無料ブログはココログ

最近読んだ本

« 村井正誠 あそびのアトリエ(2)~村井正誠の「はじまり」 | トップページ | 村井正誠 あそびのアトリエ(4)~村井正誠の「顔」 »

2020年7月 4日 (土)

村井正誠 あそびのアトリエ(3)~村井正誠の「幾何学的抽象と都市」

 おおよそ1930年代後半から40年代の作品で、矩形などの幾何学的な形で画面を構成するような作品、例えば、モンドリアンのような図形のような作品が集められています。
Muraiventure3  「四つのパンチュール」という1940年頃の作品です。二作品が同じタイトルで並んで置かれています。この二つの作品は欲にいると思いました。実際の両作品は、形はコピペしたようにほとんど同じ形、同じ構成ですが、色遣いが違って、「四つのバンチュール№1」の方は、黒地をバックにして白い形態がくっきりと浮かび上がっている。基本的に白と黒の二色で、モノトーンの静かな緊張があるのに対して、もう一つの「四つのバンチュール」は青系列の地に黒い方形が図となり、その黒い方形を地としてそのなかで白や黄色などの様々な色の方形が配置されるという、多層性を感じさせる画面になっています。画面の中ではすべての線が水平と垂直な直線だけで構成されているところはモンドリアンの幾何学的な抽象画に似ているところがあります。方形という単一の要素のみで画面を構成させるのはマレーヴィチを連想させるかもしれません。しかし、モンドリアンにしろマレーヴィチにしろ、抽象という名の通り、本質的な核心と考えるもの以外を削ぎ落してしまって、結果として残ったのが幾何学的で抽象的なかたちの構成による画面です。したがって、余計なもの、例えば情緒的な要素(優しい印象とMuraiventure4 か)あるいは「あそび」のような楽しさといったものは、切り捨てられたものとなって、見る人によっては、冷たいとか取っ付きにくいとかいうものになっています。これに対して、似ているはずの村井の作品は、私の見え方では、モンドリアンやマレーヴィチのような理念とか方法論というものよりも先に、彼らの幾何学的で抽象的な作品がまずあって、「そういうの、いいね!」とかいう感じで、そういう作品を制作してしまった。そして、出来上がった作品を自分の感覚に沿うようにあれこれいじっていった挙句に、こういう作品になった。そういうように見えます。そのいじっているというプロセスが「あそび」で、たとえば図形や線のかすかな歪みだとか、絵の具の塗り方がぞんざいなほど粗くて、筆の跡があからさまに残っていたり、その跡には規則性がなくて画面の幾何学的な厳密さの印象を妨げてしまうほどになっている。例えば、色面の境界となっている線が一部で乱れたり、ぼけたりしている。多分、村井は意図的にやっているのではなくて、感覚的なところで、画面が厳格になってしまうのを無意識のうちに避けているのではないかと思います。
Muraihundred  「百霊廟」という1938年の作品です。展示作品を見る限りでは、村井の作品は幾何学的といっても、上記の「四つのバンチュール」のように直線という単一の要素で緊密に構成された作品は、むしろ例外で、この作品のように曲線も交えた、ゆるい構成の作品です。「百霊廟」というのは中国の内モンゴル自治区にある土地の名前で、村井は制作にあたり航空写真を参考にしたということです。つまり、集落の建物や柵などの配置図のようなものです。上記の個人的妄想を補強することになるかもしれませんが、これも、抽象的な作品を描くにあたって、身の回りの現実で抽象的なものを探していて、建築に行き当たった。航空写真の上から見た集落の配置をそのまま平面にした。その際に「四つのバンチュール」でもそうだったのですが、幾何学的な画像とすることで、画面がシャープになってオシャレの感じとなり、村井のセンスのよい色遣いもあって、洗練された図案のように見ることのできるものとなっています。こういうオシャレさは、この後も村井の作品に共通して備わった特徴となったと思います。

« 村井正誠 あそびのアトリエ(2)~村井正誠の「はじまり」 | トップページ | 村井正誠 あそびのアトリエ(4)~村井正誠の「顔」 »

美術展」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 村井正誠 あそびのアトリエ(2)~村井正誠の「はじまり」 | トップページ | 村井正誠 あそびのアトリエ(4)~村井正誠の「顔」 »