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2020年4月 3日 (金)

ハンマスホイとデンマーク絵画(10)~第4章 ヴィルヘルム・ハマスホイ─首都の静寂の中で(9)

Hammerida2  8年前の展覧会に比べてハマスホイの絵画の展示総数は少なかったので、限られた点数のなかで肖像画の数は少なかったのですが、前回のときは室内画の印象が強かったので、今回は、むしろ肖像画を見直しました。それは、展示のはじめの方で、ハマスホイではなくて、コンスタンティーン・ハンスンの「果物籠を持つ少女」を見て、ハマスホイの8年前の展示で見た「イーダ・イルステズの肖像、のちの画家の妻」を想わせたからです。この作品は、今回展示されていませんでしたが。ハマスホイ初期の肖像画は、後の肖像画にないように、画中の人物はこちらに視線を向けて、なにか訴えかけるようなところがあります。それは、当時の一般的なデンマークの肖像画だったのだろうことが、「果物籠を持つ少女」を見ていると分かります。
Hammer2020hansen  「イーダ・ハマスホイの肖像」は8年前の展覧会でも見たのを覚えています。顔色が緑がかって、病的な感じがして(というよりもゾンビみたいな皮膚にみえます。とくに両手の指なんてこわばっていて、そのものです)、腫れたまぶたの下には隈が浮かび、額には血管が浮き出ている。イーダさんは、こんな姿で描かれたくなかったのではないか、と思います。視線はあらぬ方を向いて、というより、とこか遠くに、ここではないどこかを見ているような、虚ろな目です。そして、その隔たれて離れた感じを増すかのように彼女の手前にはテーブルが配されて、画面が水平に遮断されています。画面を見る者は、彼女に近づくことができないかのように、灰色がかったぼやけたような幕が張られている。
「三人の若い女性」という作品です。これも8年前に見たはずなのですが、記憶に残らず、今回、初めて見たようなものです。奥行きの感じられない平面的な画面空間で、中央の正面を向いた人物(ただし、視線は正面、つHammer2020three まり、画面のこちらの方を向いていない)を挟んで、両側に椅子に腰かける人物が対称的に配置されています。画面右手の壁に掛けられた額縁は二人の人物の間の空間にあり、対して左側の扉は、パネルの中央に黄色っぽい服を着て椅子に座っている女性の頭部が収まるように配置されるようになっています。このような構図は計算されたものなのでしょう。室内画に通じるところがあります。そして、そういう配置の計算は、三人の人物が視線を交わすことがなく、それぞれが別の方向を向いて、互いの関係性がまったく表されていないことと相まって、単に人物があるだけという抽象性の高い画面となっていると思います。しかも、ハンマスホイの人物画は、初期の「イーダ・イルステズの肖像、のちの画家の妻」を除いて、表情などの感情のような内面を表すようなことがなくて、能面のような人の形をしてものというものになっています。そういう女性像ならば、例えばポール・デルヴォーとかルネ・マグリットなどの女性画を想わせるところがあると思います。

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