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2020年10月19日 (月)

三浦佑之「神話と歴史叙述」

11112_20201019224001  古代大和王朝が白村江の戦で唐に大敗して、防衛を固めるために、国家体制を強化する必要に迫られ、そこで導入したのは中国の中央集権体制であった。その制度の根幹は法としての律令をベースとした現実の統治機構と権力の正統性を保証するための歴史としての史書だった。つまり、国家というのは、権力としての法(律令)と幻想としての歴史を車の両輪としてもつことによって、安定した持続が可能となる。この両輪は互いに支え合うことによって機能する。権力を補完するためにはそれに寄りかかろうとする幻想が必要であり、その幻想は、始まりの正統性を保証する神話とそこから今へと続く歴史によって共同化される。それゆえに、歴史は事実の集積である必要はなく、権力を支える幻想、敢えて言えば物語でよかった。そのお手本が中国の史書、例えば漢の正史である「漢書」や隋の正史である「隋書」だった。それを真似て編纂しようとしたのが日本の国の正史としての「日本書」だった。ちなみに中国の正史は皇帝を綴った「紀」、国家を支える制度や支配する地方の記録である「志」、そして功績のあった臣下たちの物語の「伝」の三点セットで構成される。しかし、「日本書」は天皇の事績を編年体で記録した「紀」しか完成しなかった。「日本書」の「紀」しかできなかったので、それを続けて「日本書紀」と後世に残されたという。本来なら「日本書志」と「日本書伝」が揃って「日本書」が完成するはずが「日本書紀」しかできなかった。それが先例となって「日本書紀」に続く六国史が正史として編纂された。
 これに対して、「古事記」は「日本書紀」に対しては、反正史ともいえる立場をとるものといえる。「日本書紀」の編年体、「古事記」の紀伝体といわれる。この紀伝体というのは個々の伝承の独立した記述が寄り集まって大河小説のようになっている。そこには編年体のような絶対年代でとくていされる歴史の流れはなく、伝承は「昔々」でいっしょにされ、そこには現在と過去の断絶はなく伝承で語られる人とその語りを聞く人が同じ次元を共有する。「古事記」は「日本書紀」で語られる歴史の構造の破壊者と言ってもよい。
 この二つの相矛盾するよう書物を古代大和王朝は、相次いで編纂した。そう考えると、日本の歴史の構造というのは、単純な系統の流れと考えられていなかったと言えると思う。こじつけかもしれないが、今、復古的な史観と自虐史観とは対立的にとらえるのではなく、それを相対立するものが同時にありうる構造として日本の歴史を捉えるというのを古代の史書は試みていたのではないかと思った。だって、日本の歴史は幻想でいいのだから。

 

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