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2020年11月 1日 (日)

ジャズを聴く(53)~スタン・ゲッツ「Stan Getz At The Shrine」

 スタン・ゲッツのプロフィールを簡単に見ていきましょう。
 スタン・ゲッツは、これまでを通じての最も偉大なテナー・サックス奏者の一人で、かつてなかったほどの美しいトーンを有していたことから「ザ・サウンド」と称せられている。ゲッツは主に初期のレスター・ヤングから影響を受けながらも、とどまることなく進化を続け、大きな影響を与える存在にまでなった。
 ゲッツは、まだティーンエイジャーのうちに第二次世界大戦で多くのミュージシャンが徴兵されたために不足が生じたのを捉えて、メジャーなスイング・ジャズのビッグ・バンドでプレイすることができた。16歳になった1943年、ジャック・ティーガーデン楽団に加入、そして1944~45年にはスタン・ケントン、1945年にはトミー・ドーシー楽団と渡り歩いた。その間、ベニー・グッドマンとも、数回、ソロでレコーディングに参加している。ゲッツは1946年7月にでリーダー・アルバムでレコード・デビューを果たし、4枚のタイトルで残されている。第2期ウッディ・ハーマン楽団(1947~49年)在籍時にズート・シムズ、ハービー・スチュワード、セルジュ・チャロフとともにオリジナルの「Four Brothers」でソロをとり、「Early Autumn」でバラードの彼の特徴が開花したことなどで、その名が広く知られるようになった。(当時のウッディー・ハーマンは”ファースト・ハード”と呼ばれるニール・ヘフティー(arr&tp)の生み出すビバップスタイルのバンドを解散し、次の活動に向けて人材を探している状態で、そんな折にロサンジェルスのクラブで見つけたサックス4人のアンサンブル。彼らアンサンブルをビックバンドのウィンドセクションとしてそのまま組み込んで生まれたのが”セカンド・ハード”だった。)ハーマンのもとを去った後、フィルハーモニックでの数回のジャズイベント以外では、死ぬまでリーダーとしてプレイし続けることになる。
 1950年代前半、ゲッツの自身の音楽的アイテンテティを構築するためにレスター・ヤングの影響から脱皮すると、すぐにジャズメンの中でも最も人気のあるミュージャンとなっていった。1950年、ホレス・シルバーを見い出し、数か月間カルテットに引き入れる。1951年のスウェーデン・ツァーの後、ギタリストのジミー・レイニーと共演する刺激的なカルテットを作った。そのカルテットでは、アップテンポの曲での二人のインタへプレイやバラードでの音色のハーモニーは全く忘れられないものとなった。ジミーの「Moonlight in Vermont」ヒットには、ゲッツのプレイでサポートしている。1953~54年ボブ・ブルックマイヤーの加入によりクインテットとなった。そして、その10年間のうちに、何度か麻薬問題があったにもかかわらず、ゲッツの人気は落ちなかった。1958~60年はヨーロッパで過ごした後、米国に戻り、テナー・サックス奏者として彼自身が個人的に大好きだったアルバム「Focus」をアレンジャーであるエディ・ソーターの楽団とレコーディングしている。それから、1962年2月に、チャーリー・バードと「Jazz Samba」をレコーディングした。その中の「Desafinado」の演奏は大ヒットし、これはボサノバの先駆けとなった。次の年、ゲイリー・マクファーランド楽団、ルイス・ボンファ、ローリンド・アルメイダとボサノバ風のアルバムを制作し、それは彼として最高のセールスを記録した「Getz/Gilberto」となった。それは、アントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルトとのコラボレーションで、アストラッドとジョアン・ジルベルトのボーカルをフィーチャーした「he Girl from Ipanema」によるところが大きかった。
 ゲッツはそれからの10年間はボサノバにこだわったが、その一方で彼のプレイは抑制的になり、ジャズとしては挑戦的な選択をしている。この時代の彼のレギュラー・グループはビブラフォンのゲイリー・バートンが加入したピアノレスのカルテットだ。1964年にはビル・エヴァンスとレコーディングし、1967年にはチック・コリアと古典となってしまったアルバム「Sweet Rain」を制作している。1966~80年のゲッツのレコーディングのすべてが重要だとは言えないが、彼が新しい可能性に挑戦することを恐れないでいることは明らかだ。1971年のオルガンのエディ・ルイスとの「Dynasty」、1972年のチック・コリアとの「Captain Marvel」、1975年のジミー・ロウルズとの「The Peacocks」等は評価が高い。1977年にカルテットでピアニストのジョアン・ブラッキーンを起用した後で、キーボードのアンディ・ラバーンをフィーチャーした新たなユニットでフュージョン・ミュージックの可能性を検討している。ゲッツの2曲でエレキ楽器を試みたが上手くいかなかった。しかし、その試み自体には価値がある。しかしながら、1981年に彼がコンコードでサインし、アコースティク楽器のみで演奏し始めたことは、従来の彼のファンを安心させた。最近のゲッツのサイド・メンはピアノのルー・レヴィの他、ミシェル・フォアマン、ジム・マリニーリー、ケニー・バロンだ。彼の最後のレコーディングは1991年の「People Time」となった。息の若干の短さにもかかわらず、バロンとの素晴らしいデュエットだった。

