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最近読んだ本

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2020年9月

2020年9月30日 (水)

松崎之貞「吉本隆明はどうつくられたか」

11112_20200930222001  何年も前に読もうとしたが、途中で投げ出してしまった本。期間もあいて、こちらの気持ちも変わったかもしれないので、あらためて読んでみた。吉本思想はいかにして生まれ、形成されたかを、吉本本人が自己の精神形成を振り返った際の発言や叙述に則し、彼がどのような感性で思春期・青年期・壮年期を生きたのか、その延長として何を思想として結実させたのかを辿るという。たしかにそういう体裁になっているが、著者は、吉本の信奉者であることが明白で、吉本ファン向けにお喋りしているような記述になっている。私のような、吉本に距離をおいている者が斜に構えた姿勢で読むと、吉本という人は、今でいう中二病がなおらず、齢をとるとともに、それが頑迷になったような印象を受ける。吉本の「共同幻想論」にしろ「言語にとって美とは何か」にしろ、ユニークな主張がなされているのだけれど、それがどうしてという根拠については、「そういうものでしょ」とでもいっているように思えて、その主張の内容に共感できる人向けというところがあり、その根拠のヒントでもあるかと期待して読んだのだが、「そういうものだ」と納得する人向けに書かれているのが、この本だと思う。

2020年9月25日 (金)

海上知明「戦略で読み解く日本合戦史」

11112_20200925213501  実証主義的な歴史は、しばしば科学としての歴史ともいい、一次資料を尊重し、伝聞や想像を排除し事実を客観的に掘り起こそうとする。しかし、そういう証拠から分かるのは点としての出来事で、ともすれば出来事の羅列になってしまう。それは、無味乾燥にも映る。教科書で習う歴史がつまらないのは、そのせいで、歴史の流れが掴めない。しかも、その出来事の捉え方について、そういう事実があったとしても、その出来事の見方によって、意味づけが変わってくる。
 例えば、平安末期の源平の争い。源義経の鵯越で有名な一の谷の合戦。義経率いる少数の精鋭部隊による奇襲攻撃は、戦国時代の織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦と並び、旧日本陸軍では少数の部隊が大軍を破る戦略として研究され、「迂回」という呼び方で太平洋戦争時物量で優る連合軍に無謀な奇襲を企てる(例えば、インパール作戦、第一次ガダルカナル奪還作戦)ことに影響を与えたと言われる。それは、義経や信長が勝ったという結果としての事実しか見ていないからで、そのプロセスを推測する想像力を欠いているからだという。それを、著者は戦略的な観点から推測することを試みる。義経が鵯越の崖を降りたことに対して、陣地の平氏からは見えないかもしれないが、一の谷は水軍の拠点で、湾内には水軍の船が多数停泊していたはずで、海からは崖がよく見える。海から矢を射かけられれば、崖を駆け下りる義経軍に防ぐことはできない。実は、このとき後白河法皇が平氏に和議の命が届けられていたという。それで、平氏は武装解除の準備を進めていた。つまり、この戦いは、始まる前に結果が出ていた。つまり、後白河法皇の戦略的勝利というのが隠された事実。この結果を残す正史の資料は、後白河法皇が平氏を騙したとは書けないので、その事実を秘したという。義経のとった奇襲作戦は、それ単独では成り立つことはなく、それを奇襲として成立させるための道具立てを周到に準備することが必須。しかし、そのような準備は記録に残されることはない。
 著者は、このように一次資料に表われた出来事を表層的な事象であるとして、その背後に隠されたものを見抜くために戦略というキーワードを使って発掘しようとする。戦略といっても、例えば経済学の分析の基礎には人々の合理的行動という考え方があって、マーケティング理論にも通じるが、戦略的思想とは同じルーツだという。経営戦略というのも、そのあらわれで、社会科学的な方法論とも言える。そこで、見えてくる歴史は、筋立てが論理的で、深堀の推測がどんどんできてしまう面白さがある。例えば、一の谷の合戦については、なぜ源氏は、ここを攻めたのかという理由を考えると、平知盛の海上封鎖による京都の包囲作戦が成功して、源氏が不利になりつつあったということがある。木曽義仲は京都に留まったため疲弊した愚を避けるため、西国に侵攻するしかなかった。いわば、平氏に誘い込まれたらしい。そうすると源平の戦いの見方が変わってくる。そういう歴史は無味乾燥からは、ほど遠い。

