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2020年2月 3日 (月)

小林ドンゲ展─ファム・ファタル(妖婦)(1)

Dongepos  昨年の12月に佐倉市立美術館で見てきた小林ドンゲ展─ファム・ファタル(妖婦)の感想をまとめました。
 普段、東京西部の多摩地区にいると、東の方の千葉方面は、遠いという意識が強い。実は、佐倉市は海外出張で成田空港を使うときには、その成田の隣のはずなのだけれど、素通りして、まったく視野にも入っていなかった。日暮里で形成電車に乗り換えて、成田空港行きの快速に乗ったら、約1時間乗って、成田の手前の駅だったので、そうだったのかと、はじめて気が付いた次第。
 いかにも地方の田舎の駅前から一本道の歩くと、坂道をのぼったところに、明治か大正時代の洋館建築の事務所といった感じの、少しいかめしい感じの建物が、その美術館だった。画像の建物は玄関ロビーのようになっていて、小さな扉を開けて入ると、人気のないロビーになっていて、そこから、もうひとつ扉を開けると、受付のある1階ロビーに入る。入りにくそうな感じはするが、内側は外観とは違った、地域のコミュニティ・センターみたいな雰囲気で、そこに美術館が入っているという感じ。親しみやすいというのだろう。平日の昼過ぎということなのだろうか、展示室にはいったら、私以外に誰も客がいなくて、係員の人が何人かいて、監視されているような感じで、ちょっと緊張してしまった。しかし、それだけに、作品を独り占めできる雰囲気で、こういうのも悪くはない。都心の美術館では絶対に味わうことができない感覚だった。
Dongemusium  さて、いつものように私は、美術展を見に行くとしても、そっちの知識は貧弱で、小林ドンゲという人についての予備知識は全くありません。単に、チラシの絵を見て興味をそそられただけなので、どういう人なのか、チラシに書かれていた紹介を引用しておきます。“1926(大正15)年、現在の東京都江東区亀戸に生まれ、1986(昭和61)年以降は千葉県印西市を拠点に活動した銅版画家です。当初、画家を目指していた小林は1949(昭和24)年に女子美術大学洋画科を中退後、関野凖一郎(版画家|1914~88)と駒井哲郎(銅版画家|1920~76)に銅版画を教わります。ドンゲという名は1954(昭和29)年 、弟の囲碁仲間であった僧から贈られたもので、優曇華(うどんげ)という三千年に一度咲くという伝説の花に由来しています。 文学や能への関心が高かった小林は堀口大學(詩人、仏文学者|1892~1981)と木村荘八(画家、随筆家|1893~1958)に師事。1956(昭和31)年には「第24回日本版画協会展」において「第1回恩地孝四郎賞」を受賞するなど、その仕事は早くから高い評価を受け、翌年には堀口から詩集『夕の虹』の挿画(銅版画)を任されています。小林は「美しい線」へのこだわりから、西洋発祥の銅版画の中でも最も古典的な技法の一つであるエングレーヴィングを駆使し、独自の世界観を確立しました。大変難易度が高いことでも知られる同技法で成功している作家は今日では希少であると思われます。「銅板という硬質な素材をビュラン(エングレーヴィング専用の道具)の鋭利な刃で、引き裂き、傷つけ、また、ウドンゲの糸の如く細い線を幾重にももつれ合わせて不思議な明暗をつくり出す銅版画。これは私の心にかなった、なにものにも変えがたい表現法だ」とは作家の言葉です。本展では、初期から近作までの銅版画とその下絵、原版等を一堂に展覧、作家が人生をとおして追求してきた銅版画表現の魅力をお伝えいたします。その稀有なる世界をお楽しみください。”
Cranachmelancholy  エングレーヴィングは上の引用にもあるように、銅板に直接溝を彫る技法です。したがって彫られた溝の形は、そのビュランの刃の形通り三角形に尖る結果、線の周囲は緊張し、鋭く厳しい感じとなります。線の太さは、ビュランの太さを選ぶことによって変えることができ、一本の線のなかにあらわれる太さの変化はビュランの角度を操作することによって作り出します。銅板にビュランが触れる線のはじめ部分と、銅板からビュランが離れる線の末端部分は特に作為しない限り、尖ってきます。この滑らかな太さの変化と鋭さによって、エングレーヴィングによる線は冷たさを含んだ流麗な美しさを感じさせるものとなります。このエングレーヴィングの技法を駆使したのが、アルブレヒト・デューラーで、代表作「メランコリア」では、背景に広がる水面は水平な直線を平行に密集させ、空には光る一点を中心に放射状の直線を密にして輝きを表わしています。これに対して、前景の主人公、天使、多面体、球、臼、床に散らばる道具類は極度に細いビュランの刃先によって繊密に刻み、その線刻の間をさらに小さな点に近い刻線を加え、あるいは交差させて灰色を多様化し物憂い小空間の広がりを作り出しています。空にみられる光の放射線の一部にも点刻を加えることによって、主人公の頬に当てた左腕の点刻と共鳴して光が振動しているように見させています。
 Kiyoharaisland ちなみに、エングレーヴィングと似た技法にエッチングがあります。これは、銅板表面にあらかじめ防蝕用のニスを塗り、その上からニードル(鉄針)で素描するように描くという技法です。鋭いニードルの先端によって防蝕用ニスがはがれ、酸の中にいれると、描線部分だけが腐蝕し凹線となって現われるのです。この線の溝は丸くざらざらしたものとなり、線の周囲もビュラン刻線のような緊張した厳しさはありません。その結果、どちらかといえば温味のある線となります。これは、エングレーヴィングのように直接銅板を彫るのではなくて、酸によって銅板に溝をつけるというものです。したがって、エングレーヴィングのような、鋭くて滑らかな線を引くことはできませんが、自由な筆遣いのように線を引くことができるので、線描による細かな陰影などは、こちらの方が勝っているといえます。昨年、八王子で見た清原啓子は、このエッチングを駆使して細密な画面を作り上げました。
 そういうことを踏まえると、小林の作品は、エングレーヴィングといいう技法で、はじめて可能によるような特徴的な線を中心に作品の画面をつくり、デューラーが陰影とかいうように絵画に近づけるように努力したのとは違って、線の主張が強い、線によって作品が成立するような、線画ともいえるような方向に進んでいったところに、小林という作家の独自な個性があると思います。
駒井哲郎とそのまわりの銅版画家たちは、抽象性の高い幻想的な表現を追求していったと思いますが、そのなかでチラシの作品のような具象的な人物像を一貫して描いていたというのは、それだけでユニークではないかと思います。その姿勢は一貫していて、ブレていないで、作家の意志の強さを感じます。
Komaimaldrol  展示は美術館の3階と2階の二つのフロアに分かれて、3階は1950年代までの比較的初期の作品で、2階に下りると渡仏とその後の作品という大雑把な分け方ですが、そういう展示でした。しかし、作家のスタイルは一貫していて、作風の大きな変化はないので、あえて章立てするように分ける必要もなかったのでしょう。それでは、作品を見ていきましょう。

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