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2020年9月19日 (土)

ジャズを聴く(51)~スタン・ゲッツ「Stan Getz At Storyville 」

 村上春樹はスタン・ゲッツについて、以下のようなことを書いている。(「ポートレイト・イン・ジャズ」より) 
 「スタン・ゲッツは情緒的に複雑なトラブルを抱えた人だったし、その人生は決して平坦で幸福なものとは呼べなかった。スチームローラーのような巨大なエゴを抱え、大量のヘロインとアルコールに魂を蝕まれ、物心ついてから息を引き取るまでのほとんどの時期を通して、安定した平穏な生活とは無縁だった。多くの場合、まわりの女性たちは傷つき、友人たちは愛想をつかせて去っていった。しかし生身のスタン・ゲッツが、たとえどのように厳しい極北に生を送っていたにせよ、彼の音楽が、その天使の羽ばたきのごとき魔術的な優しさを失ったことは、一度としてなかった。彼がひとたびステージに立ち、楽器を手にすると、そこにはまったく異次元の世界が生まれた。ちょうと不幸なマイダス王の手が、それに触れるすべての事物を輝く黄金に変えていったのと同じように。そう、ゲッツの音楽の中心にあるのは、輝かしい黄金のメロディーだった。どのような熱いアドリブをアップテンポで繰り広げているときにも、そこにはナチュラルにして潤沢な歌があった。彼はテナー・サックスをあたかも神意を授かった声帯にように自在にあやつって、鮮やかな至福に満ちた無言歌を紡いだ。ジャズの歴史の中には星の数ほどのサキソフォン奏者がいる。でもスタン・ゲッツほど激しく歌を歌い上げ、しかも安易なセンチメンタリズムに堕することのなかった人はいなかった。僕はこれまでにいろんな小説に夢中になり、いろいろなジャズにのめりこんだ。でも僕にとっては最終的にはスコット・フィッツジェラルドこそが小説であり、スタン・ゲッツこそがジャズであった。あらためて考えれば、この二人のあいだにはいくつかの重要な共通点が見いだせるかもしれない。彼ら二人の作り出した芸術に、いくつかの欠点を見いだすことはもちろん可能である。僕はその事実を進んで認める。しかしそのような瑕疵の代償を払わずして、彼らの美しさの永遠の刻印が得られることは、おそらくなかっただろう。だからこそ僕は、彼らの美しさと同時に、彼らの瑕疵をも留保なく深く愛するのだ。
 僕がもっとも愛するゲッツの作品はなんといってもジャズ・クラブ<ストリーヴィル>における二枚のライブ盤だ。ここに含まれている何もかもが、あらゆる表現を超えて素晴らしい。月並みな表現だけれど、汲めども尽きせぬ滋養がここにはある。たとえば「ムーヴ」を聴いてみてほしい。アル・ヘイグ、ジミー・レイニー、テディー・コティック、タイニー・カーンのリズム・セクションは息を呑むほど完璧である。とびっきりクールで簡素にして、それと同時に、地中の溶岩のようにホットなリズムを彼らは一体となってひもとく。しかしそれ以上に遥かに、ゲッツの演奏は見事だ。それは天馬のごとく自在に空を行き、雲を払い、目を痛くするほど鮮やかな満天の星を、一瞬のうちに僕らの前に開示する。その鮮烈なうねりは、年月を越えて、僕らの心を激しく打つ。なぜならそこにある歌は、人がその魂に密かに抱える飢餓の狼の群を、容赦なく呼び起こすからだ。彼らは雪の中に、獣の白い無言の息を吐く。手にとってナイフで切り取れそうなほどの白く硬く美しい息を…。そして僕らは、深い魂の森に生きることの宿命的な残酷さを、そこに静かに見て取るのだ。」

Stan Getz At Storyville   1951年10月28日録音

 Jazgetz_live Thou Swell
 The Song Is You
 Mosquito Knees
 Pennies From Heaven
 Move
 Parker 51
 Hershey Bar
 Rubberneck
 Signal
 Everything Happens To Me
 Jumping With Symphony Sid
 Yesterdays
 Budo

  Stan Getz (ts)
  Al Haig(p)
  Jimmy Raney (g)
  Teddy Kotick (b)
  Tiny Kahn (ds)

