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2020年7月 8日 (水)

村井正誠 あそびのアトリエ(7)~村井正誠の「人」

 ここで展示されているのは、「黒」い作品を経た後の作品です。これまでの「顔」でも「天使と聖母子」でも人を題材にした作品を展示していて、ここでも人を題材にした作品を展示していまか。しかし、村井が「黒」の絵画を経て、描く線を変質させてしまったので、作品の印象が、それに伴って変化してきました。その変化の中でもっとも目立つのが、線です。それ以前の線は自由に動き回っていまたしが、線自体が変化することはありませんでした。図形の線のように、図形を描く手段で、存在するのは結果として描かれた図形で、線自体は存在しないと同じでした。そのため、線自体は同じ太さで黒の色も変わらず、とにかく機械のように一定だったのです。ところが、線自体が自己主張するようになってきます。
Muraiblackline  「黒い線」という1957年の作品です。「黒」い作品と同時期のころの作品ですが、作品タイトルになっている通り、線そのものを描くという作品になっています。ここでの線は、以前のような長い線が伸びて、くねくね屈曲して動いていたのが、ここでは短くなっています。それと反対に、線の太さは太くなって、もはや線で言えない、面といっていいくらいのギリギリのところになっています。これ以上太くなったら、面となって画面を蔽うようになって「黒」い絵になってしまうでしょう。むしろ、いままで背景の面としてあった彩色された面の配置に黒い面が同化するようにしっくりハマっているようです。それによって、それまで前面に出ていた黒が引っ込むようになり、代わりにバックに控えていた彩色の面が相対的に前に手出来たような感じで、見る者には、以前の作品に比べてカラフルな印象を受けるようになったと思います。画面向かって左に黒い太い線による結び目のような形がありますが、線はそこだけで、むしろ青い鯉のぼりのような図形は黒い線よりも目立つほどで、あとは様々な色の小さな面が黒い線と同じように存在を主張していて、さながら万華鏡のような華やかさがあります。
Muraitwo  「二人」という1894年の作品です。展示室の奥の壁に、「二人」という題名で、同じサイズの大きな作品が3つ並んでいました。2.2×1.8という大きな作品が三つ並んで、それぞれが黒い線のバリエィションをそれぞれに主張しているようで、圧倒されました。その線をみているだけで楽しかった。それまでの、線の遊びは線が動きまわるという外面的だったのが、線自体が変化するようになって動きが内側にも生じた、つまり、内面的になったと思います。つまり、線の意味が変わってきていると思います。他の二つの作品は画像を貼っていませんが、以前だったら一本の線が伸びて動き回っていたのを、線を分断して数本の線で一つの形をつくるようにしたり、一本の線において線自体の太さが変化したりしています。この作品では、全体として形が幾何学図形のように整った四角形や円形のようなものか゛崩れてきている。そこに自由さの幅がひろがって、静止していたようなバックに動きが生まれてきている。一方で線は、この作品では細い線で、他の作品に比べて太さは一定で輪郭も明確で、以前の機械的な線ではあります。しかし、この作品では、線が、その方向に伸びていくだけでなく、伸びる方向が揺らいでいるように見えます。それは、それによって、線自体が意識をもって、自身で、どの方向に伸びようと悩んで逡巡しているように見えます。まるで生き物のように、線に生き生きとした自主的な動きをみることができます。
ここで、絵画の展示がひと休みで、次の部屋が版画やオブジェ、そしてアトリエの資料の展示の部屋が入ります。それはパスして、最後の展示室に入ります。

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