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2019年12月25日 (水)

齋藤芽生とフローラの神殿(12)~13.「野火賊」

Saitoriver  齋藤が中高生時代に生活圏として過ごした多摩川や浅川などの河川敷は、彼女にとっても原風景の一つだそうです。このシリーズでは意識的に人物像が導入され、奥行きのある風景の空気感覚が丹念に描かれているということです。
 「火姫遊」という作品を見てみましょう。慥かに人物が画面の中央にまとめて描かれています。しかし、人物というよりは人形のようです。背景と、とても精緻に草原の一本の草まで丁寧に描かれていて、それに見合うように人物も、それなりに手が入って描かれているのですが、どうも人としての生き生きとしたリアルさにかけて、背景にしっくりとはまらない。それだけ人物が浮いている。しかも、顔は整っているのですが表情がないので、人形のように見えてしまう。どちらかという人を描いているというより、画面のパーツとして人という素材を画面に入れているという印象です。このような人物、美しい女性で画面のパーツとして、しかも精緻な背景から浮いているというと、以前に見た松井冬子の意味深なタイトルで描かれた女性を思い出しました。おそらく人Matujizoku 物は装飾のような位置づけで、そういうところがあると思います。おそらく、画面全体の暗さと、いかにも耽美というような画面の雰囲気で、タイトルが物語を匂わせるような意味深な感じで、それでも、画面が重苦しく、崩れたようなものになっていなくて、しっかりしているのは、人物に表情がなくて無機的なせいもあると思います。それゆえに、見ていると客観的になれるといいますか、安心して見ていられるのだと思います。作者の原風景という解説に対して、見る者は挿絵のように距離を置いて安心して眺めることができる。そして、何かありげと、勝手に想像を膨らますことができる。そういう楽しさが、この人の作品の魅力ではないかと思います。それは、松井冬子の作品にも共通しているところだと思います。
Saitoriver2  「奈落会」という作品は、ステーヴィ・キングのモダン・ホラーの印象の画面ですが、手前が暗くて夜の雰囲気になっているのに対して、背景となっている森の向こう側は明るくなっていて、あっちは朝という、ふたつの自制が画面に自然と同居しているのは、マグリットの「光の帝国」のようです。マグリットの作品では皮肉で、微笑みを誘われるのですが、ここでも、夜の風景が怪奇とか不気味を感じさせないのは、そのせいではないかと思います。実際、この画面にいる消防士のような人物たちは不気味に雰囲気づくりに精を出しているように配置されていますが、顔をこちらに見せていないし、動きかなくて止まっているように見えるので、人形のようです。
Mag2015hikari  「野篦駅」という作品では、人物は顔を見せていますが、すべて仮面をつけています。何だか、場末の遊園地のイベントのお化け屋敷の看板絵のような感じです。だからこそ、それを見る者は安心て眺めることができると言えます。

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