海上知明「戦略で読み解く日本合戦史」
実証主義的な歴史は、しばしば科学としての歴史ともいい、一次資料を尊重し、伝聞や想像を排除し事実を客観的に掘り起こそうとする。しかし、そういう証拠から分かるのは点としての出来事で、ともすれば出来事の羅列になってしまう。それは、無味乾燥にも映る。教科書で習う歴史がつまらないのは、そのせいで、歴史の流れが掴めない。しかも、その出来事の捉え方について、そういう事実があったとしても、その出来事の見方によって、意味づけが変わってくる。
例えば、平安末期の源平の争い。源義経の鵯越で有名な一の谷の合戦。義経率いる少数の精鋭部隊による奇襲攻撃は、戦国時代の織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦と並び、旧日本陸軍では少数の部隊が大軍を破る戦略として研究され、「迂回」という呼び方で太平洋戦争時物量で優る連合軍に無謀な奇襲を企てる(例えば、インパール作戦、第一次ガダルカナル奪還作戦)ことに影響を与えたと言われる。それは、義経や信長が勝ったという結果としての事実しか見ていないからで、そのプロセスを推測する想像力を欠いているからだという。それを、著者は戦略的な観点から推測することを試みる。義経が鵯越の崖を降りたことに対して、陣地の平氏からは見えないかもしれないが、一の谷は水軍の拠点で、湾内には水軍の船が多数停泊していたはずで、海からは崖がよく見える。海から矢を射かけられれば、崖を駆け下りる義経軍に防ぐことはできない。実は、このとき後白河法皇が平氏に和議の命が届けられていたという。それで、平氏は武装解除の準備を進めていた。つまり、この戦いは、始まる前に結果が出ていた。つまり、後白河法皇の戦略的勝利というのが隠された事実。この結果を残す正史の資料は、後白河法皇が平氏を騙したとは書けないので、その事実を秘したという。義経のとった奇襲作戦は、それ単独では成り立つことはなく、それを奇襲として成立させるための道具立てを周到に準備することが必須。しかし、そのような準備は記録に残されることはない。
著者は、このように一次資料に表われた出来事を表層的な事象であるとして、その背後に隠されたものを見抜くために戦略というキーワードを使って発掘しようとする。戦略といっても、例えば経済学の分析の基礎には人々の合理的行動という考え方があって、マーケティング理論にも通じるが、戦略的思想とは同じルーツだという。経営戦略というのも、そのあらわれで、社会科学的な方法論とも言える。そこで、見えてくる歴史は、筋立てが論理的で、深堀の推測がどんどんできてしまう面白さがある。例えば、一の谷の合戦については、なぜ源氏は、ここを攻めたのかという理由を考えると、平知盛の海上封鎖による京都の包囲作戦が成功して、源氏が不利になりつつあったということがある。木曽義仲は京都に留まったため疲弊した愚を避けるため、西国に侵攻するしかなかった。いわば、平氏に誘い込まれたらしい。そうすると源平の戦いの見方が変わってくる。そういう歴史は無味乾燥からは、ほど遠い。
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