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2020年3月 5日 (木)

坂田一男 捲土重来(6)~Ⅲ-1.戦後1 スリット絵画─積層される時空─海/金魚鉢

Sakataworks  このあたりで、私は、だんだんと似た作品が後から後から際限なく現われてくる波状攻撃に圧倒され始めます。それが、このコーナーのタイトルにもなっているスリット絵画です。水平に伸びるスリット状矩形が横縞模様のようにタテに積み重ねられ配置された1950年代の作品です。坂田は1956年に亡くなってしまうので、晩年の作品ということになります。
 1948年の「作品」というタイトルの作品です、画面に碁盤目のように縦横に直線がはしり、モンドリアンのような分割線を持った作品です。しかし、モンドリアンの作品はひとつの平面の上で分割線が文字通り平面を分割して線で囲まれた面がそれぞれちがった色で塗り分けられて、それぞれに独立して存在しています。つまり、線はあくまでも面の輪郭になっています。これに対して、坂田の作品では、線で分割された面は、それぞれに独立した存在となっているわけではなくて、面に透き通るようにして線が侵害し貫通しているところがあります。モンドリアンのように面が色で塗り分けられているわけでもなく、グレー一色のところを太い線が貫いている。ですから、モンドリアンのような隣り合った色彩による緊張関係のようなこと、色彩というが目立たなくなっています。坂田の作品は色彩を捨てて、線画のようになっています。
Sakatacomp3  1955年の「コンポジション」という作品です。金魚鉢のようなガラスの器が積層されたような画面です。器の真ん中で浮遊しているように見えるのは金魚が泳いでいる様子でしょうか。金魚が泳いでいるということは、器の内部は外側から隔絶されていることになります。しかし、その器の中を、その外側の器の水面が横断しています。そうすると、複数の器が画面の中で透明に透けるように重なり合っている。以前からの領域が重なり合うのであったのに加えて、ここでは、かつて図として示されたものが透明なものとなって独立した存在ではなくなってきている。独立した存在であれば、それがある領域は排他的で、そこに他の物、例えば線が侵入することはできないはずです。しかし、ここでは線が貫通している。ここでは、そういう事物の存在ではなくて、質の違う空間が重なっている。あるいは、それぞれ異なる器に湛えられた濃度の異なる空間が流出し互いに溶け合うように、なお別の空間がそこに残っている。
Sakatacomp4  横長の「コンポジション」です。横長の長方形が並んでいるというように見えますが、これは船ではないかと解説されています。それで、“見かけ上も意味的にも、金魚鉢のような小さな器から、船舶のように、はるかに大きい器へのモチーフへの変化はスムースに思えます。金魚鉢の内側の空間が、船舶の内部へ、さらにその内部はより大きな風景(たとえば海)へと、大きさの次元をこえて通底し重ね合わせられていえるかもしれません。このシリーズのはじまりに見られた、その重なりの効果はやがて後退し、矩形は重なり合うことなく画面の上下に並列されるようになります。一見すれば、この水平、平行に横縞状のスリットが配置された画面は坂田一男の全仕事の展開中、最も抽象絵画としての純度が高まったシリーズと受け取れます。”そうすると、この長方形を並べた画面は、例えばモンドリアンのような幾何学的な抽象画ではなくて、船舶とか海面の水平線とかいったものを描いたという対象が残されているということではないかと。そうすると、抽象的な作品を制作した人ではあったけれど、坂田という人は抽象画は描かなかった。カンディンスキーのような事物を離れた精神的なイメージを、そのまま画面に反映させようという絵画を志向していない。坂田は、あくまでも実際に対象を見るということを残していた人だったということです。この人らしいと思いますが、対象を描くということから飛躍することはなく、ぎりぎりのところで前提にとどまり続けた境界線上にとどまり続け、一線を踏み越えることはしなかった。モンドリアンの幾何学的なコンポジションの作品群や山田正亮のストライプ作品がズラッと並んでいるのに対しては、それぞれの作品の差異を見比べてみていくと、相対的に個々の作品の特徴が見やすくなってきたりして、飽きることがないのですが、この坂田の作品の、横長の長方形が並んだ作品群は、そういう作品相互の差異を見比べるということができなくて、みているうちに疲れてくるのでした。ことは、私の感性の貧しさからなのかもしれません。しかし、少なくとも坂田の作品が抽象画ではないということから、各々の作品の画面の差異を比べるということを許さなかったのかもしれません。
Sakatacomp5  長方形が並んだような作品は横長の画面だけでなくタテ型の画面でも制作されました。「コンポジション(メカニック・エレメント)」という作品もそうです。タイトルにもありますが、こっちは機械のメカニカルに印象が強くなります。この機械というモチーフは直ちにレジェとのつながりを思い出させるかもしれません。機械は、坂田が渡仏時に師事したレジェや彼の生徒たちに共通した抽象の源泉でした。彼らは機械化することによって、人間的な個性を消し去り、ひいては対象を抽象化しようとしました。それを、坂田は思い出したのか。解説では、岩盤掘削機やディーゼルエンジンのような機会に注目していたということですが。横長の画面の作品にはない、線が複雑に絡み合うように交錯していながら、平行線による秩序を作っている。しかし、この作品が無機的で機械的な冷たさを感じさせないのは、限られた色彩がつくり出す微妙な濃淡の変化と独得の味わいを持ったマチエールに負うところが大きい。

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