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2020年4月19日 (日)

ブダペスト─ヨーロッパとハンガリーの美術400年(5)~3.戸外制作の絵画

 クールベとかモネとか並んでいますが、ここのコレクションは目玉を一点豪華で集中というよりは、特売でもいいからブランドを集めるというような感じで、一番大事なものは門外不出にして日本に送らなかったのかもしれませんが、客寄せのブランドで展示に混ぜている、という感じです。まあ、私の好みで、ここに名が挙がっている画家の作品は、積極的に見たいと思わない人たちなのも、なおさらです。
Budapestalps  ここで言うのも変ですが、同じ芸術でもハンガリーの音楽というのは傾向がはっきりしていて、クラシック音楽のハンガリーの演奏家というとある程度演奏がイメージできてしまう(例えば、指揮者のフリッツ・ライナー、ゲオルグ・ショルティ、ジョージ・セルとか)のですが、絵画のほうは多種多様というか雑多というか、例えば、ベルギーのベルギー幻想派とかハンマスホイに代表されるデンマーク絵画とか、イギリスのラファエル前派のようなムーブメントのようなことも、ここでは見られません。そういう捉えどころのなさがハンガリーの画家たちなのでしょうか。
 メドニャーンスキ・ラースローの「アルプスの風景、ラックス山/タトラの風景」という作品です。離れて見ると風景画ですが、近寄って見ると、この作品は、細部なとはかなり省略されていて、絵の具を筆で塗るというのではなく、絵の具を塊にして画面の所々に置いたというもの。例えば、画面左側に横の線があり、その周囲に白い点が点々とあれのすが、それが白い絵の具の塊で、それが家に見えてきてしまうのです。そういう大雑把な描き方は、山や森や村の風景を忠実に表すというのをやめてしまった、画面上の絵の具の各色の塊が並んでいる、つまり、対象としての山を描くのではなく、画面上に絵の具の各色の塊を配置していって、結果として山の光景に見えてくるという作品になっていると思います。抽象絵画まであと一歩というところまできた。しかし、この一歩というのが大きな境界線になっていて、この作品は境界近くまできているのですが、それ以上は踏み出せない、そういう画家の作品であると思います。

 

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