2020年9月19日 (土)

ジャズを聴く(51)~スタン・ゲッツ「Stan Getz At Storyville 」

 村上春樹はスタン・ゲッツについて、以下のようなことを書いている。(「ポートレイト・イン・ジャズ」より) 
 「スタン・ゲッツは情緒的に複雑なトラブルを抱えた人だったし、その人生は決して平坦で幸福なものとは呼べなかった。スチームローラーのような巨大なエゴを抱え、大量のヘロインとアルコールに魂を蝕まれ、物心ついてから息を引き取るまでのほとんどの時期を通して、安定した平穏な生活とは無縁だった。多くの場合、まわりの女性たちは傷つき、友人たちは愛想をつかせて去っていった。しかし生身のスタン・ゲッツが、たとえどのように厳しい極北に生を送っていたにせよ、彼の音楽が、その天使の羽ばたきのごとき魔術的な優しさを失ったことは、一度としてなかった。彼がひとたびステージに立ち、楽器を手にすると、そこにはまったく異次元の世界が生まれた。ちょうと不幸なマイダス王の手が、それに触れるすべての事物を輝く黄金に変えていったのと同じように。そう、ゲッツの音楽の中心にあるのは、輝かしい黄金のメロディーだった。どのような熱いアドリブをアップテンポで繰り広げているときにも、そこにはナチュラルにして潤沢な歌があった。彼はテナー・サックスをあたかも神意を授かった声帯にように自在にあやつって、鮮やかな至福に満ちた無言歌を紡いだ。ジャズの歴史の中には星の数ほどのサキソフォン奏者がいる。でもスタン・ゲッツほど激しく歌を歌い上げ、しかも安易なセンチメンタリズムに堕することのなかった人はいなかった。僕はこれまでにいろんな小説に夢中になり、いろいろなジャズにのめりこんだ。でも僕にとっては最終的にはスコット・フィッツジェラルドこそが小説であり、スタン・ゲッツこそがジャズであった。あらためて考えれば、この二人のあいだにはいくつかの重要な共通点が見いだせるかもしれない。彼ら二人の作り出した芸術に、いくつかの欠点を見いだすことはもちろん可能である。僕はその事実を進んで認める。しかしそのような瑕疵の代償を払わずして、彼らの美しさの永遠の刻印が得られることは、おそらくなかっただろう。だからこそ僕は、彼らの美しさと同時に、彼らの瑕疵をも留保なく深く愛するのだ。
 僕がもっとも愛するゲッツの作品はなんといってもジャズ・クラブ<ストリーヴィル>における二枚のライブ盤だ。ここに含まれている何もかもが、あらゆる表現を超えて素晴らしい。月並みな表現だけれど、汲めども尽きせぬ滋養がここにはある。たとえば「ムーヴ」を聴いてみてほしい。アル・ヘイグ、ジミー・レイニー、テディー・コティック、タイニー・カーンのリズム・セクションは息を呑むほど完璧である。とびっきりクールで簡素にして、それと同時に、地中の溶岩のようにホットなリズムを彼らは一体となってひもとく。しかしそれ以上に遥かに、ゲッツの演奏は見事だ。それは天馬のごとく自在に空を行き、雲を払い、目を痛くするほど鮮やかな満天の星を、一瞬のうちに僕らの前に開示する。その鮮烈なうねりは、年月を越えて、僕らの心を激しく打つ。なぜならそこにある歌は、人がその魂に密かに抱える飢餓の狼の群を、容赦なく呼び起こすからだ。彼らは雪の中に、獣の白い無言の息を吐く。手にとってナイフで切り取れそうなほどの白く硬く美しい息を…。そして僕らは、深い魂の森に生きることの宿命的な残酷さを、そこに静かに見て取るのだ。」