 

Stan Getz At The Shrine   1954年11月8日録音
Jazgetz_shrine  Flamingo
 Lover Man
 Pernod
 Tasty Pudding
 I'll Remember April
 Polka Dots And Moonbeams
 Open Country
 It Don't Mean A Thing
 We'll Be Together Again
 Feather Merchant
   Stan Getz(ts),
   Bob Brookmeyer(vtb)
   John Williams(p)
   Bill Anthony(b)
   Art Mardigan(ds)

 

 「Flamingo」やたら調子のいい司会の紹介のあと、ピアノの短いイントロに続いてテーマがゲッツとブルックマイヤーのアンサンブルで軽快に始まると、2管の絡み合いから抜け出すように、テーマから派生するようにフレーズが次々に紡ぐように連なっていく。それも中音域のされほど広くない範囲で、どうしてこんなできるのか、というほど自然にメロディが出てくるようだ。その間、テンポは落ちることなく、快速ペースはピアノに引き継がれる。「Lover Man」ではミディアムテンポで2管のアンサンブルでテーマが吹かれるが、ブルックマイヤーに席を譲りながら、アドリブでも2管の絡み合いは続き、後半はゲッツのソロとなるが、スローナンバーにも、適度にオカズを加えながら、上手くブルックマイヤーが絡みやすい間を作ったりするが、もとのテーマがそれほどいいとはいえないので、その展開という行き方をするゲッツはスター時点でハンデを負ったのではないか。次の「Pernod」は軽快なテンポに戻るが、ゲッツはスローバラードよりも、軽快なアップテンポに美メロを乗せて、そのスピード感によってセンチに堕したり、重くなったりするのを避けるのが一番やり易いのではないか、思う。別のところでも触れたが、ゲッツは閃きの人なので、テンポがゆっくりすると、余裕が生じて余計なことを考えてしまってしまうように思う。速いテンポで煽られると、閃きに頼らざるを得なくなって、センスが研ぎ澄まされていくのではないか。
 これは、私個人がゲッツの録音を聴いた印象でだけ述べることなので、スタン・ゲッツという人が実際にどうであったといった実証的な事実とは無関係な妄想と思ってほしい。このページのどこかで、ゲッツは即興のなかで美しいフレーズを閃いてしまうのではないかと述べた。そして、普通であれば、そういう閃きの創造の泉というようなものは、殆どない人もいれば、あったとてしも常時こんこんと湧いてくるようなことはない。だからこそ、泉が湧いてくるように苦労したり、苦しんだりする。普通、ミュージシャンがする苦労とか苦悩というのは、なかなか湧いてこない泉から何とか水をくみ上げようとする点にあると思う。そうやって苦労して組み上げた水だからこそ、大事に扱うともいえる。時に何度も使いまわして、賞味期限を過ぎて腐らせても捨てようとしない人もいる。ところが、ゲッツの場合は、そういう苦労の必要がなかったのではないか。とくに苦労しなくても、普通に閃いてしまう。しかも、湧いてくるフレーズが、みんな他の人にはない美しいものなのだ。まさに天才なのだ。それで本人はいい。けれど、そんなのが一緒にグループを組んでいる中にいたとしたら周囲のメンバーはどうだろうか、やりにくいったらありゃしない。何せ、こっちが苦労してようやく手にしたフレーズを、ゲッツは今思いついたなどと言って、いとも簡単にそれを超える美しいフレーズを吹いてしまうのだから。さらにいえば、それを聴かされる聴衆はどうだろう。美しいフレーズの連続攻撃についていけるだろうか。その都度、その美しさに酔っているうちはいいが、だんだん満腹してしまって、もういいということにならないか。飽きるというのではない。ゲッツの作り出すフレーズの美しさは、そんな生易しいものではない。飽きることができるなら、食傷して受け容れなくて済むのだから。しかし、ゲッツの音楽は美しいのだ、だから飽きることなく、聴けば受け容れてしまう。つまり、受け容れないことを許さないのだ。これは、満腹しても、腹が破裂しても、食べることを止められないような、地獄だ。何か、すごく大げさな書き方になってうそ臭いと思う人も多いかもしれない。これは、極端な書き方かもしれないが、ゲッツの音楽の美しさには、このような恐ろしさと裏腹の危うさがあると、私には感じられる。だから、彼のプレイは、一緒にプレイしているメンバーたちと、息が合いながらも、適当にゲッツの閃きに歯止めを欠けているようなものが一番聴き易いのではないかと思う。だから、アップテンポの快速ナンバーで、ゲッツが閃くいとまをあまり与えないものが、抑制されたバランスの取れた聴き易い演奏になっていることが多いと思うのだ。 

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