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2020年3月 1日 (日)

坂田一男 捲土重来(2)~Ⅰ.滞欧期まで 事物の探求─事物に保管されたもの/空間として補完されたもの

Sakatanude2  坂田の習作や初期の作品などの展示です。坂田の本格的な画家としての出発は1921年の渡仏から説明されていましたが、ここでは、主に、その渡仏前と、滞欧時の作品が展示されていました。最初に目に入った裸婦のデッサンは岸田劉生を想わせるような、重量感たっぷりの、肉体が存在しているという感じの作品でした。それが1917年の制作ということで、この時すでに坂田は20代の後半で、作品として完成しているといえるので、習作として、もともとの嗜好から、どういう紆余曲折を経て、ここまできているのかは分かりません。
 この展覧会の監修者の岡崎乾二郎は岸田劉生について、写実を徹底して追究していった結果、外観の印象は生々しく崩れ出し異様に感じられ始め、ついには見慣れた姿かたちからはみ出す可塑的、無形の物質的真実が現われてくる。そういう視覚対象として定位できない「無形なもの」を現わすことに向かっていたと言っています。そういう視点で、坂田のデッサンを見ると、裸婦の筋肉を異様なほど強調して、各部分が筋肉解剖図を拡大したもののように見える、その全体像はグロテスクに見えてくる。私には、そういうところの執拗さが、岸田に通じているように思えたのでした。
 Sakatanude その次の「裸婦」という1924年の作品は、ブラックの作品と見紛うばかりで、ひとつの完成された作品として見ることができるものです。この二つの作品のスタイルのあまりの開きが、私には不可解というか、それぞれの作品が、それぞれに完結しているようにスタイルが完成して見えるだけになおさらなのです。どうやら、この作家の性格からいって、流行を追い求めて器用にスタイルを変えていくようなタイプではなさそうなので、作家のなかで、この二つの作品の開きにも、何らかの一貫性があるような気がするのですが、それは、私の眼で作品画面を見る限りでは、分かりませんでした。岸田劉生を白樺派のヒューマニズムの一つとして捉えて、フランスで後期印象派を勉強してきてもよかった。おそらく、同時代の日本からの留学生は、そっちの方向性の勉強をして、それを日本に持ち帰り、洋行帰りの箔をつけて画壇でアピールするのが一般的であったのではないかと思います。しかし、坂田は、こういう作品をせっせと学び描いていた。そこでの戸惑いというのか、不可解さというのは、この展覧会を見ていて最初に感じて、それが抜けきれずに終わったのでした。後で、作品を見ていくとわかりますが、作品の傾向としては、この後はワンパターンといえるほど一貫しているので、印象が拡散してしまって捉えどころがないというのではないのですが、どういう作品なのかということを、印象をまとめて言葉で概括しようとすると、頓挫してしまうのです。
Sakatacub  「キュビスム的人物像」という1925年の作品です。坂田は、この作品の2年前からフェルナン・レジェに師事したと説明されていますが、何かレジェとは異質な感じを、この作品から感じます。そもそもキュビスムとはどういうものか、監修者の岡崎の言葉を借りると、“感覚器としての眼が実際に見ているものは、われわれがいままで見ていると思い込んでいた対象の姿とは違う。眼に実際に飛び込んでくると思っていた像とのズレ、これが印象派から後期印象派、キュビスムに至る流れで画家たちが共有するようになった自覚だった。(中略)印象派からキュビスムに至る画家たちが、眼に直接入ってくる視覚情報から離れ、人が感覚を超えて把握し認識している対象のリアルかつ確実な姿こそを、絵画として論理的に構築することに向かった。キュビスムはこうした思考を代表的に示しているとみなされたのである。確かにキュビスムの核心にあったのは、視覚が一瞥して捉えることのできる代表的な像への関心の、むしろ低下である。それはキュビスムの、一見して判じがたい、その画面に明らかである。(『抽象の力』より)”ということで、これは描かれた画面こそ違いますが、坂田が渡欧前に習作していた岸田劉生のグロテスクな画像と志向に共通性があると思います。理屈の上では一貫している。それで、坂田はキュビスムの画家レジェに師事したのか、しかし、画風がレジェとは異質に思えます。
