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2020年5月13日 (水)

白髪一雄 KAZUO SHIRAGA a retrospective(7)~第6章 「具体」の解散と密教への傾倒

Shiragafall  円形の入った作品の規模が大きくなっていきます。それと並行して白髪本人が出家修行に励むようになったということです。それで作品タイトルが仏教用語の入ったものとなっていきます。私が作品を見る限りでは、タイトルがそうだからといって、仏教とか精神性といったイメージを喚起させられるようなことはありませんでした。この時が白髪が言葉に近づいた時期だったのでしょうか。これは想像ですが、白髪という画家は視覚イメージが先行して描く人ではないかと思われるのですが、具象画の画家であれば、描く対象があって、それを筆で写すように描いていくので、描く技術の錬磨をすることに終点はなく、それを追求していけばいいわけです。だから、同じイメージを何度も繰り返してもいい。しかし、白髪の制作している抽象的な作品は、具象画のような技術の錬磨ということが考えられなくて、というのも、作品はパフォーマンスでできてしまうので、技術というより、そのアイディアで勝負するということ、つまりは描く以前の視覚のイメージをつくるというのが重要なのだろうと思います。その時に、同じイメージを繰り返すことは具象画の場合と違って、イメージづくりに反するこShiragafall2 とになる。成熟するということが許されないのが白髪のやっていることだと思います。白髪の作業は絶えずイメージを構築することで、それをずっと続けていれば、ネタが枯渇してくることはあると思います。そういうときに、イメージを求めて言葉に寄っていくことはあると思います。白髪が仏教に接近したというのは、そういう要素もあるのではないか。しかし、展示されている作品を見れば、パワーの衰えは感じられません。
 「文覚滝の行」という1972年の作品。白と黒の二色でメリハリが強くて、スキージを動かしていく軌跡がくっきりと何重もの線となって表れることになりました。まるでマンガのアクションシーンの動線のように、この線そのものが動きとか流れをイメージさせます。そのため、展示されている作品の中でも、最も動きを感じさせる、ダイナミックな作品の一つです。まあ、黒と白という色遣いは、他の作品の毒々しいほどに原色の絵の具を大量に投入する作品に比べると禁欲的な印象を受けると思います。隣に展示されていた「大威徳尊」と並べて見ると、その動感を見やすいのではないかと思います。
Shiragaabira  このコーナーでは二つの作品を対にして展示しているのが目立ちました。「文覚滝の行」と「大威徳尊」を並べた展示もそうですが、それ以上に「あびらうんけん(胎蔵界大日如来念誦)」の赤い円と「密呪」の黒い円を展示室で向かい合わせに展示して、その二つの作品が正対していたのがすごかった。見る者は、ちょうど両者の間に入って、前後から作品に迫られるのです。「密呪」の黒い円は、まるでブラックホールの暗黒の深淵が口を開いて曳きずり込もうとしているのに対して、「あびらうんけん(胎蔵界大日如来念誦)」の赤い円は灼熱の太陽が迫ってくるような、両極端の対照です。Shiragamitujyu

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