 もともとLPレコードでは二枚組だったものが、CD化に際して1枚にまとまったもの。上で村上春樹の文章を引用しているけれど、彼はこのライブ録音を手放しで絶賛している。彼は、何らかの思い入れもあるのだろうけれど、そういうものと関係なく、とにかくプレイを聴けば、ゲッツは、クール、洒脱に、美しいメロをとにかくまきちらすようにサックスを吹いている。中域~高域にかけて、甘いメロディを疾走する。そこには障害など何もないかのように、後のモダンジャズのプレイヤーのように突っかかったり、停滞したり、ブローしたりして重くなる事なく、「優しい管楽器」として、テナー・サックスを操る。均整がとれていて、温かみを感じさせるもので、しかしどこかヒヤリとした感覚を秘めていて、開放的にパッパラパパラとぶちかますような音楽とは正反対の、夜の音楽――深夜のクラブで、手だれのバックバンドを従え、クールネスとメロディアスを同時に表現するような音楽と言える。
 最初の「Thou Swell」では、音色の変化を楽しむかのように、まるで奏者が2人いて掛け合いをしているような、一人でボケとツッコミを違った音色でやっているさりげないユーモアは、リラックスした雰囲気をつくり上げる。「The Song Is You」では軽快にテンポが速まり、ギターが絡みながら、2本ホーンの掛け合いのようなテーマ提示の後、快速のアドリブ展開が、肩の力が抜けた、柔らかいビロードの流れのような滑らかに推移するのが圧巻。踊るように、歌うように・・・。続く「Mosquito Knees」も快速ナンバーで、畳み掛けてくる。ここでのゲッツのフレーズのスピード感、小気味よい音数の多さは、そういう意識はないかもしれないが、後年のバップのバトルに参加してもひけをとるものではないだろう。しかも、その細かな速いフレーズが歌っている。5曲目の「Move」は引用した村上春樹も絶賛しているが、リズム部隊と一体となってゲッツが疾走しているナンバー。その疾走の中から「パッパラパー」みたいな細切れに出てくるフレーズがすべて歌うようなのだ。そこに単に速いだけのスピードとテクニックだけを誇示するようなところは皆無なのだ。だから、楽しい。そしてvol.1のラスト「Parker 51」で、さらに加速し、全員がスピードの限界辺りを果敢に突き進んでいて、ゲッツは様々なアイディアを繰り出してくる楽しさは特筆ものだ。2曲続けて限界ギリギリのスピードでプレイしているにもかかわらず、熱血のような熱さとか激しさを、ほとんど感じさせずに、洒落ですよみたいな軽快で涼しげに聴こえてきてしまう。実は、ギターもメロディアスだし、リズム部隊も変則的なリズムをとったりと、様々にゲッツに仕掛けていて、ゲッツはそれに応えるように、アドリブの本領を発揮している。
 当時のゲッツの音色は、音が小さく、か細い感じで、力強さに欠ける。例えば、50年代後半のソニー・ロリンズと比べれば、柔らかいのだろうけれど音がスカスカ抜ける「ヒョロヒョロ」とでも形容したくなるものだ。しかし、ロリンズの音は力強くゴツゴツした黒人的なハードバップには適しているが、ゲッツの音は目指す方向が違うものなのだ。
ゲッツは、独特の柔らかくて肌理(きめ)の細かい肌触りのいいシルクのような音色で、テーマの元メロディを生かしながら自在に展開させてセンスのいいとしか言えないフレーズを繰り出してくる。多分、この粋なフレーズは直感的な閃きのように自然に湧き上がってくるような類のものだ。このような「閃き」を生かす~という点では、ソニー・ロリンズと同じタイプ(音色やフレーズは全く対極だが)かと思う。そうして・・・いい「閃き」が湧いた時のゲッツは・・・本当に凄い。テーマの部分では元のメロディを崩したりもするが、しかしそれは元メロディのツボをちゃんと生かしたようなフレーズであって、そしてひとたびアドリブに入れば、ゲッツはもう吹くのが楽しくて仕方ない・・・という風情で、迷いのない、そして見事に歌っているフレーズを次々と繰り出してくる。スローバラードでの叙情溢れるフレーズももちろん素晴らしいのだが、急速調でのスピードに乗った淀(よど)みのないフレージングときたら・・・それはもう、本当に生き生きとした音楽がそこに立ち現われる。
 ゲッツの吹くフレーズには理論で分析したような跡はまったくない。閃きによって生まれた自然なフレーズを、あたかも「そういう音しか出なかった」ように思える自然な音色で吹く・・・。これら2つの要素がまったく違和感なく、ごく自然に溶け合っている。つまり、ゲッツは、自分の音色に合うフレーズを自ら生み出したのだ・・・いや、自分のフレーズに合う音色を創り出した。そうして、ひとたび彼がテナーを吹けば、それがテーマであってもアドリブであっても・・・そこには本当に「自然な歌」が溢れ出るのだ。

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コメント

こんにちは。ゲッツに関する村上春樹の相当、思い入れのある文章は面白いですね。「ゲッツこそがジャズ」と言い切る彼がチャーミングで好きです。
誰しも、心に染み付いた自分の底流となる音楽はあるもので、私にもいくつか、そういう音楽はあります。
スタン・ゲッツは確かに、村上春樹が言うようにステージ上がってしまえばいつでも同じスタンス、全く変わらない。流麗な溢れ出る即興がサァーっと流れていく感じ。
ただ、私もゲッツの本質は、このストリヴィルでの録音盤とルースト・セッションに集約されている気がします。

zawinulさん、コメントありがとうございます。村上春樹はゲッツについては、けっこう書いているようです。私には、ゲッツの音楽は、クラシックであればモーツァルトのような、取っ付き易そうで、実は難解なことこの上ないタイプの音楽です。

>zawinulさん
>
>こんにちは。ゲッツに関する村上春樹の相当、思い入れのある文章は面白いですね。「ゲッツこそがジャズ」と言い切る彼がチャーミングで好きです。
>誰しも、心に染み付いた自分の底流となる音楽はあるもので、私にもいくつか、そういう音楽はあります。
>スタン・ゲッツは確かに、村上春樹が言うようにステージ上がってしまえばいつでも同じスタンス、全く変わらない。流麗な溢れ出る即興がサァーっと流れていく感じ。
>ただ、私もゲッツの本質は、このストリヴィルでの録音盤とルースト・セッションに集約されている気がします。

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