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2020年4月 1日 (水)

ハンマスホイとデンマーク絵画(9)~第4章 ヴィルヘルム・ハマスホイ─首都の静寂の中で(8)

Hammer2020farm  室内画で本質的な言いたいことを述べてしまったのですが、今回の展示は、室内画の代わりに、より人物画や風景画に注意を向けることができたので、こちらについて、少し触れていきたいと思います。8年前の展覧会では、風景画には、あまり注意を払っていませんでした。
「農場の家屋、レスネス」という1900年の作品です。夏の眩しい光の中で、黒い茅葺の屋根が、白い漆喰の壁と強いコントラストを作り出しています。白地の画面で、横に長い建物が、とくに屋根の黒い太い水平線が画面を横切っています。画面右手の建物が、画面上では斜線状に水平線に交差している。それらが壁となって風景を遮っています。それらは、白地に設定されています。作品タイトルは農場の家屋となっているが、普通、農場の風景であれば、樹木とか草原といった自然風景の描写は建物の影になって遮断され見えなくなっています。あるいは農家の小動物(犬、家畜、小動物等)そして、何よりも農家のHammeryoukou_20200401211901 人々の姿は、描かれていません。農場といいながら、人々がそこで生活する痕跡が排除されています。ここで描かれた風景は、現実にはあり得ないような、人がそこに入り込めないような風景です。その結果、画面に残されたものは、直線の交差する高度に抽象化された構成です。つまり、室内画と同じようなものと言えるのです。例えば、「室内─陽光習作、ストランゲーゼ30番地」の人のいない室内画と並べてみると、同じような印象を持たれるのではないでしょうか。風景画という点では、同じ会場で展示されているヨハン・トマス・ロンビューの「シェラン島、ロズスコウの小作地」という1847年の作品と比べて見ると、ハマスホイの特異な点がよく分かると思います。同じように、農家の建物が横向きに配置され、その周囲を草木の緑が囲み、道端では牛が草を食んでいる。建物からは煙がたなびいている。そこには農家の生活が感じられる。これは、農村の風景画としては一般的で、ハンマスホイの作品とは全く異なる画面になっています。
Hammer2020lejre  「ライラの風景」という1905年の作品です。この作品は8年前の西洋美術館の展覧会で見ていたはずですが、初めて見るような作品です。ハンマスホイには珍しく、抜けるような空の青さが印象的です。鮮やかな緑のなだらかな平原は、前景から中景、後景へと滑らかに後退する空間の広がりはなく、稜線の重なりとその上のこんもりした樹木、横一列に配された雲の連なりといったモチーフ相互の積み重ねによって表現されています。曖昧な前景の処理とモチーフの単純化された形態は、それぞれのモチーフが綴る線によって画面が構築される。いわば、上部の雲の並ぶ水平な線の並びと、下部の草原のなだらかな起伏の連なりが水平な波の並びとなって、画面全体が水平な線の幾何学的な並びに構成されています。そこに樹林の濃い緑の塊がアクセントとして配置されている。1892年の「ゲントフテの風景」は、より単純なので、幾何学的な構成がより分かりやすいと思います。これは、同じ会場で展示されているクレステン・クプゲの「フレズレクスポー城の棟─湖と町、森を望む風景」という1834年ごろの作品と比べると、この作品は画面3分の2以上を青空にした印象的な作品なのですが、一見のインパクトはハンマスホイ以上化もしれませんが、青空の構成に慣れれば、それ以外は一般的な風景画です。本質的な特異性はハンマスホイの作品には及びません。
Hammer2020road  「スネガスティーンの並木道」という1906年の作品です。伝統的な風景画、例えば同じ会場で展示されていたティーオ・フィリプソン「晩秋のデュアヘーヴェン森林公園」では、道は絵を見る者の視線を絵画空間へと導くモチーフとなっています。道は画面の奥に向かって伸びていて、それに視線を導かれるように、前景から中景へ、画面手前から奥に移されていく、その奥に何かがあるかもしれない。そういう絵画です。これに対して、「スネガスティーンの並木道」は奥に伸びるのではなく、画面手前を斜めに横切っています。これは、画面奥に導くのとは逆に、手前で、見る者の視線を。画面の奥のなだらかな草原の風景から遮断しています。ハンマスホイの風景画は、水平な線による幾何学的な構成という点では、例えば、坂田一男の1950年代のコンポジションの瀬戸内海の船が行き来する風景を水平線の幾何学的構成の画面にしてしまった作品に近いのではないかと思えてきます。

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