中林忠良銅版画展(6)~E.覚醒の視線1980~1992
だいたいのところ作品は年代順に展示されているといえるので、中林の作風の変遷を追いかけるように、会場に来た者は、作品を見ていくことになります。で、このあたりの展示が、会場全体を見渡すと、ここから後半に入るという位置関係にあるように見えます。作品の傾向も、この展示の作品から、いろんなところから図像を転写などして持って来て、それらを画面に配置していくという、いわゆる「絵づくり」のような作業から生み出された作品だったのが、説明によれば、作家自身のありようを確認するような作業にかわった。具体的には、足元の草や地面を見つめ、克明に描くようになっていった、と。
「転位‘88-地-Ⅱ(横浜A)」という作品です。石かコンクリートの表面に草か何かが散らばっている。下半分は泡のようでしょうか。それを接写レンズで精細に撮ったような、その表面の質感と変化を捉えているという作品のようです。石かコンクリートの硬い面から連続するように下側の泡立っているようなところに変化していく、そのつなぎが滑らかです。そこに断絶がなくて一連のように見えます。
「転位‘82-地-Ⅱ(秋)」という作品。草地か雑木林の枯草となった地面に葉っぱが数枚落ちているのを接写したというような作品。枯草で敷き詰められたようなところは、無数の枯草が細い線が絡み合うように見えて、そこにアクセントのように枯葉が線の絡みに被さっている。目を凝らしていると、線の絡みは、かなり複雑な様相で、ときには激しくもつれるようなところもある。そういうところをクローズアップしてみせた、といえると思います。 ただし、これらの作品は、中林自身がビュランや鉄筆を持って、題材をもとに自身で描いた、つまり白地に作家の手で像を創ったというものではなくて、題材を撮影し、それを銅板の上に転写して、それを腐食の手法で表面に手を加えたというものです。作品が制作された1980年代ではフィルム写真しかない時代です。撮影した写真はフィルムに感光し、それを現像という化学処理で定着させるしかありませんでした。それを中林は銅版に焼き付けて、表面処理を加えることで作品を制作していたのだろうと思います。当時は、フィルム自体に処理をすることは難しく、銅板に焼き付けて、薬剤で腐食させて表面処理をして画像を加工するというのは、熟練した専門的な技能が必要だったのだろうと思います。したがって、このような作品は中林しか作れないユニークなものだったと思います。しかし、いまならデジタルカメラが主流で、撮影した画像はデータ化され、容易にコピーできて、デジタルの画像処理技術によって、ほとんど中林が熟練作業でやっていた画像の加工がある程度可能となった。おそらく、素人でも使えるソフトで、これらの作品に近いものを作れてしまう時代になっているのではないかと思います。つまり、制作当時はありえたユニークさが、40年後の現代ではほとんど喪失してしまっているように見えます。実際のところ、この手の画像は、陳腐とまでは言えないかもしれませんが、どこにでもある、という感じがしています。デジタル技術を駆使する写真家の人には、鋭いと感心させられるものがあり、そっちの方に興味が行ってしまうのを避けられない。
一方で、中林自身の方向性は、画面をデザインするとかいう方法を捨てて、いわば作品について、様々な要素を捨て去って、方法を限定していったわけです。今の流行の言葉でいえば、断捨離です。そこで残ったのは、いろいろ理屈をつけて理論化されているような解説を無視すれば、どこかにある事物をもってきて、それを加工して作品としてこしらえるというものです。ほとんど。作家の手が入っていないので、持ってくる題材の強度によって作品が決まってしまう要素が大きい。そこでは、何を持ってくるかという中林のセンスが命ということになります。そういうように、私は見えます。それゆえに、私には、後半の作品はシンプルでした。それを簡素とか、よい意味にとる人は、この展覧会のチラシにあるような単純ゆえに奥深いと感じ事ができるのだろうと思います。それは、見る人の好みの問題だと思うのですが、私の好みでは退屈と感じました。そして、作品のタイトルがシンプルなんだけれど深読みを誘うようなところがあったり、作品のサイズが大きくなったりして、これはごまかしているのでは、と勘繰ったりしました。繰り返しますが、これは私の個人的な感じ方による感想です。それで、この後の展示は横目でサラッと流してしまいました。
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