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2020年2月29日 (土)

坂田一男 捲土重来(1)

Sakatapos   2019年12月に東京ステーションギャラリーで見た「坂田一男 捲土重来」の感想をまとめました。
寒い日だったが、東京駅の地下街で遅い昼食を摂って、丸の内の改札のところのステーションギャラリーの入り口へ。会期のはじめで、平日の午後とあって、すいていた。とは言っても、人気の美術館なので、午前中にいった美術館の私1人で展示室を独占するということは起こらない。来ている人は様々で、老若男女、私のようなスーツ姿もいれば、突飛なファッションの若い人もいる。ほとんどの人が1人か2人くらいで、グループやファミリーは皆無で、真剣に作品を見ているひとばかりだった。したがって、静かで、ほどよい緊張感がある雰囲気で、じっくりと個々の作品と向き合うことができた。
 さて、いつものことになっているが、私は美術展を見に行っても、その展示されている作家のことは知らないことがほとんどなので(たいていは展覧会チラシに引用されている作品を見て、面白そうだと出かけるパターンなので)、今回も、坂田一男という作家のことは知りません。まあ、作家についての知識がなくても、作品を見て面白がっていればよいわけで、坂田という作家がどういう人なのか、特に知っている必要はないわけです。それで、あえて知識や情報を求めたりはしないのは、いつものことです。まあ、これから展覧会の感想を縷々書き連ねていくにあたっての導入みたいな感じと、展覧会を企画し開催する主催者は、何らかの意図があって、こういうのを見せたいと考えているのであって、そういう趣旨が、作家の紹介を兼ねた「主催者あいさつ」で述べられている(中には、開催の趣旨、つまり何を見てもらいたいかが、よく分からない場合、往々にして規模が大きくて盛んに宣伝されている美術展がそう)ので、いつも引用して紹介している。かといって、私が主催者の趣旨に沿って鑑賞しているとは限らず、その時は展示趣旨とかけ離れて鑑賞していることが、ここに明らかになる。そういうメリットもあるので、引用することにしている。
 “キュビスム以降の抽象絵画の展開を核心で理解し、その可能性を究極まで推しすすめた画家、坂田一男(1889~1956)。世界的にも稀有な高い次元に到達していた坂田一男の仕事の全貌を展示し、その絵画に織り込まれた世界の可能性をひもときます。坂田一男は第一次世界大戦後の1921年に渡仏、同時代の抽象絵画と出会い、10年以上にわたってフランスで最前衛の画家として活躍しました。1933年の帰国後、故郷の岡山で制作に励み、また前衛グループ「アヴァンギャルド岡山」を結成し後進の育成にも努めます。しかし坂田の仕事は生前・歿後を通じて岡山以外で大きく紹介されることはほとんどなく、忘却されていたといって過言ではありません。本展は、近代美術史を精緻に解析し、その可能性の再発掘と刷新に挑む造形作家の岡﨑乾二郎氏を監修者に招き、〈現在の画家としての〉坂田一男の全貌を提示するはじめての展覧会となります。特に日本帰国後から戦後にかけての坂田の仕事の展開を国内外の作家たちと比較しつつ、20世紀絵画表現の問題群として読み解くセクションは、絵画の潜勢力を解き放つ機会となるでしょう。絵画そして世界の巻き返し=再生はまだ可能なのです。”
 それでは作品を見ていきましょう。

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