蓮實重彥「見るレッスン 映画史特別講義」
あの蓮實重彥が新書を書くなんて、ありえない事態に驚きつつ、思わず手に取ってしまいました。今年は最後まで異常事態だった。1本の映画、だいたい2時間くらいだろうか、それを映画館に出かけて、見るというのは特権的な時間であり空間だという。そういう特権を行使するなら、その映画の最も優れたところを見るのは義務だ。断定的な言い方だけれども、特権には義務が附随するから、なのだ。その最も優れたところを見るには、しっかり目を見開いていなければ、見ることはできない。映画がある程度分かったと思えることは安心感をもたらす。しかし、その安心感を崩すような瞬間が映画には必ずある。だから、映画を見て、まず驚かなければならない。しかし、その驚きの末に「これに驚いた自分は間違っていない」「これが映画だ」という確信を得ることができる。その正反対のこととして、映画に癒しとか救いを求めることを徹底的に排除する。
映画を見るということについて、蓮實独特の韜晦といってもいいまわりくどい言い方で、のべていますが、これって、ソクラテスの「無知の知」の戒めの姿勢の実践的な表現に思えてくる。本文の大部分は蓮實が独断的に、この映画はいい悪いについては、著者自身が述べているように、そんなことは気にしないで、どんどん映画を見ればいい。
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