Stan Getz At Storyville   1951年10月28日録音

 Jazgetz_live Thou Swell
 The Song Is You
 Mosquito Knees
 Pennies From Heaven
 Move
 Parker 51
 Hershey Bar
 Rubberneck
 Signal
 Everything Happens To Me
 Jumping With Symphony Sid
 Yesterdays
 Budo

  Stan Getz (ts)
  Al Haig(p)
  Jimmy Raney (g)
  Teddy Kotick (b)
  Tiny Kahn (ds)

 もともとLPレコードでは二枚組だったものが、CD化に際して1枚にまとまったもの。上で村上春樹の文章を引用しているけれど、彼はこのライブ録音を手放しで絶賛している。彼は、何らかの思い入れもあるのだろうけれど、そういうものと関係なく、とにかくプレイを聴けば、ゲッツは、クール、洒脱に、美しいメロをとにかくまきちらすようにサックスを吹いている。中域~高域にかけて、甘いメロディを疾走する。そこには障害など何もないかのように、後のモダンジャズのプレイヤーのように突っかかったり、停滞したり、ブローしたりして重くなる事なく、「優しい管楽器」として、テナー・サックスを操る。均整がとれていて、温かみを感じさせるもので、しかしどこかヒヤリとした感覚を秘めていて、開放的にパッパラパパラとぶちかますような音楽とは正反対の、夜の音楽――深夜のクラブで、手だれのバックバンドを従え、クールネスとメロディアスを同時に表現するような音楽と言える。
 最初の「Thou Swell」では、音色の変化を楽しむかのように、まるで奏者が2人いて掛け合いをしているような、一人でボケとツッコミを違った音色でやっているさりげないユーモアは、リラックスした雰囲気をつくり上げる。「The Song Is You」では軽快にテンポが速まり、ギターが絡みながら、2本ホーンの掛け合いのようなテーマ提示の後、快速のアドリブ展開が、肩の力が抜けた、柔らかいビロードの流れのような滑らかに推移するのが圧巻。踊るように、歌うように・・・。続く「Mosquito Knees」も快速ナンバーで、畳み掛けてくる。ここでのゲッツのフレーズのスピード感、小気味よい音数の多さは、そういう意識はないかもしれないが、後年のバップのバトルに参加してもひけをとるものではないだろう。しかも、その細かな速いフレーズが歌っている。5曲目の「Move」は引用した村上春樹も絶賛しているが、リズム部隊と一体となってゲッツが疾走しているナンバー。その疾走の中から「パッパラパー」みたいな細切れに出てくるフレーズがすべて歌うようなのだ。そこに単に速いだけのスピードとテクニックだけを誇示するようなところは皆無なのだ。だから、楽しい。そしてvol.1のラスト「Parker 51」で、さらに加速し、全員がスピードの限界辺りを果敢に突き進んでいて、ゲッツは様々なアイディアを繰り出してくる楽しさは特筆ものだ。2曲続けて限界ギリギリのスピードでプレイしているにもかかわらず、熱血のような熱さとか激しさを、ほとんど感じさせずに、洒落ですよみたいな軽快で涼しげに聴こえてきてしまう。実は、ギターもメロディアスだし、リズム部隊も変則的なリズムをとったりと、様々にゲッツに仕掛けていて、ゲッツはそれに応えるように、アドリブの本領を発揮している。
 当時のゲッツの音色は、音が小さく、か細い感じで、力強さに欠ける。例えば、50年代後半のソニー・ロリンズと比べれば、柔らかいのだろうけれど音がスカスカ抜ける「ヒョロヒョロ」とでも形容したくなるものだ。しかし、ロリンズの音は力強くゴツゴツした黒人的なハードバップには適しているが、ゲッツの音は目指す方向が違うものなのだ。
ゲッツは、独特の柔らかくて肌理(きめ)の細かい肌触りのいいシルクのような音色で、テーマの元メロディを生かしながら自在に展開させてセンスのいいとしか言えないフレーズを繰り出してくる。多分、この粋なフレーズは直感的な閃きのように自然に湧き上がってくるような類のものだ。このような「閃き」を生かす~という点では、ソニー・ロリンズと同じタイプ(音色やフレーズは全く対極だが)かと思う。そうして・・・いい「閃き」が湧いた時のゲッツは・・・本当に凄い。テーマの部分では元のメロディを崩したりもするが、しかしそれは元メロディのツボをちゃんと生かしたようなフレーズであって、そしてひとたびアドリブに入れば、ゲッツはもう吹くのが楽しくて仕方ない・・・という風情で、迷いのない、そして見事に歌っているフレーズを次々と繰り出してくる。スローバラードでの叙情溢れるフレーズももちろん素晴らしいのだが、急速調でのスピードに乗った淀(よど)みのないフレージングときたら・・・それはもう、本当に生き生きとした音楽がそこに立ち現われる。
 ゲッツの吹くフレーズには理論で分析したような跡はまったくない。閃きによって生まれた自然なフレーズを、あたかも「そういう音しか出なかった」ように思える自然な音色で吹く・・・。これら2つの要素がまったく違和感なく、ごく自然に溶け合っている。つまり、ゲッツは、自分の音色に合うフレーズを自ら生み出したのだ・・・いや、自分のフレーズに合う音色を創り出した。そうして、ひとたび彼がテナーを吹けば、それがテーマであってもアドリブであっても・・・そこには本当に「自然な歌」が溢れ出るのだ。