 Sakatareje 会場では、レジェの「緑の背景のコンポジション」と坂田の「女と植木鉢」が並んで展示されていました。画面が垂直の直線と半円の組み合わせによって構成されているところに共通点がありますが、二つの作品の印象は全く異なります。レジェの作品は、画面に様々な事物が並べられているようで、それぞれの輪郭がはっきりしていて、また、それらが鮮やかな色彩で対照させられています。これに対して坂田の作品にはレジェの作品にあるように明確な区分と対照がありません。各部分がつながっていたり、融合していたり、境界がはっきりしないのです。また、同系統の色で描かれているので、その境界の不明確さが促進させられています。“単純にいえば図と背景の関係です。レジェは対象の空間と対照内部の空間を等価に扱い、相互を反転させたり重ね合わせたりしようとする趣向はなかった。図の周囲はそのまま背景として抜けてしまっています。展開するにつれ、レジェの絵画はこの性格を強め、さまざまなモチーフが一つの同じ空間=背景の上に浮遊しているような表現が、その特質になっています(展示されている「緑の背景のコンポジション」がまさにそういう作品です)。対して坂田の絵画は背景も図となる対象と同じ強度で塗りこめられ、背景は虚空の余白ではなく、対象と同じようにボリュームが充満しているように描かれています。(『展覧会図録』より)”と岡崎が解説しています。それは、この時期の坂田の作品の塗りの薄さが、そういうように見える点もあると思います。「キュビスム的人物像」なんて水彩画のように淡い塗りで、ところどころ水彩絵の具の滲みのように半透明で、そこを隣り合った事物が透き通って侵害しあっているようなところがあったりしています。それは、「女と植木鉢」でも、人体と植木鉢が半身ずつ融合してしまっているように見えますが、それは同じような色で、同じように塗られていて、つながっているように見えるからです。そこには、二人の空間の捉え方の違いが大きいのでしょうが、色彩のセンスの違いも小さくないと思います。
 そして、このような坂田の空間表現の特徴は、この後も一貫していたということです。その基本的特徴を図録のなかで次のように列記されていますが、それぞれの特徴を表すような作品がリンクの画像のように並べて展示されていました。
 “1.図として表わされた表面の背後(内部)にも、その周囲(外部)と異なる別の空間が内包しているとみなすこと。
 2-1.積極的な形態=図として表わされた対象(「a」とする)に対して、周囲に生まれるネガティブな地としての領域(「非a」とする)を図「a」と同様に充実したものとして扱った。
 2-2.周囲の空間「非a」は図「a」が置かれることによって、はじめて現象する=性格が定まるのであって、図が描かれる前から、画面上に一元的な空間が先験的にあるとみなされない。
 3.画面に先験的な空間がない以上、図「a」を描くと周囲に発生する領域「非a」と、図「b」を描くと周囲に発生する領域「非b」が同じ空間であるとは前提できない。
 4.複数の線を描くと補完的にそれぞれに発生する複数のネガティブな空間を、それぞれ実体的で充実したものとして扱う。
 5.いわゆる絵画全体の地(基底面)には、この補完的に発生するそれぞれ充実した、「非a」「非b」「非c」という複数の異なる領域自体が重ね合わさっているものとして扱う。ゆえに一元的で中立的な空間(平面)は存在しない。
共通の地として扱われてきた地は積極的に何かが描かれうる領域ではないのだから、「非a」「非b」「非c」…を複数の空間の重なりとして表現することは、容易なことではありません。それは積極的に表現されるものではなく、極めて抽象的な操作の中で現われてくる実践的性格です。”
Sakatacomp  例えば「コンポジション」という1926年の作品では、鍋や蓋つきの容器の半分ずつ描かれ、また数本のパイプが並んだのが途中で隠れてしまうように描かれ、それぞれが領域で囲まれて、それぞれの領域の中でそれらの描かれた背景が同じような強度で色が塗られています。背景と事物のどちらが前か分かりません。そして、それらの事物を半分に重なっている真ん中の長方形の帯のような図形は、背景のようでもあり、全面で事物を隠しているようにも見えます。また、それぞれの領域が画面上で前にあるのか、奥にあるのかの重なり方のつじつまが合っていません。例えば、真ん中の帯状の長方形は左側の鍋の上に重なっているように見えて、その鍋の下の台のようなグレーと同じ空間にあるように連なっています。
 これは、このフロアの展示室のエレベータの向こうの部屋に参考展示されていたル・コルビジェの「ニレ」いう作品が、ピュリスムというフランスで坂田にレジェよりも影響を与えたとされる理念に共通するものがあると言います。作品タイトルの楡の木は画面の中に見つけることはできませんが、正面から見た二本の瓶や手のひらなど、あえて平面的なモチーフを選びながら、並んだ瓶が物理的な前後関係を無視してオーバーラップするなど、画面の中に特殊な空間を作り出そうとしています。
 そういう影響関係や坂田の作品の空間の特徴は理屈ではわかるような気がしますが、それでは、どうして坂田はそういうように空間を表わすことを志向したのか。それは感覚として、画面を見ていて、私には想像することができませんでした。おそらく、それは作品が語ってくれるはずのものですから。それは、これからの展示で明らかになっていくのでしょうか。

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