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2020年2月 8日 (土)

小林ドンゲ展─ファム・ファタル(妖婦)(6)

Dongesarome Moreausalome_20200208205101  「サロメ・踊りの報酬」という1975年の作品です。これはまた、ギュスターヴ・モローの「出現」にそっくりです。小林は、渡仏して作品に触れたことからでしょうか、このように人物のポーズやデザインを作品に持ってきてしまうものが、けっこうあります。しかし、この作品もそうですが、決してパクリにならず、小林ドンゲの作品になってしまっている。この作品でもポーズは同じですが、それは写すのが不正確というのではなく、小林の作品に変化させられていると思います。この作品では、モローが物語の場面になっていて、背景となっている宮殿の大広間を描き込んでいるのに対して、小林の場合には背景を一切省略して、空白のなかでサロメとヨハネの首だけを描いている。むしろ余白を生かしているところが大きく異なります。
 だから、作品の元ネタを探すというのは、あまり趣味のいいことではないかもしれません。また、小川国夫の小説『塵に』に挿絵を連れたうちのひとつが、これはモローのポーズを使っているものがあります。

 Winmoro3_20200208205501 Dongegomi 銅版画集『火の処女 サロメ』から「火の舞踏」という作品です。少し太めの身体で、腹のくびれから腰の広がりといった肉体の曲線が艶めかしい。珍しくエロチックな要素が見られる作品です。この版画集になると、全くと言っていいほど背景は描かれなくなり、余白を大きくとって、シンプルに中心となる人物のみを描き、その人物自体もシンプルに描くようになっています。小林は、銅版画でもエングレーヴィングの技法を中心とすることで姿勢が一貫しています。ところが、過去に、よくエングレーヴィングの技法を用いた画家たち、その代表者がアルブレヒト・デューラーですが、この人たちは画面に無数の線を描き込み、それこそ画面は線があふれるほどに描き込まれている作品を制作しています。余白なんてあれません。そうしないと、絵の具なら色を塗ってしまえるところを、その代わりに無数の線を重ねるように入り込んで、色を塗ったと同じような効果を作り出しているのです。しかし、小林はデューラーなどとは正反対の方向性の作品を描きました。つまり、線を極限まで減らして、余白ばかりとなり、絵の具で彩色した絵画とは異質な画面を作り出したのです。その極限ともいえる、余白ばかりのシンプルな作品が、この版画集ではないかと思います。
Dongesarome3  他に「炎上」という作品を見てみましょう。サロメが、ヨハネの首を円形の台に乗せて、見入っています。たしか、同じような構図はモローにもあるし、オーブリー・ビアズリーのペン画にもあると思います。台から垂れ下がったヨハネの髪の毛の描き方は、ビアズリーそっくりです。この作品では、サロメの顔と手は描かれていますが、それ以外の身体は消えてしまっています。また、髪の毛は半透明のようで、まるで消えかかっているようです。それに対して、顔がはっきりと描かれていて、視線をヨハネの首の方へ流し目をするように向けて、唇は微笑をたたえています。表情がはっきり見て取れるのです。モローやビアズリーは、サロメの身体まで隈なくくっきりと描かれていますが、彼女の表情を窺い知ることはできません。したがって、サロメがヨハネの首を所望したという行為そのものが描かれている。これに対して、小林の描くサロメはヨハネの首を見て、微笑んでいます。それは、異常な欲望を満たして、これ以上望むものはないから、もうこの世に未練はないと、自ら存在を消し去ろうとする究極の満足感を表しているようにも見えてきます。そこに、ビアズリーのような装飾的な舞台装置はないのに、ジワジワと締め付けられるような不気味さや恐怖を感じさせるのです。
Dongehungry Dongehungry2  版画集は、これくらいにして、単品の作品を見ていきましょう。「飢餓海峡」は水上勉の小説を題材にしたものでしょう。ここに描かれているのは、小説の中で青森の遊郭で一夜の出会いの男を待ち続ける薄幸の女性の姿でしょうか。サロメやポーのヒロインの顔となっていた、あの特徴的な顔で、日本的な和服の女性を描いています。これが不思議と似あっていて、はかなさと気だるさ、そこに諦めたような虚しさを漂わせています。「水無月の女」は口紅と髪飾りと帯留めの赤が印象的に映えて、それが、小説では、彼女は待ち続けた男性と再会したときに、当の、その男性に殺されてしまうのですが、その悲劇的な最期を暗示するような、強調された赤は血の色を連想させる。鮮やかだけれど、残酷で悲しい、そういう雰囲気が気だるい雰囲気となって画面全体に、情緒的なエロチシズムを感じさせます。背景の着物の縞のような模様が、夢うつつの世界を作り出していると思います。この画面の細いがくっきりした女性の輪郭線と着物と背景のうすぼんやりした線の使い分け。すごいと思います。この作品を見ていると、同じ頃、マンガの世界で活躍していた上村一夫の描く薄幸の女性たちが、とてもよく似ていると思いました。
Dongecat3  「薔薇薄暮」という1990年の作品です。私は、これを見て、菱田春草の黒猫を思い出しました。色刷りのようですが、これが版画なのかと、信じられませんでした。黒猫の黒が深々としていてフワフワの柔らかい感じがする。人はデフォルメして描いているのに、この黒猫は、そういう作為が感じられず、すなおで自然な印象です。それでいて、親密で、いつまでも眺めていたくなるような作品です。いままで、どちらかというと複雑なところがあって、色々と触発されて考えたりする(そういう刺激があるというのが小林の作品の大きな魅力になっていると思います)。ストレートに感じることもできるのですが、見る者と作品の間にいくつかのクッション(屈折)がありました。その最後近くのところで、なにかホッとするような作品との出会いがありました。Dongecat4

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