2020年9月14日 (月)

玉木敏明「海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム」

11112  近代ヨーロッパ、とりわけイギリスで産業革命がおこって経済が急成長して、とれと同時並行するように海外支配を進め覇権を握れたのはどうしてか。近代ヨーロッパ以前にも、イスラムもモンゴルも中国も帝国を形成し、それなりに経済を発展させたが、どこが違うのか。
 産業革命についての一般的な議論は、蒸気機関などの技術革新がおこり生産量が圧倒的に飛躍したことによって資本主義経済となり、規模が急拡大したという言い方がなされる。著者は、それに対して、そんなに生産量が増えたって、生産したものを消費することがなければ、成り立たないのではないか、という問題意識を提出する。それがシーパワー、つまり海上交通の支配という視点に注目する。イスラム、モンゴル、中国といった帝国はシルクロードに象徴されるように領土内の交易路の安全は保障できるが、領土以外、つまりグローバルで安全を保障できない。そこで、交易をする商人は、盗賊などの危険に備えて自前で防衛をしなければならない。そこで多大な運輸コストがかかる。しかも、陸上交上交通は、領土として独占的に領有できないが、結節点である港を支配し、軍艦を護衛として船団を組むことで、安全な大量輸送が可能となる。しかも、商人はイギリス海軍に護衛してもらうので防衛コストがかからない(また、軍隊との方でも帝国のように領土全体に兵を駐在させることに比べれば、はるかにコストはかからない)。それによって大量生産した安価な製品の交易が可能となり、グローバルな大量販売のネットワークが形成された。そこで生産の技術革新が意味を持ってくる。そういう議論。たしかに、イギリスの後に、覇権国家となったのはアメリカで、やはりシーパワーの国だと納得した。

 

2020年9月10日 (木)

