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2020年4月18日 (土)

ブダペスト─ヨーロッパとハンガリーの美術400年(4)~2.レアリスム─風俗画と肖像画

Budapestread3  ムンカーチ・ミハーイの「パリの室内(本を読む少女)」という作品です。ミハーイの作品は、他にも数点展示されていて、ハンガリーの画家の中でも有名な画家なのでしょう。本を読む少女のポーズは、フランスのロココの画家フラゴナールの「読書をする娘」とそっくりです。ただ、この作品は、タイトルが「パリの室内」という通り肖像画ではなく、室内の模様を描いた絵画なのではないかと思います。比較的大きな画面でパリの裕福な室内の光景と思われますが、その室内の様子は、けっこう荒々しい筆遣いで細部は描きなぐりのように見えます。それが距離を置くと、すこしゴテゴテしてますが装飾が多く施された部屋のように見えてきます。若いころに、ギュスターヴ・クールベの写実的な作品の影響を受けたらしいので、この作品の筆遣いは、クールベによるところがあるかもしれません。しかし、その室内の光景とは別物のように中央の本を読む少女は丁寧に描かれています。そBudapestread4 の姿は、さきほど触れたように、フラゴナールの「読書をする娘」を彷彿とさせるほど流麗に描かれています。クールベ流れの荒々しい筆遣いで裕福な室内を描くと、優雅さのようなものがかんじられず、やたらゴテゴテした、ごちゃごちゃした雑然とした感じになってしまうというところと、その中心に、いかにもロココという感じで描かれた優美な少女の姿があって、その大きなギャップがありながら、ひとつの画面に同居させている。あまり、画面のまとまりとか統一とかを考えていないように思えます。ただ、何を描きたいかが一目瞭然で、その欲求を追い求めて、あとはどうでもいいという性格は、これまで展示されているハンガリーの絵画に見られるもののように思います。ただし、これは私の偏見だろうと思います。ちなみに、同じ作者の「本を読む女性」は、同じような題材を扱っていますが、荒い筆致で統一されています。また、同じ画家のハンガリーの著名な音楽家フランツ・リストの肖像画が展示されていて、これはリストの肖像として教科書や音楽媒体でよく目にする絵ですが、よく描けているなとおもうし、きれいに仕上がっていると思いますが、これらの荒々しい筆遣いの作品を見てしまうと、妙に落着Budapestread5 きがよくなってしまったという印象を持ってしまいます。つまり、牙を抜かれたというもので、いかにも大家らしいという作品になっていると思いますが。むしろ、「「村の英雄」のための習作(テーブルによりかかる二人の若者)」という作品が、たしかに習作でクールベだと見るからに分かってしまうのですが、こっちの方が荒っぽいところがありますが、行儀よく収まっていないで、枠を越えようとする何かがあるように見えます。まあ、好き嫌いなのでしょうが。
 ロツ・カーロイの「春─リッビヒ・イロナの肖像」という作品。このような、普通に美少女をきれいに描いたという作品が、これまで見てきた作品からは、一服の清涼剤のように見えてきます。
 シニェイ・メルシェ・パールの「ヒバリ」という作品です。画面のほとんどが抜けるように高く青い空で、そこに鱗雲が整列するように浮かんでいる。その青というのが中心なのかとおもったら、画面下部に草原が広がっていた、そこに裸女が横たわっている。この青空に裸女が何とも突発的というか不釣り合いでで、しかも、青空と雲がいかにも牧歌的でのびやかに広がっているのに対して、横たわっている裸女は身体を官能的にくねらせて、陰影は施されていますが、記号的というのか、20世紀初頭にフランスで活躍したヴァロットンの「赤い絨Budapestspring 毯に横たわる裸女」を夜の都会から持って来て、画面に入れてしまったという感じです。自然の素朴な風景に都会の人工的で、退廃的なものを強引に合わせてしまったような感じで、それゆえに、裸女が画面の最下部に小さく配置されているのに、妙に目立って、画面の大部分を占める青空と同格、いやそれ以上に注意してしまうことになる。それは、例えば、屋外の光景に裸女をあてはめたマネの「草上の食事」が一応のまとまりを見せていたのと違って、違和感ありありで、尖がったところが減じないで、そのままある(間違っても、青空の下で開放的な気分になって、衣服を脱ぎ捨てたというものではない)。全然、描かれているものは違うですが、古賀春江「の窓外の化粧」のちぐはぐさと似た印象を持ちました。このような作品まで見てくると、私のハンガリーの絵画に対する偏見が、より固まってくるのです。同じ画家の展覧会ポスターに使われている「紫のドレスの婦人」は珍しく人だかりがしていたのでパスです。それでもいいやと思いました。展示では、この「紫のドレスの婦人」と「音楽家リストの肖像」が展示フロアの真ん中に裏表となって展示されていて、後半のハンガリー絵画の展示の目玉なのだということが分かるように設置されていました。したがって、こBudapestskylark の裏表はパスでした。なお、この展示の流れで、突然ルノワールの作品が出てきましたが、素通りです。何であるんだろうと、首をかしげるだけで。
 ヨーゼフ・イスラエルスの「カトウェイクの孤児の少女たち」という作品。イスラエルスは19世紀オランダの画家ということで、フランスのバルビゾン派の画家たちと交流があり、庶民の生活を主に描いた人とのことです。薄暗い室内で、中央の窓から外光が入り、手前のテーブルとその周りに座っている少女たちの手元や顔を照らし出す。この光と闇の対照は劇的でバロックの絵画を見ているような。薄暗い室内は彼女たちの決して明るくはない状況を暗示しているのでしょうか。窓の前のテーブルを囲む少女たちが針仕事をしているところに日が当たるのは、明るさを求めてなのだろうが、針仕事をする少女たちに日が当たるということは、勤勉な姿に希望の明るさを見ようとしていると言えるかもしれません。Budapestgirl

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