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2020年3月 8日 (日)

坂田一男 捲土重来(8)~Ⅳ-1.戦後2 残された資料─時間の攪乱=アナーキーなアーカイブ

 2階の大きなフロアの展示室から廊下のような細長い展示スペースに移動すると、完成された油絵作品は少なくて、無数の下絵やスケッチの展示でした。作家のメインの作風を追い掛けるようなスタンダードな完成された油絵作品の展示は、これ以前で、だいたい一通りみせてもらって、この最後の展示コーナーは拾遺集のようなものでしょうか。しかし、ふつうの展覧会では、おまけのような位置づけで素通りのように流してしまうことが多い(ずっと展示を見てきて、疲れてしまっていることもあるますが)のですが、坂田の場合は、むしろ、ここの展示が面白かった。というのも、同じようなスケッチが執拗なほど繰り返し描いていて、おそらく、その一枚一枚が微妙に違っていて、そこで作家は試行錯誤を重ねているのでしょうが。それは、大学の実験室とか、あるいは企業の製品開発とかで、先の見込みが計算できないところで、とにかく目先の課題をクリアするために、膨大な失敗を重ねながら、同じような実験を繰り返しているのに似ていると思いました。おそらく、坂田は、はるか遠くを見通すような研究室の理論家のようなタイプではなくて、その理論が現実に実現できるようにさまざまな条件で実験を行うタイプだったのではないかと思います。
Sakatacomp6  だから、坂田の作品は、理想的な美のイメージとかいうようなものを自身が持っていて、その遠い理想を追い続けるというのではなくて、とにかく、目の前に紙と筆があって、そこで描いてみて、それを何度もやっているうちに、いつか、これだ、という作品に巡り合うかもしれないと、繰り返しているような感じがします。そんなことを繰り返していても、成功するかどうかは分からない。だから、そのやっていることは報われるかどうかは分からない人によっては、無駄なこととみなして、こんなことやってられないと放り投げてしまうというのが、少なくないのでしないか。しかし、坂田は、それを放り出すこともなく、執拗なほど繰り返しました。それは、ひとつには、はるかな遠い理想といったような大言壮語を浮ついたものとして、もっと地に足がついた方向性が、本人の性格には好ましかったのではないか。また、坂田自身は、ああでもない、こうでもないと、些細なことかもしれないが、そういうことについて試行錯誤を繰り返すこと自体を楽しんでいたではないかと思います。そのために、坂田は対象を捨てて抽象的な作風の作品を描くようになったかもしれないと思います。というのも、対象を描く具象では、試行錯誤しても、それは対象に近づくためのもので、目標地点ずはっきりしているからです。試行錯誤は、そのための手段で、正解を探し出すような性格になります。しかし、ここで展示されている坂田の無数の下絵をみていると、むしろ、その試行錯誤で、さまざまなことを試してみるところに坂田の創造性があったのではないか、と私には思えるのです。そして、そのことを彼自身が自覚し、それを面白がるように繰り返したのは、晩年近くなってからのように見えます。“同じ紙の裏表に明らかに制作年代の異なるスケッチが描かれている大量のデッサンがあります。自身のスケッチした紙の裏側を、スケッチ用紙として再利用したと推測することもできますが、一方で坂田は自身のデッサンを分断しコラージュしたり、画面の上に重ねるように引用して描くことも行っています。つまり、制作年代の異なる絵画を重ねること、すなわち時間の攪乱は坂田の方法の中に、すでに組み込まれていた特徴であったことに気づかされるのです。”こういう解説がされていますが、そこには、理想とか何かを描く手段として、いろいろ試みたりするという手段とか方法とかいうことを超えて、そういうことを試みること自体が独り歩きしていて、もはや、この解説で触れられているデッサンを油絵の完成した作品として提示することが不可能なものになっています。むしろ、坂田はデッサンを繰り返して重ねるという動いていることを追い掛けようとしたかもしれないと思われるところもあります。そうすると油絵として完成することは、そういう動きを止めてしまうことになるのです。
Sakataansan  そして、ここで展示されている油絵はそれほど多くはなくて、それらは下絵とは方向性が違うように私には見えます。下絵をそのまま油絵にして完成作とするのとは違う方向性を油絵では求めたように見えます。“それまでの展開から隔絶したような趣をもっている小品群が現われます。黒を基調にした連作に現出しているのは一種、幻想的な光景です。赤い不思議な形態の浮遊する夜の風景、あるいは夜空から舞い降りる蜻蛉でしょうか。祈る二つの手を描いたようにみえるものもあります。これらのモチーフが何を示すかは明らかではありませんが、宗教的な暗示が強く感じられます。やがて形態は黒の背景に溶解し、不定形に流動する闇だけが定着したような画面があらわれます。”と解説では、何か坂田が悟りの境地に達したように説明されていますが、下絵であれほど試している坂田です。わたしには、あの下絵には遊戯性が強く感じられるのです。そういう坂田です。わたしには、そういう下絵の動きを別の形で油絵で残そうとしたのではないかと思えるのです。
 「アンサン」という作品は、どこかパウロ・クレーの素朴な作品を思わせるような作品です。これは、以前の坂田の作品と比べてみると、たしかに構成はシンプルになっていて、解説でいっているような幻想的といえなくもないです。わたしには、以前にあった、秩序立ったような感じが崩れてきているように思えます。画面中央のものは不定形になってきて、部分でも、壺とかパイプとかいうような事物を連想させる形態はありません。そして、直線よりも曲線が増えてきて、以前の作品の静止した感じから、少し動きの要素が入ってきているように見えます。以前作品との大きな違いは、水平線を南本も引くというような繰り返しをしていないのです。そういう繰り返しは、繰り返しを画面に定着させますが、それで繰り返しという動きは定着して止まってしまいます。この作品では、未だにこのものは画面では垂直水平に位置していて、秩序が残されていますが、そういうのを崩すために、単純な構成にしてきているように私には見えます。

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