藤の作品では、画面自体は非現実なのですが、そこで想像する物語は、安っぽいB級映画の月並みなストーリーの雰囲気です。そのギャップというのか、それが独特な印象を見る者に与える作品になっていると思います。

 

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