佐藤義之「レヴィナス 「顔」と形而上学のはざまで」

11111_20200910214601  エマニュエル・レヴィナスという哲学者は、リトアニアに生まれたユダヤ人で、第二次世界大戦中にドイツの捕虜収容所に収容され、ほとんどすべての親族はドイツ軍によって虐殺されてしまった。レヴィナス自身は過酷な運命を生き延びたことは、他者に対する責任を追及した彼の倫理哲学に大きな影響を与えたとされ、レヴィナスは人は何のために生きるのかを徹底的に考え抜いた哲学者だといわれる。それゆえか、彼のことを紹介・解説する場合、往々にして、彼が極限的な状況を生き延びた体験を強調し、彼の思考は、そういう極限から生まれた特権的なものだと言わんばかりで、ややもすると、そういう極限を経験しないで、のほほんと平穏に過ごしたものには手の届かない特権的なありがたい教えだというように、宗教みたいにおしつけるものが多い。
 それに対して、この著作は、レヴィナスはハイデガーに学んだ現象学の徒であり、彼の有名な他者論は、記述不可能な「他」を記述して論じるようという試みだったと指摘する。著者は、現象から出発しているのだから、逆に事象に落とし込めるはずでしょと繰り返し指摘する。それで、私にも、切り口の端緒だけでも、そうだったのかと納得できた。しかし、だからといって、レヴィナスが、どのように考えたかを理解できたかというと、レヴィナスの記述は、ワープを繰り返して遠いところに行ってしまうようなので、現時点では、まだまだ手が届かないでいる。

 

2020年9月 5日 (土)

ジャズを聴く(50)~スタン・ゲッツ「STAN  GETZ  QUARTETS」

Jazgetz  スタン・ゲッツの特徴として、まずあげられるのは彼のテナー・サックスの音だ。同じテナー・サックスでもソニー・ロリンズのようなすーッと伸びるような、太くて、広がりのある、どちらかというゴツゴツした音色と比べると、ゲッツの音色は細くて、ヒョロヒョロした感じに聞こえる。それは、ロリンズには力強さでは及ばないものの、柔らかくて肌理の細かい滑らかな音色といえる。とくにゲッツは高音域を多用したので、なおさら、その印象が強くなっている。ロリンズのような吹き込んだ息をすべて音にして大きく鳴らそうとしていない、その代わりに、その音になっていない息が様々な働きをしている(例えば、耳に聞こえないけれどα波は気分をリラックスさせる、ゲッツの音とは直接関係ないけれど)、そういう音の出し方をしているということだ。
 そして、彼の演奏の仕方、つまり彼の即興は、圧倒的な「今・ここ」の感覚なのだと思う。先取りでもなく後付けでもなく、即興によって音楽が生成されていく瞬間をそのまま聴き手に提示してしまい、それがこの上なく美しい音楽になっている、という奇跡的なものだ。瞬間的な閃きによって、分かり易く美しいメロディが自然に湧いてくるというもので、漫然ときいてしまうと、その完璧さに即興的に紡ぎだされたことが分からないほどなのだ。あまりに自然なために、チャーリー・パーカーのアドリブで目の当たりにするような先行きの分からないようなスリルや緊張感を直接ぶつけられるようなことは表面的には、ない。それが、ゲッツが「クール」と呼ばれる所以なのではないか。
 そして、彼の即興演奏の作り出すフレーズが音楽的な美しさだけで勝負しているということだ。そこには情緒的な要素、センチメンタルな甘いメロディとかマイナー・コードの効果に頼るとか、あるいは、ビブラートとか陰影といった音の装飾をつける、というような一種のごまかしをしていない、ということだ。だから、冷たいと言われるかもしれないが、彼の紡ぎだすメロディは純粋に美しい。 

 

STAN GETZ QUARTETS

Jazgetz_quart  There's A Small Hote
 I've Got You Under My Skin
 What's New
 Too Marvelous For Words
 You Steeped Out Of A Dream
 My Old Flame
 My Old Flame (alternate take)
 Long Island Sound
 Indian Summer
 Mar-Cia
 Crazy Chords
 The Lady In Red
 The Lady In Red (alternate take)
 Wrap Your Troubles In Dreams

 

