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2020年5月12日 (火)

白髪一雄 KAZUO SHIRAGA a retrospective(6)~第5章 スキージ・ペインティングと制作の変容

Shiragacolor  白髪が描き方を転換させます。足で描くフット・ペインティングからスキージという長いヘラを引きずるようにして描くスキージ・ペインティングにです。それによって、足では無理な幅の広い筆致や色の重なりや掠れが画面に現われます。
 「色絵」という1966年の作品。前のコーナーの「水滸伝豪傑シリーズ」の作品では水滸伝の108名の豪傑の名前を作品タイトルにしていたのですが、そこから離れると、シリーズ以前の無題とか作品といった不愛想なタイトルに逆戻りしてしまいました。白髪という人は、そもそもタイトルに対するこだわりのない人なのかもしれません。往々にして、タイトルにこだわる人の場合は、そこに意味づけをしようとする傾向があると思います。それは、言葉が先に立つ傾向と言い換えてもいいかもしれません。具体的には、作品にメッセージを託したり、物語を作品にしたりというといったことすることが、それに当たります。しかし、白髪の作品のタイトルは、それほど意味づけはされていなくて、他の作品Kanolion2 と区別するための便宜くらいにしか考えられていないように思います。この作品は、色を多く使っているから「色絵」だし、他の展示作品でも「白い作品」とか「丹赤」とか作品の色をタイトルにして、そのものズバリで、何の芸もない。それは、白髪という作家は、とにかく言葉より先に視覚のイメージがある人なのだろうと思います。何か(言葉で)考えるより先に、身体が動いて描いてしまう。それが例えば、美しいということになると作品になる。それで、あとからタイトルを考えてつける。そういうタイプの作家ではないかと思います。それゆえ、この後のコーナーで出家して僧の修行をして、仏教的なタイトルの作品が展示されていますが、作品は、そういうこととあまり関係なく描かれていたように思います。ただし、白髪当人は、まじめに修行していたのかもしれませんが。少し、先走りしてしまいました。話題を「色絵」に戻しましょう。これは半円を描いた作品です。自動車のフロントガラスのワイパーが汚れていて、その軌跡がガラスに残ったというような作品。このようなコンパスで描いたような円形は、これまでの作品ではなかったので、驚きました。しかも、色の混ざり方が複雑で、それが引きずられるように半円の軌跡を、線でなくて面を作っていました。複雑な色が層をなして混ざったのが引きずられるように作られた円形はなかなか神秘的な魅力があります。加納光於のカラーインクを滲ませて円形をつくる作品を思い出しました。加納の作品は、透明感があって、色彩の純度が高いのですが、白髪の作品の方は絵の具のマチエールとともに重量感があります。
Shiragared  「丹赤」という1965年の作品で、足にスキー板をつけて描いたそうです。大きな画面いっぱいに赤い色が置かれた滑らかで広い幅のストロークはスキー板だからできたものでしょうか。それよりも、「丹赤」というタイトルの通り黄色い地に赤が映える、その色彩が鮮やかで印象的です。これまで見てきた白髪の作品では、黒が基調になったりして、どうしても暗いとか重い色調になってしまっていたのに対して、ここで展示されている作品は、光線が変わったとか、閉じていた窓が一気に全開となったかのように明るく、色の純度が高くなりました。「白い作品」は白い絵の具だけで描かれた真っ白な作品で、他の作品が黒や赤がたっぷりと塗られた作品ばかりの中で、異彩を放って目立っていました。

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