 #8,9,10,11  1949/06/21
  Stan Getz (ts)
  Al Haig (p)
  Gene Ramey (b)
  Stan Levey (ds)
 #1,2,3,4   1950/01/06
  Stan Getz (ts)
  Al Haig (p)
  Tommy Potter (b)
  Roy Haynes(ds)
 #5,6,7,12,13,14  1950/04/14
  Stan Getz (ts)
  Tony Aless (p)
  Percy Heath (b)
  Don Lamond (ds)
 スタン・ゲッツという人は、誤解を恐れずに言えば、スタイルは全く異なるソニー・ロリンズもそう思うが、天然とても言うしかないその場の思いつきで即興的に素晴らしいフレーズを次から次へと繰り出してしまえる天才であると思っている。ゲッツは活動期間も長く、その間に紆余曲折もあり、プレイスタイルも変遷したが、そのベースは変わっていないと思う。そして、そういう思いつきをストレートに、それだけの1本勝負で体当たりのプレイをしているのが、初期の録音に残されていると思う。とはいっても、このアルバムのサウンドは体当たりのプレイ等という言葉から連想されるド根性の熱血とはほど遠い、スマートで洗練された儚げなサウンドを堪能できる。
 最初の「There's A Small Hotel」から4曲目の「Too Marvelous For Words」が1950年1月に録音されたもので、どれも、素晴らしいプレイを聴くことができる。「There's A Small Hotel」ではアル・ヘイグの湿り気を帯びたようなピアノのイントロがなんとも歌心のあるもので、その軽快なテンポに促されるように、スウィンギーなリズムに乗って流麗なゲッツのソロが浮遊するように、多彩な音色を駆使して、音色が変わるたびにフレーズも変わって、まるで複数のゲッツがプレイしているようなめくるめく眩惑的なプレイを堪能させられる。3曲目「What's New」は人気のバラードだが、ゲッツのか細い、柔らかい音が儚さを際立たせるが、けっしてヤワではなく、その即興は譜面通りに吹いていると思うほど完璧に感じられ、むしろ遊びがないと感じられるほどだ。
 5曲目の「You Steeped Out Of A Dream」から7曲目の「My Old Flame (alternate take)」そして、12曲目の「The Lady In Red」以降の曲は1950年4月に、前とは違うメンバーで録音され、マイクの位置やスタジオ、機材が違うのか、音質が異なって、デッドな響きでゲッツのサックスが近くにダイレクトに聞こえてくる。この録音は、ほかの柔らかでほんわりした音質とは少し異質だが、「You Steeped Out Of A Dream」はスタン・ゲッツ畢生の名演とされた決定的なバージョンと言われる。ソフトにかすれる音色で穏やかなテーマをアドリブで、その湿り気を帯びたムードを壊さぬようにしながら、これでもかというほどフレーズを繰り出してくるさまに圧倒される。
 8曲目の「Long Island Sound」から11曲目の「Crazy Chords」は1949年6月の録音で、「Long Island Sound」の軽快なテンポのナンバーでは、少し熱くなるようなプレイで、次の「Indian Summer」ではミディアムテンポながら、控えめにブローするような一幕もあって、この時に録音されたプレイは総じて熱い力が入っているような感じだ。
 スタン・ゲッツは白人による天才的なテナー奏者、クール・ジャズの創始者といったレッテルが貼られ、この録音はその初期のクール・ジャズの絶頂期の記録とか言われても、後のモダンジャズのプレイを聴きなれた耳からは、曲は短くてあっけなく終わってしまうし、肝心のゲッツの音はスカスカで弱々しい印象で、ハードさが足りないように感じられないか。クラシック音楽でいえば、マーラーやブルックナーなどの後期ロマン派の規模の大きく、長大な交響曲を聴きなれた耳でモーツァルトを聴いた時に感じる難解さに近いかもしれない。巷のジャズのガイドブックなどでも、聴きにくいとして、ゲッツの録音では、後年のボサノバをプレイしたアルバムがヒット作ということもあり、このような初期の録音は参考程度の紹介でお茶を濁しているケースが多い。

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